奴隷上がりの公爵家次男は今日も溺愛に気付かない

上総啓

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本編

19.シュネー=アーレント

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『おかあさま、シュネーがきました!』


 お墓の前にしゃがみ込む。刻まれた文字が紡ぐのは、公爵夫人であるお母様の名前だ。

 お母様は生まれつき病弱で、僕を産んですぐに亡くなってしまったらしい。
 お母様の記憶は何もないけれど、お父様やお兄様から聞く話だけでも素敵な人だったということは理解できる。毎日のようにお母様の話を聞くからか、まるで接したことがあるかのように僕はお母様を身近に感じていた。


『アイリス…シュネーも今日で三歳になったよ』


 ぽん、と頭を撫でられて振り返る。お父様は柔らかく微笑んでお母様のお墓を見つめていた。

 今日はお母様の命日で、僕の誕生日でもある。
 お父様もお兄様も、もちろん僕も、みんな黒い服を着てお母様に会いに来た。お母様に会う時に着る服は喪服というらしい。

 持ってきた一輪の薔薇をお墓に置くと、お父様たちも続いて薔薇を置く。
 お母様は薔薇がとっても好きだったんだってお父様が言っていた。僕も薔薇が大好きだから、お母様とお揃いなのがすごく嬉しい。
 お父様がお母様のためにお庭に作った薔薇園も、今では僕のお気に入りの散歩コースになっている。


『きょうは、ぼくのおいわいがあるんです!』

『ふふっ、誕生日のパーティーをするんだよね?』

『そう!ぱーてぃー!』


 今日をとても楽しみにしていたから、それを絶対にお母様に伝えたいとそわそわしていた。
 お母様に誕生日パーティーのことを伝えると、横に膝をついたお兄様が舌足らずの言葉を補足してくれる。お兄様は頭が良いから、僕の足りない言葉もすぐに理解してくれるのだ。

 穏やかに笑うお兄様も、お母様のお墓を見た後にお父様と何かを話す。難しい言葉が多くて、全ての意味を理解することはできなかった。


『あぁそうだ。後からハロルドも来てくれるらしいです。あいつは家族水入らずを邪魔したくないと言っていたんですが…』

『あの子も最早アーレント家の一員だ。遠慮することは無いというのに…』

『…婚約の件、やっぱり認めるんですか』

『シュネーも彼には懐いている。お前も、何処の馬の骨とも知れぬ者よりかは彼の方が良いだろう?』

『それは…まぁ、そうですが』


 何やら難しい話をしているけれど、どうやらハル様のことを話しているらしいというのは何となくわかった。
 ぬっと二人の間に割り込んで、瞳をキラキラ輝かせてみる。


『ハルさまがくるんですか??』


 ギクッと肩を揺らすお兄様と、何てことなさそうに笑顔で頷くお父様。
 両手を挙げるとすぐに抱っこされて、お兄様の腕の中にぎゅーっと囲われる。
 なんだか拗ねたような顔だ。食べ過ぎだからって、デザートのプリンを禁止された僕みたいな顔をしていた。

 隣に立つお父様が苦笑する。
 僕の頭を撫でたみたいにお兄様の肩をぽんと叩くと、困ったように微笑んで語った。


『ミハエル。弟離れをしなければならない時は必ず来るんだよ』

『…分かっています。ですがシュネーはまだ三歳です、弟離れも…勿論兄離れだってまだ早い!』

『全くお前は…』


 くすくす笑うお父様と、僅かに頬を膨らませるお兄様。
 お兄様の瞳が何だか悲しそうだったから、僕はそれが苦しくて手を伸ばした。お兄様が悲しいのは僕も悲しいし、何より苦しい。


『おにいさま。ぼくはおにいさまのことだいすきですよ?』

『…本当?』

『ほんとうです!だいだいだいすきです!』


 そう言いながらお兄様の頬にちゅっと口づけをする。
 僕が転んで泣きそうになった時とか、おやすみの前やいってらっしゃいの前にお兄様がしてくれるものだ。これをされると元気がでるから、僕がお兄様にしてもきっと元気になってくれるはず。

