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本編
21.ふたりでひとつ
しおりを挟む部屋に転がり込んできた二人は、涙に濡れる僕の顔を見るなり物凄い形相で駆け寄って来た。
乱れた髪はそのままで、何もかも放って来てくれたのだと直ぐに察した。
二人がベッドのすぐ傍まで来たところで怠い体を叱咤して毛布を引き剝がす。片膝をベッドの縁に乗り上げたお兄様にギュッと抱き着くと、すぐに背中に腕が回された。
顔を上げると、困惑したような顔のお兄様の他に険しい表情で辺りを見渡すお父様が視界に入ってハッとする。
「あ、あの…すみません…起きたら一人だったから、寂しくて…お父様たちに会いたくて…」
それとなく事件の可能性を払拭すると、お父様は険しく歪めていた顔をほっと緩ませた。
「ごめんね、寂しかったよね…シュネーが目を覚ますまで傍に居るべきだったよ…」
体を拘束する腕が力を増す。視線を移すと、そこには申し訳なさそうな声音とは裏腹に蕩けるような笑みがあった。
僕が寂しいと本音を語ったからか、それとも僕から抱き着いたからなのか。お兄様のことだからどっちもかな、なんて考えて苦笑した。
お兄様は昔からそうだった。僕がすること言うこと全て嬉しそうに見守って…そういえば、今思えばロクに対してもそうだった気がする。
「寂し、かった…」
寂しかったのは、どっちなんだろう。どっちもかな…。
今ならわかる。二人がロクに…いや、僕に何を求めていたのか。
そしてそれが、今まで考えていたものと大して変わらないということも。
やっぱりそうなんだ。お父様もお兄様も、シュネーを求めていたということは変わらなかった。
二人が見ていたのはロクじゃなくて、その先に居たシュネーだ。十年前に消えた家族をずっと恋しく思っていたんだろう。
あの日再会した二人の表情も反応も、今になって鮮明に浮かぶ。二人はロクの先にいるシュネーを見て、あんなに切実な笑みを浮かべていたのだ。
僕のことをずっと探してくれていた。十年という時が経っても、僕の存在を忘れず待ち続けてくれていた。
その事実が嬉しい。嬉しくて…少し寂しい。だって僕はシュネーだけれど、今はロクでもあるのだ。二人が待っていたのがシュネーである事実は嬉しくもあり、何処か他人事のような感覚もあって遠く感じる。
シュネーとしての人生は幼い頃の三年で、その後の十年は全てロクなのだ。
正直なところ、十年前のたった三年の記憶を取り戻したところで、僕の中で大きな変化というものはあまりない。
お父様やお兄様のことは変わらず好きだし、尊敬もしている。身近な存在にもなった。でもそれだけではなくて、ロクとして畏怖や服従という感情も抱いている。
シュネーが戻ったからといって、ロクが消えるわけじゃない。
「…どうして」
「…?シュネー…?」
小さく疑問が漏れて、それをすかさずお父様とお兄様が拾う。
二人はやっぱり心配そうな表情を浮かべていた。僕はそれを少し冷めた気持ちで受け取ってしまう。
「どうして十年前のこと…黙っていたんですか?」
息を吞む気配。
青ざめたその顔が答えみたいで勝手に苦しくなった。
「記憶が戻ったのかい?」と冷静な態度で…けれど動揺を隠し切れていないお父様が問い掛ける。それに頷くと今にも泣き出しそうな、後悔や懺悔にも似た感情がお父様の瞳に滲んだ。
それと同時にお兄様の抱擁の手が緩んで虚しくなる。ぽっかりと心に穴が空くような、そんな感覚が辛くて…少し不快だった。
「…ロクはシュネーじゃないからですか」
「っ…違う…!」
「何が違うんですか…っ!!」
悲鳴に似た叫び声が喉の奥から零れた。
僕の声に二人はビクッと肩を揺らして、怯んだように口を噤んだ。そういえば僕が声を荒らげたのは初めてだったな、なんて他人事みたいに。
親愛と畏怖と、敬愛と服従と。同時に抱くはずのない感情ばかりが雁字搦めに渦巻くから、それに支配されて自分が分からなくなる。
こんなの八つ当たりだって自覚しているけど堪えられない。やっと会えた家族に傷を与えたいわけじゃないのに。
「ロクのっ…ロクのことなんてどうでも良かったくせに…っ!シュネーさえ戻ってくればって…思ってたくせに…!!」
