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本編
23.誰の所為
しおりを挟む嗚咽混じりに繰り返される「ごめんねっ…!」という言葉に胸がぎゅっと締め付けられる。
薔薇を持っていない方の手で背中をぽんぽん撫でてあげるが、嗚咽と体の震えは更に増してしまった。
「お兄様…僕も酷いこと言ってごめんなさい…」
違う、シュネーは何も悪くない。返ってくるのはそんな優しい言葉ばかりで、必死に首を振るお兄様に眉を下げて微笑んだ。
「兄様が馬鹿だった…!ごめん…ごめんね…っ!!」
常に完璧な笑みを湛える表情が今は後悔に塗れている。
その顔を見てハッとした。お兄様の言葉が心からのものであると察したから。
お兄様は今、本気で僕に向き合ってくれているのだ。僕は一度もう嫌だと投げ出したのに、お兄様はそんな僕を見限らずに追いかけてきてくれた。
勝手に失望して絶望して。そんな僕とはまるで違う。真剣に向き合って今こうして涙を流すお兄様を見ると、面倒で醜い自分が恥ずかしくなった。
「――何だ。何かあったのか?」
「……」
「……は??」
僕の方こそごめんなさい…と頭を下げようとした時だった。
横からふいに割り込んだ声が僕とお兄様の謝罪のループを止める。自己嫌悪で堕ちそうになっていた意識が半ば強制的に引き戻された。
淡々と疑問を述べたその声は、静かに流れていたシリアスな空気を問答無用でバッサリと断ち切った。
冷や汗を掻いて視線を彷徨わせる僕から離れたお兄様は、ポカンとした表情で声のした方を振り返る。
さっきは焦燥で僕しか見えていなかったのか、普通にずっと隣にいたハル様に今の今まで気付かなかったらしい。逃げるわけでもなく堂々と立っているハル様を見て、お兄様はしばらく呆然としていた。
「…いや、お前…おまっ…は??」
何で居るの??と動揺を隠し切れない様子で問い掛けるお兄様。
あまりの困惑に貴族の仮面が剝がれ落ちてしまっていた。確かに冷静に考えて、こんな夜に他人様の敷地に堂々と侵入している人間って怖い。
「…?…薔薇を手に入れたから」
「答えになってないけど…??」
ハル様の簡潔な答え方が堂々としすぎているからだろうか。まるで疑問に思っているこっちがおかしいみたいな錯覚に襲われる。
言葉足らずなハル様の補足の為に、お兄様の裾をくいくい引っ張る。こっちを向いた瞬間目の前に薔薇を掲げると、お兄様はピタリと固まった。
「金…薔薇…?」と途切れ途切れで呟いて瞠目する姿に苦笑した。驚愕も言いたいこともとてもわかる。
例の青い薔薇でさえ幻と呼ばれているのに、存在を考えられてすらいなかった金の薔薇が目の前にあるのだ。放心しない方がおかしい。
「これ、さっきハル様から貰ったんです」
「あ…あぁ、そうなんだ…金の薔薇を…良かったね」
一度は平静な態度で頷いたお兄様だったけれど、一拍間を置いてから「…うん?金の薔薇??」とフリーズした。どうやら目の前の光景に、思考が追いついていないらしい。
僅かに口を開いたまま、お兄様はじっと金の薔薇を見つめる。
やがていつもの冷静な微笑を戻すと、何やら悟ったような口ぶりで「まぁ…いつものことか…」と呟いた。流石お兄様だ、ハル様の友人をしているだけある。
「ハル様、この薔薇を僕に見せたかったらしいです」
「こんな時間に?」
「まだ深夜だ」
「もう深夜なんだよ」
落ち着きを取り戻したお兄様に説明すると、間髪入れずに正論が突き刺さってきた。
何とかそれらしい答えをと思考を巡らせた瞬間、理解が出来ないとでも言いたげなハル様の声がその思考を呆気なく吹き飛ばす。すかさずお兄様もビシッと反論した。
ハル様はよく言えば常識に囚われない人だから、時間帯関係なく活動したい時に活動するのが普通だ。
実際今も、ハル様の表情には僅かな疲労も見当たらない。外出感覚で邪竜を倒してくる実力もそうだけれど、ハル様は全体的に見てとにかく人間離れしているのだ。
それは外見や能力に留まらず、価値観や常識でも同様に。