 そう思って顔を上げると、お兄様は悲しそうな顔をなくして目を丸くしていた。
 それは段々赤くなって、にっこり…というよりはへらりとした笑顔に変わる。


『可愛い…何いまの可愛すぎ…愛してるよシュネー…!』

『おー!ぼくもあいしてます!』


 ぐふっ、という声が聞こえたかと思うと、お兄様は鼻の付け根を押さえて上を向いてしまった。どうしたんだろう…と心配する間もなく、今度はお父様が僕を抱き上げた。


『シュネー、お父様は?お父様のことは愛していないのかい?』

『んー?もちろんおとうさまもです!おにいさまもおとうさまも、おかあさまも!』


 みんな大好きです!
 そう言うと、お父様もお兄様と同じように上を向いて固まってしまった。鼻を押さえているのも同じだ。何かあったのかな。


『――あ!ハルさまがきました!』


 お父様の肩越しに人影が見えて声を上げる。
 遠くの人影は徐々に近付いて来て、見慣れた黒髪が艶やかに靡く。ひらひらと手を振ると、ハル様も控えめに手を挙げてくれた。
 やがて辿り着いて上を向く二人と笑顔で抱っこされる僕を視認すると、ハル様は困惑したように瞬きを繰り返す。二人は相変わらず赤い顔で固まったまま。

 お母様のお墓に置かれた三本の薔薇が楽しそうに風に揺れた。





 * * *





「――…」


 微かに指先が動く。その感覚を自覚すると、意識も同時に明確になった。
 視界が確かになって初めに目に映ったのは月明かり。薄暗い室内に差し込む月明かりが、今はちょうど顔の上に来ている。なるほど、この光に起こされたのか。

 ズキズキと痛む頭は無視して、半ば無理矢理起き上がった。
 自室のベッドに寝かされていて、周囲には誰もいない。物音もしない。眠る…というより倒れる前の記憶も、ちゃんと残っている。
 最後に見たのはニコの顔だった。ニコには悪いことをしたな、あの場で僕が倒れたら、ニコが何か言われてしまうかもしれない。
 でも…ニコは賢いからきっと大丈夫か。お父様もお兄様も、僕の親友であるニコに悪いことはしないはず。

 心配は少なからずある。お父様たちはをとても大切にしてくれているから、僕に何かあればすごく焦るだろう。

 なら、なおさら。


「……はぁ…っ」


 震える手を見下ろす。あの日の光景が鮮明に蘇って、真っ暗な部屋も一人ぼっちというこの状況も、何もかもが怖かった。

 小刻みに震える体を叱咤して、ベッドの脇に垂れ下がっている紐をやっとの思いで引っ張る。この紐がお父様とお兄様の部屋に繋がっていることを知っているから、その動作も震え以外はスムーズだった。

 何か危険があればと言われて付けられたものだけれど、昔はよく雷が怖いからとか寂しいからとか、そんな小さな理由で引っ張ってしまうことが多かった。
 今となっては後悔を抱く。これを引っ張るたび、お父様たちの睡眠や休憩を邪魔してしまっていたのだから。

 けれど、今は本当に心細い。寂しい、怖い、恐ろしい。
 だから呼ぶことを許してほしい。助けを求めたかった。


「っ…とうさま…おにいさまっ…!」


 十年分の人生が記憶をなぞるように流れ出す。物凄いスピードで、休む間もなく。
 それと同時に十年前の穏やかな記憶も蘇るものだから、その分十年の苦痛と辛さが明確になった。
 今まで『奴隷だから仕方ない』で済ませていたものが、軽いものでは無くなっていく感覚。トラウマと理不尽が胸の内を支配して、汗も涙も止まらない。

 自分には何も無いなんてとんだ思い違いだ。僕は大切なものを確かに持っていて、それを奪われていただけだった。
 その事実が苦しくて、痛くて。

 過去はどうしようもないし、流れた時も戻すことなんて出来ないから。だからせめて、止まっている今を一刻も早く始めたかった。
 早く、はやく。掠れた声でそう繰り返していると、静かな邸内に荒々しい足音が響き始める。それはひとつではなく、二つ。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げるのと同時に、部屋の扉が大きな音を立てて開かれた。
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