自分勝手なことを言っている。そんなことはすぐに分かった。面倒なことを言っているということも。
この衝動を止める術があるのなら僕が一番知りたい。それだけ、制御が利かない。
「ずっと奴隷として買われたんだと思ってた…ここではどんな仕事が与えられるんだろうって…閨を任されることも、玩具みたいに壊されることだって覚悟して…!」
違う、違うんだ。
ようやく再会できて嬉しい。ずっと心のどこかで家族を切望していた。僕を愛してくれる人を。
記憶が戻って嬉しいんだ。大切な思い出を取り戻せたことが、泣きそうなくらい嬉しいのに。
「…っもう…嫌だよ…」
そう呟いた瞬間、周囲の空気が冷たく凍った。
明らかに雰囲気が変わったことに気が付いて我に返る。恐る恐る顔を上げて、二人を見たことを後悔した。
「…と、さま…おにい…さま…?」
そこにあったのは無だった。何も無い、と言った方が正しいだろうか。
瞳は青いのに真っ黒で、まるで底が無い。感情が全く読めないことが更に不安を呼んだ。
伸ばした手を受け入れてくれることはなくて、行き場を無くしたそれは宙を切る。沈黙はまるで時が止まっているようで、次第に体が震えた。
たぶん、最初にこの状況に耐え切れなくなったのは僕だった。
弾かれたように床へ降りて立ち上がって、逃げるように部屋を飛び出す。ハッとしたような二人の声が聞こえた気がしたけれど、それで正気に戻れる程冷静ではなかった。
「っ…」
僕は一体、なんてことを。
そんな思いばかりがぐるぐると駆け巡る。今二人の元に戻るのは危険だ。これ以上、何を言ってしまうか自分でもわからない。
だから、離れないと。とにかく離れて、一人にならないと。
邸の構造を完全に把握している今となっては、ロクの知らない裏口へ向かうことなんて簡単だった。
「はぁ…っ」
走り慣れない体では裏口に辿り着くだけでも息が切れて、半ば倒れ込むように外へ出た。
部屋を出た時から、お父様たちが追ってきていないことには気付いている。荒い呼吸のままゆっくりと踏み出して、目的地なんてないはずの足は勝手に進んだ。
小さな花壇の並ぶそこを真っすぐ進めば、一番好きなその場所への近道になる。
十年前何度も通った道。その先はお母様も好きだった薔薇園の、ちょうど裏側に繋がっている。
そこには…そうだ、確かもう水の湧いていない小さな噴水があって、僕はよくそこで…。
「――…」
まただ。蘇ったばかりの記憶が、まるで色を塗ったように鮮明になる。
あの時の記憶をなぞって、やり直すみたいに。
『またかってに入ってきちゃったの?』
頭の中で響いたのは、困ったような、けれど嬉しそうな…幼い僕の声。
僕に会いたいからって、もう家族みたいなものだからって、我が物顔で公爵家の敷地内に入って来るあの人。
黒髪を靡かせて、赤い瞳を緩めて。他の人には何を考えているのか分からない無表情を向けるのに、僕に会う時は嬉しそうに微笑むから。
その度、僕は彼の勝手を笑って許してしまうのだ。
「ハル、様…」
記憶の中の少年の姿が、精悍な青年の姿に塗り替えられる。
月明かりの下で黒髪は艶やかに揺れて、僕の声に応えるように赤い瞳が此方に向けられた。
「……」
その手に持っているものに視線が移る。それはこの光景の中で一際輝いていた。
「…倒れたと聞いた」
心地良い低音は耳に馴染んだ。
心配して来てくれたのか、と理解して警戒が解けた。彼は少し前から隣国に向かったと聞いていたけれど、まさか隣国から駆けつけてくれたのだろうか。
なぜ隣国へ向かったのか聞いていなかったけれど、目的が何となくわかった気がする。その手に持っているものが答えなのだろう。
「遅くなってすまない」
そう言って差し出されたそれを震える手で受け取る。
まさか本当に見つけ出すなんて思わなかった。つい数日前にもらった幻の薔薇の色違いを。
「無事のようで…安心した」
金色の花びらが揺れる。
何故だか涙が堪えられなくなって、金色の薔薇を抱き込んで唇を嚙み締めた。ついさっきまでの悩みがちっぽけに感じるって、こういう瞬間のことを言うのだろうか。
「っ…ありがとう…ハル様」
綻ぶような笑顔を見せてそう言うと、赤い瞳が驚いたように見開かれた。
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