「いつもならもう眠っている時間なんだよ、ハル様」
「そうなのか?そうだったな。では何故シュネーは今眠っていないんだ?」
「それは…」
曖昧に苦笑する僕に、ハル様は首を傾げて「何かあったのだろう」と呟く。その通りだ、その通りだけれど…どう説明すればいいのか分からない。
否定して誤魔化すことも出来ず、ただ力無く俯いた。
「…うん。でもきっと、僕が勝手に悩んで話を難しくさせているだけなんだ。どうしたら自分の中で整理できるのかも、まだ迷ってる途中だよ」
へにゃりと情けない笑みを零すと、目を細めたハル様の横でお兄様がハッとした顔をした。
「シュネー、それは…」
「お兄様」
きっとお兄様のことだから、何度でも僕に言い聞かせるのだろう。全ては自分のせいで、僕のせいだなんてことは何一つ無いのだと。
その言葉を聞き続けて、そうしたら僕は…この不安も何もかも吹っ切って、新たな自分を受け入れることが出来るんだろうか。
そう考えて、やっぱりそんなことはあり得ないだろうだと悟るのだ。
お兄様の言葉の続きは分かっているから、そっと遮って塞ぐ。静かに笑むと、お兄様は目を見開いた状態で硬直した。
「僕が悪いことだってあります。僕が何も間違いなんて犯さない、賢い人間だと思っていたんですか?」
それとも、シュネーがお兄様たちにとっての被害者だから?
そう問うと、お兄様は虚を突かれたように息を吞んだ。
当然だとでも言いたげな、けれど何かが引っかかると言うような。それも仕方ないかと苦く笑って、お兄様も大概鈍いじゃないかと溜め息を吐いた。
「被害者…?そんなの…」
「そんなの当たり前って?それは誰の被害者ですか?僕が被害者なら、いつだってそれを逃げの理由にしていいんですか?」
ずっと燻っていた違和感の正体がようやくわかった。どうして僕が、お兄様やお父様の言葉を素直に受け入れられなかったのかも。
彼らにとって、僕は例の事件とこの十年間だけの被害者ではないのだ。少なくともお兄様にとっては、僕はお兄様の被害者でもあった。
二人とは違ってハル様の言葉なら素直に受け入れられた。その理由はきっと、ハル様は純粋に僕という人間を見て、不要な感情も重荷も抱いていなかったから。
けれど、お兄様たちは違う。
「僕…お兄様が、僕のこと…」
…言ってしまってもいいものなのだろうか。
それはお兄様を傷付ける言葉のような気がする。お兄様を否定する、残酷な一言のような気がする。
お兄様を傷付けるのは本意じゃない。むしろ胸が痛むし、お兄様にはずっと笑っていてほしい。
でも違和感の正体にようやく気付けたのは事実だし、足枷になっていた一つが外れたのも間違いない。ここで引き下がるというのも納得しがたい。
何より、僕はもうこれ以上醜くなりたくない。面倒な人間でいたくない。
空白の十年間を埋めるのも、ずっとあの日から止まってしまっている公爵家を何とかするのも、まずは僕が進まないことには何も変わらない。変えられないのだ。
「初めから、お兄様やお父様の言葉とか、態度とか、接し方とか…何だか違和感があって、それでさっきも、二人の言葉をちゃんと受け止めることが出来なくて…」
その理由は。
俯いていた顔を上げる。突き放すような言い方をしてしまうかも、と直前で少し躊躇ったが、もう後戻りはしないと決めたから。
お兄様の表情が曇ることを知っていながら、傷付けてしまうことを分かっていながら、僕は紡ぐ言葉を噤むことは出来なかった。
「単純に受け止めることなんて出来ません。だってお兄様の一番は、十年間の埋め合わせでも今の僕でもないから」
「……は」
無理やり浮かべようと上げた口角は、上手く上がらず苦い笑みを作った。
どっちも遠慮している。傷付いているのはお兄様だけじゃなく、僕も一緒なんだ。
「――お兄様にとっての一番は、十年前の僕への償いでしょ?」
月明かりの逆光の裏で、お兄様が浮かべた表情は。
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