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本編
14.青い薔薇
しおりを挟む顔合わせの日から数日。
ハロルド様はかなりの頻度で僕に会いに来るようになった。
「え…あの、え…?は、ハロルド様…??」
「何だ」
「いや、いやあの、それ…っ」
ガクガクと震える体を何とか持ち堪える。こちらも小刻みに震える指をどうにか伸ばして、ハロルド様が持っているそれを指さした。
きょとん、と首を傾げるハロルド様に動揺は更に大きくなる。本当に、どうしてそんなにも平然としているのか全く分からない。
普通もっと緊張するところだ。もしくは得意げにしたり。なんて思うのに、彼は至っていつも通りの表情のまま。
いや、ほんとに、本当に分からない。だってそれは存在しないはずのものなのだ。したとしても、そんなに平然と持ち歩いていいものじゃない。
だってそれは、それは…
「青い薔薇。約束通り持ってきた」
「……ひぇ」
間の抜けた声しか出なかった。と言うより、反応を返すので精一杯だった。
スッと差し出されるそれを、拒否するわけにもいかず恐る恐る受け取る。絶対に落とさないように両手でしっかり持ち、じっと観察してみた。
もしかしたら偽物かもって、それっぽく色を塗っただけのものかもって、そう思って。そうであってほしくて。
「……うぅ…」
「…?どうした」
そうであって欲しかったのに、それは見れば見るほど"本物"だった。塗装の跡なんてこれっぽっちも見つからないし、如何にも高価そうな色に加えて艶がある。
本来なら皇族に献上するほどの、それくらい価値のあるもののはずだ。
だって青い薔薇なんて皇族の方でも見たことが無いってお兄様から聞いたことがあるし、明らかに奴隷の僕なんかが触れていいものじゃない。
「こ、これはちなみに…どこで…」
どこで手に入れたんですか、という質問は最後まで続かなかった。手や体だけじゃなく声まで震えているから話すことさえ一苦労だ。
がくがくと震えながら問い掛ける僕に、ハロルド様は疲弊した様子も無くあっさりと答えた。
「災厄の魔窟だ」
「さっ…!!」
――災厄の魔窟…!?
上擦った声が漏れて、慌ててその後の言葉をむぐっと噤んだ。貴族が大声を上げるのは下品だ、公爵家の品格にも関わるから気を付けないと。
なんて、違う、今はそれよりも。それよりも重大なことが目の前にある。
「あ、あのっ、災厄の魔窟って、あれ、ですか…?」
「あれ、とは何を指す」
「あの…その、邪竜がいるっていう…?」
「邪竜?あぁ…確かに竜は居た。薔薇を摘むのに邪魔だったから倒したが」
あんぐり。開いた口が塞がらないとはこのことだろう。
何とか我に返って「一人で行ったんですか?」と聞いてみる。流石にそれは無いだろうけど…念の為だ。
けれど返ってきたのは「一人だ」という至極簡潔な回答。なんと言うか…なんと言うかもう、頭を抱えることしか出来ない。
「ひとりで…邪竜を…」
災厄の魔窟と言うと、何度か行われた邪竜討伐任務が尽く失敗に終わったことで有名な場所だ。
何百年も前から魔窟に住み着いた邪竜は、周辺に住む人々にあらゆる災厄をもたらしたと言う。その歴史から、いつからか邪竜そのものが『災厄』と呼ばれるようになった。
長い歴史の中で、帝国の騎士団が何代にも渡り、何度も邪竜討伐に挑んだ。けれど結果はいつも同じ。
邪竜の圧倒的な強さを前に、人間ではどうすることも出来なかった。
そんな結果が続いたものだから、今では災厄に関わるなという暗黙の了解が出来て、討伐任務が行われることも無くなったのだ。
周辺に人が住むことも無くなり、そこに居た人々は漏れなく故郷を離れた。その歴史は書物に記されるほどで、当然僕も絵本で邪竜についてのものを読んだことがある。
だから、尚更信じられない。絵本で読むくらいの強い竜が呆気なく倒されたなんて。それも、今自分の目の前に立っている人に。
「……、…薔薇は、気に入らなかったか」
「え…っ」
「…浮かない顔をしている。すまない…これ程簡単に手に入るもの、気に入るはずが無かったな」
「え、えっ…」
な、なに言ってるんだこの人…!
わなわなと体が震える。
格が違うどころじゃない、次元が違うハロルド様になんだかよく分からない感情が湧いて、震えが収まらなかった。
簡単に手に入る…?長い歴史の中で、今まで誰も手に入れられなかった青い薔薇が…?
「もっと良い物を持ってくる。それは俺が代わりに捨てて…――」
「気に入りました!」
「ん…?」
「とっても気に入りました!!」
ゾッとするようなことを言いながら手を伸ばしてくるハロルド様を見て、慌てて青い薔薇を抱え込みながら体を逸らした。
国宝級と言っても過言では無いくらいのものだ、これを簡単に捨てるだなんて言い退けてしまうハロルド様…やっぱり次元が違う。
とにかくこの薔薇は捨てられないように保管して、どうするべきか後でお兄様に相談しないと。
ハロルド様から僕へのプレゼントではあるけれど、だからと言って僕が独り占めしていいわけではない。
と言うより、そもそもこれは"シュネー"へのプレゼントであって"ロク"に向けてのものでは無いので当然だ。僕のものは全て主人のものなのだから、僕が持っていていい理由は無い。
ハロルド様から貰った初めてのプレゼント…嬉しいなんて、思っちゃいけない。独り占めしてしまいたいなんて、なおさら。
「……シュネーが…喜んでくれて良かった」
ほっとしたような、心底嬉しそうな声が正面から届く。ハッとして顔を上げると、微笑を浮かべるハロルド様と視線が合う。いつも無表情しか見ないから、不意打ちの柔い笑顔に思わず胸が高鳴った。
「…。…嬉しいです…ハロルド様から頂くものなら、きっと何でも」
無意識に呟いた言葉には、全て紡いで初めて気付いた。
なんてことを言ってしまったんだと青ざめて、慌ててハロルド様の表情を窺う。急に意味のわからないことを言って呆れられただろうかという不安は、彼の表情を見上げて直ぐに霧散した。
「……っへ…?」
危うく薔薇を落としそうになる。
あたふたと薔薇を持ち直しながら、もう一度ハロルド様を見上げてみた。
そこにあるのはやっぱり、真っ赤に染まった無表情。
「……あ…あぁ、ぁ…あぁ、そうか」
反応がぎこちなさ過ぎる。
どうしてそんなに動揺しているのかは分からないけれど、僕の返答に苛立っているわけではないようで安心した。
「つ、次は…もっと珍しい薔薇を手に入れる」
「え…?」
「何色が良いだろうか。まだ見たことが無い色と言えば…金色辺りか」
「え、うん…?えっ、金色…?」
「直ぐに用意する。少しだけ待っていてくれ」
「ハロルド様…!?」
照れ隠し…なのだろうか。赤く染まった顔を隠すようにくるりと踵を返したハロルド様は、そのままスタスタと立ち去ろうとしてしまう。
慌てて追いかけて、血迷うハロルド様を引き止めた。
「ハロルド様っ…流石に金色の薔薇は大丈夫です!大丈夫ですから…――!!」
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