奴隷上がりの公爵家次男は今日も溺愛に気付かない

上総啓

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本編

11.ロクとシュネー

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「あの…お兄様?」

「ん、なぁに?」


 やっぱり…今日のお兄様は何だか不機嫌だ。

 話しかけると優しい笑顔が返って来るし、僕に向ける声はとても穏やかだ。けれど少し目を離すと無表情になって、たまに小さく舌打ちさえする。

 何か嫌なことでもあったのだろうか…。僕なんかがどうにか出来るとは思えないけれど、抱えているストレスを発散させる道具くらいにはなれるのに。
 前のご主人様たちは、よく僕を殴ったり蹴ったりして苛立ちを紛らわせていた。この邸に来てからはそういうことを一切されていなかったから忘れていたけど、本来奴隷の僕がすべき仕事はそういうものなのだ。
 与えられた任務が何なのかもまだ分からず、終いにはそんな簡単な仕事さえ出来ない始末。本当に僕は役立たずだ。
 今からでも、この体たらくを挽回できるだろうか。


「お兄様、ご気分が優れないのなら僕を使ってください!」

「……うん?」


 お兄様の前に立ち、両腕をバッと広げる。
 さぁどんとこいだ。殴るなり蹴るなり好きにしてくださいお兄様!

 ふんすと息巻く僕を見下ろし、ぽかんとしていたお兄様がやがて感激したように目を見開いた。


「シュネー…っ私の天使はなんて優しいんだ…!」


 てん…なんだって?

 僕に向けるには全く似合わない単語が飛び出したかと思うと、お兄様はガバッ!と勢いよく僕を抱き締めてきた。
 あまりの勢いに思わずよろめいたが、お兄様が僕を抱き上げたことで転倒は避けることができた。
 殴らないのかな…なんてそわそわ思っていると、にこにこ顔のお兄様が今度は僕の額や頬にちゅっと口付けを落としてくる。さっきまですごく不機嫌そうだったのに、今はとても機嫌が良さそうだ。


「あの…気分は…」

「ん?シュネーのおかげで気分はとっても良いよ!」


 寧ろ最高だよ、と上機嫌なお兄様が語る。

 笑顔のお兄様とは裏腹に、僕は内心混乱していた。同時に困惑も押し寄せる。
 お兄様はやっぱり、今までのご主人様たちとは全く違う。違うから、いつも接し方に困ってしまう。

 お役に立とうと邸の掃除をしようとしたり、奴隷が近くに居ては不快だろうからと離れたり。そういうことをするとお兄様は悲しそうな、辛そうな表情を浮かべる。
 逆に僕から触れたり、僕だけではどうしようもない時にお願いをしたり。普通なら折檻を受けてもおかしくないことをすると、とても嬉しそうに笑うのだ。

 今もこうして、お兄様は予想外の反応をする。
 自分から僕に触れて、殴ることも蹴ることもせず。お兄様だけじゃない。お父様も、使用人のみんなも。
 理解できないことばかりだ。


「今日はね、シュネーに会わせたい人が居るんだ。本当は会わせたくないんだけどね…」

「…僕に、会わせたい人…」


 ドクンと心臓が嫌な音を鳴らす。
 会わせたい人…今までも、そう言われたことは何度かある。
 大抵、ご主人様にそう言われて会った人はだった。

 体が小さく震える。お兄様はそんな僕の様子には気付いていない様子だ。


「…ぼ、ぼく…何か…」


 何かしてしまいましたか。直球の質問は寸前で噤まれた。聞かなくても、答えは明白だからだ。
 何かしたどころか、何もしていない。任務すら達成できていない。普段の生活だって、失敗ばかりでお父様たちに何もできていない。
 体のひとつも差し出していないことに気付いて息を吞んだ。奴隷と体を繋げるなんて、汚くて出来ないってことなのかな…でも普段は躊躇なく僕に触れているし…。

 それならやっぱり、役立たずの僕に嫌気がさした…?


「シュネー?どうしたの、具合でも悪い…?」

「…お兄さま…」


 慌てた様子で僕を地面に下ろすお兄様。
 膝をついて僕と視線を合わせると、お兄様は心配そうに問い掛けてきた。


「もしかして、知らない人に会うのが怖いのかな。緊張しちゃった?シュネーが嫌なら会わなくていいんだよ」

「……いえ、会います。会いたいです…」


 消え入りそうな声で答える。
 僕が前向きな言葉を発したからか、お兄様はほっとしたように微笑んだ。その表情にまた胸が痛む。


「よかった。でも無理しないでね?気分が悪くなったら直ぐに言うんだよ」


 優しい声が今は辛い。


 ―――おかしい、こんなに胸が苦しくなるなんて。だって、いつものことなのに。


 突然捨てられるなんていつものこと。悪いのは、何も上手くできない役立たずの僕。勝手に傷付いてバカみたいだ。

 確かに、ご主人様に捨てられて傷付くのはいつものことだった。けどこんなに苦しいのは初めてだ。

 どうしてだろう。どうしてこんなに苦しいのかな、辛いのかな…。
 やっぱり、ここの待遇が今までで一番良いからだろうか。痛いこともないし、過ごしやすいし。これまでの生活を考えれば、ここはまるで天国だ。
 僕はたぶん、この夢のような日々を失うのが怖いんだ。

 …そう、それだけ。ただそれだけ。


「………違う…」


 前を歩くお兄様の後を追いながら、誰にも聞こえない声でボソリと呟く。震える足には気付かないフリだ。


「…違う…ちがう…」


 僕はただ、この生活を失うのが嫌なだけ。勿体ないと思うだけ。ただそれだけで、決して"寂しいから"とかではない。
 その場所を去る奴隷は、未練なんて抱いてはいけない。少しの喪失感を抱きながらも、その後は全ての感情を捨てて、次の場所に尽くすのだ。

 主人に、信用と親しみを感じてはいけない。
 奴隷に好意を持つ人間なんて居ないのだから。勘違いするな、お兄様もお父様も、僕に利用価値があったから買っただけ。優しくしてくれただけ。
 その程度の価値すら無かったら、僕は見向きもされないただのゴミだ。

 奴隷は常に冷静に、訪れるもの全てを受け入れるだけでいい。

 信じるな、勘違いするな。
 お兄様はのことなんか好きじゃない。お兄様が好きなのは、大切な弟のだ。


『ロク』を愛してくれる人間なんて、何処にも居ないのだから。

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