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本編

18.記憶の蓋

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「公爵家にはな、元々二人の子息が居たんだ」


 ソファに座り直したニコがそう切り出す。
 ぽかんと固まる僕を見て、ニコは「それも知らなかったのかよ…」と長い溜め息を吐いた。
「お前んとこの家族は本当に何やってんだ」と呆れ顔で言うニコに瞬きを返す。お父様たちがどうかしたんだろうか。 

 それにしても、公爵家には子息が二人いるってどういうことだろう。僕が知る限り公爵家の子息は嫡男であるお兄様だけだ。

 きょとんと首を傾げる僕を見てじとっと目を細めたニコは、僕の頭を軽くぺしっと叩いて「いいから話聞け馬鹿」と吐き捨てた。この雑な感じ…なんだか懐かしくて感慨深いなぁ。


「居たって言ってんだろ。今は居ねーよ…いや、今は居るか。居なかったけど、戻って来たんだ」

「戻って来た…?留学とか?」

「アホ。察しろ馬鹿。そんなだからのろまって言われんだぞ」


 再びぺしっと叩かれる。痛みが一切ないのがおかしくて少し笑ってしまった。
 叩く…というより撫でるような衝撃だ。ニコの過剰すぎる手加減が以前と全く変わっていなくて、擽ったい喜びがじわりと湧いた。

 くすくす笑う僕に「おい聞いてんのか」と赤い顔で問うニコ。怒っているように見えるけど、これが単なる照れ隠しであることを僕は知っている。


「聞いてるよ。なんだっけ、留学?」

「違うっつってんだろ。ったく…拉致だよ拉致。誘拐されたんだ」


 あっさりと淡泊に語られたそれに、何故か大袈裟なくらい心臓が音を立てた。ドクンと体全体を揺らすような、そんな嫌な音だった。

「誘拐…?」と零れる声が掠れている。
 まるで自分が…自分が体験でもしたような生々しい感覚を抱いた。
 青ざめる僕をニコが「おい…ロク?」と心配そうに覗き込んで、背中を優しく擦ってくれる。乱雑に見えて実は誰よりも優しいところも、以前と何ら変わっていなかった。


「大丈夫…なんか急に、嫌な感じがして…もう消えたから大丈夫」

「……そうか」


 大丈夫だよ、と念押ししてみてもニコの瞳に滲んだ心配は無くならない。小さく笑みを見せてようやく、ニコはほっとしたように息を吐いた。


「聞けるか…?」


 むしろ聞きたい。教えて欲しい。なんだか奇妙な感覚がするのだ、予感にも似たような。
 恐る恐る問われるそれに迷いなく頷いた。


「…気分悪くなったら言えよ」


 その忠告の後語られたのは、お父様からもお兄様からも、もちろん他の使用人の皆からも聞いたことの無い内容だった。
 けれど妙に聞き覚えがあるような、体の奥がざわつくような、そんな話。

 ニコの話によると、帝都で広まっているという噂には十年前の事件が関係しているらしい。


「――誘拐事件…?」

「あぁ。当時は国中大騒ぎだったらしいぜ、なんせ拉致られたのは公爵家のご子息様だったからな」


 十年前、アーレント公爵家で引き起こされた誘拐事件。

 当時三歳だった公爵家の次男が、アーレント家の所有する別邸へ向かう途中、刺客に襲われ拉致されたというもの。
 奇襲により御者は死亡、馬車の周囲で護衛をしていた騎士達の大半も死傷した。

 その後行われた調査が難航を極めることはなく、主犯である末端貴族の男爵は直ぐに捕らえられたらしい。誘拐の実行を依頼された賊も含め、事件の概要は僅か数日で明かされた。
 たったひとつ、拉致された子息の行方を除いて。


「犯人の男爵ってのがまた頭おかしくてなぁ…」


 事件を引き起こした動機は公爵家への復讐だったらしい。
 と言っても、公爵家が男爵に何かしたわけではない。

 とある事業を始めたがそれが上手くいかず、短期間で破綻してしまい苛立っていたところに、公爵家の新事業成功の噂を聞いて一方的に恨みを抱いたのだとか。
 以前から短気で妄想癖のある男爵だったので、失敗や失脚の全てを公爵家に転嫁しようとしたのではないかということ。


「公爵家からすれば、そんな馬鹿げた理由で大事な次男坊を拉致されたなんて堪ったもんじゃねーだろ?そりゃあもう全力で探したらしいんだが…」

「結局、見つからなかった…?」

「そういうことだ」


 それは…どれだけ無念だっただろう。いつもの穏やかなお父様たちを知っているからこそ、酷く胸が痛む。
 常に優しい笑顔を浮かべる彼らは、大切な家族を奪われて一体どれほどの絶望を味わったのか。どれほど…自分を責めたのか。

 あるはずのない記憶が蘇るような気さえした。幸せな家族たちの日常がありありと浮かんで、それはやがて自分自身の今の日常と重なる。
 十年前に消えた子息の席に、今は奴隷の僕がのうのうと座っている。公爵家の悲痛も後悔も何も知らず、ただのうのうと。
 何故お父様たちが何も言わなかったのか、ようやくわかった気がした。


「そっか…そういうことか…」

「…やっと分かったか、ロク」

「うん。ニコ、僕わかったよ」


 ニコは小さく微笑んでいる。
 その微かな笑みに全てが込められているようで、知らず僕の顔にも笑みが浮かんだ。



「僕は、そのご子息の身代わりとして買われたんだね」

「……ん???」



 何言ってんだこいつ、と言わんばかりのニコの表情の意味はよく分からなかった。

 ニコはさっき『子息は戻って来た』と言っていた。きっと十年の時を経てようやくご子息が見つかり、お父様たちは大切な家族との再会を果たしたのだろう。
 けれど十年前のトラウマは公爵家全体で癒えず、また同じことが起きないようにとご子息の影武者を作ろうとしたんだ。そしてその影武者というのが、奴隷である僕。
 奴隷なら身寄りもないし戸籍も曖昧だから、万が一何かあった時の処分も楽だ。

 どうして彼らが奴隷の僕に優しかったのか、その理由もやっとわかった。
 それは影武者である僕の姿がご子息に少なからず似ているからだろう。ご子息と僅かながらも重なって、それで奴隷に対するような扱いが出来なかったんだ。


「だ、か、ら!!そうじゃねーよ!何でここまで言われて分かんねーんだよ!」

「うん…?」


 感動で涙を滲ませながら語る僕に、何やらわなわなと肩を震わせたニコが荒々しく叫んだ。

 頬を伝う涙を拭って首を傾げると、ニコは何かを堪えるように拳を握り締めてから「はあぁーー…」と長い溜め息を吐いた。
 半ば諦念するような目でじとっと睨まれ困惑する。


「…そうだな、ロクはそういう奴だったよな…お前の自己肯定感の低さ忘れてた…」


 十年も奴隷やってりゃ、そうもなるよな。ニコがボソッと零したその呟きは、重々しく空気を淀ませた。


「もう回りくどいのは止めだ。はっきり言うから良く聞け馬鹿」


 両肩を掴まれ宣言される。くわっと見開いた目が迫力満点で少し怖い。なんだか開き直ったようにも見える。
 こくこくと頷く僕をじっと見下ろし、ニコは言い聞かせるようにゆっくりと語った。


なんだよ。十年前に消えたっていうご子息は」

「………え」


 理解が追い付かず呆然とする僕をそのままに、ニコは淡々とその先を続ける。


「俺も最初はお前と同じこと考えた…でも違う。冷静になって考えれば分かる。奴隷には有り得ねぇその銀髪も、お前に向ける公爵の目も、態度も。何より…お前の目が証拠だ」

「僕の…目…?」


 思わず目を覆うように片手を添える。
 そこにはきっと、いつものように碧い瞳があるだけだ。人より少し珍しくて好まれやすい、僕の最大の武器ともいえる瞳が。

 隠れていない方の瞳をじっと見つめたニコは、やっぱりなと呟いて息を零す。「見ない瞳だと思ったんだ」と吐き出す表情には、微かに笑みが浮かんでいた。


「その碧い目を持ってんのは、この世界で二人だけ。まぁ…一人はもう居ないけど」


 二人…?珍しいとは思っていたけれど、そこまでだったのか。
 僕と、あともう一人は誰だろう。二人と言われると、自分以外のもう一人が異様に気になってしまう。それに、もう居ないっていうのは…?

 疑問がありありと顔に出ていたのか、答えはすぐに返された。



「一人はお前。もう一人は、公爵夫人…お前の母親だよ」



 はっと目を見開く。脳裏に何かが過ぎった気がした。
 それは瞬く間に記憶の蓋をこじ開けて、空っぽだったはずの外側に流れ出す。まるで濁流のような、そんな強い衝撃だった。

 突然の膨大な情報量に耐え切れず、次第に意識が朦朧とし始める。
 頭を押さえて蹲ると、ニコが慌てたように僕を呼んだ気がした。気がした…というのは、視覚も聴覚も曖昧になっていたからだ。
 視界がぼやけて、ニコの声もよく聞こえない。

 霞んで見える必死な表情と、遠くから僕を呼ぶ焦燥の混じった声。
 その全てが意識から消えた時、目の前が完全に真っ暗に染まった。
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