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本編

8.お兄様

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 公爵家の次男として買われ、数日が経った。

 相変わらず自分の仕事が何なのかは分かっていない。お父様に探りを入れてみたり、使用人や執事に話しかけて情報を集めようともしたが、全て撃沈してしまった。

 この邸の人達はみんな、隠すのが上手だ。
 僕が話しかけると子供を見るような目で幼稚な答えを返してくるし、お父様も話をはぐらかすためなのか、僕が近付くとぎゅーっとして頬擦りしてくる。
 やっぱり自分で答えに辿り着けってことなんだろう。それにしたって難しすぎる…なんて難癖は絶対つけられないけど。


「おや、おはようございますシュネー様」

「フレン!おはよう」


 邸の長い廊下を進んでいると、向かいから執事のフレンが歩いてきた。
 フレンはお父様の近くに居る数少ない家臣だ。お父様は基本おひとりで執務を熟すことを好むから、それでも傍に置くということは、それ程フレンを信用している証拠だろう。

 僕もフレンのことは好きだ。柔らかい笑みも、皺の寄った眦も優しくて好き。
 年齢はお父様よりもずっと上だと思うけど、仕事をしている時のフレンは僕よりテキパキ素早く動く。有能って感じで、僕の尊敬する人のひとりなのだ。
 フレンは背が高くて、よく抱っこして遊んでくれる。視界が高くなるのが面白くて、任務を忘れて楽しんでしまうくらいだ。それでいつも反省してるけど…。


「今日ね、朝食を残さなかったんだ。きちんと全部食べきったんだよ。お父様にも偉いって褒められた!」


 なんと…!と驚いた様子を見せながら、フレンは自分事のように喜んでくれる。ふにゃりとした柔い笑みが嬉しくて、思わずくふくふ笑ってしまった。


「あっ!ごめんねフレン、話し方…変だったかな」


 敬語じゃない言葉遣いには未だに慣れなくて、たまに緊張が解けるとニコと話す時のような口調で話してしまう。
 邸のみんなは優しいから尚更。知らぬ間に緊張が解けて、品のない話し方をしてしまっているかも。

 初日に話し方を指摘されて無理やり敬語を取っ払ったけど、やっぱり違和感がある。一応貴族の次男を演じている設定だから、確かに使用人に敬語はおかしいんだろうけど…。
 しょんぼりと反省していると、頭上からフレンの穏やかな声が降ってきた。


「変?そんなまさか!シュネー様と会話したものは皆、あまりの完璧な言葉遣いに卒倒してしまうでしょうな」


 顎の白髭を指で撫でながら、フレンは気の抜けるような笑顔でそう語る。


「フレンは優しすぎる…!僕は奴隷だから、本当は話すだけで相手を不快にさせちゃうんだ。みんなを不快にさせるのは嫌だから、なるべく綺麗な話し方をしたいのに…」


 この邸の人達はみんな優しくて好きだ。
 だから、関わるだけで人を不快にさせてしまう僕は、なるべくみんなに近付かないようにしなきゃいけない。
 でもさり気なく避けるとみんな何故か悲しそうな顔をするから、避けようにも避けられないのだ。

 そう言うと、フレンまで悲しそうな顔をしたから驚いた。


「…シュネー様は奴隷では御座いません。正真正銘、このアーレント家の御令息なのです。邸の者は皆、シュネー様を心から大切に思っているのですよ」


 ゆっくりと、幼子に言い聞かせるような。それでいてとても優しい声音だった。
 床に膝をついて、僕を見上げるようにして語るフレンに恐怖は湧かない。敵意とか、打算とか、そういうものを一切感じないからだろうか。
 やっぱりフレンほどの執事ともなると、本音を隠すことなんて朝飯前なんだろうな。実際今、本当に大切にされてるのかもって誤解しそうになったし。

 でも、そこで誤解するほど僕も頭は悪くない。
 大人は本音を遠回しな言葉で包むって、いつだかニコから聞いたことがある。ニコは物知りなのだ。


「うん、わかってるよフレン」

「お分かり頂けたのなら何よりです」


 にこにこしながら頷くフレン。よかった、僕の答えに満足してくれたみたいだ。

 僕は仮にも公爵家の貴族を演じているのだから、使用人に遠慮するような態度を表立って見せてはならない。
 大切に思っているという発言はに向けてのものだろう。彼らが大切に思うのはあくまでシュネーであって、ロクじゃない。
 …ふむ、どうやらこの解釈でちゃんと合っていたらしい。

 僕は今シュネーだから、シュネーに向けてのお世辞にも感謝の言葉を伝えないといけないのだ。


「フレン、ありがとう。僕も邸のみんながとっても大切だよ」


 嬉しそうに笑うフレンを見て、この発言は正解だったのだと知る。
 ロクの本音も含まれていたから不安だったけど、あくまでシュネーの言葉だから、例え本音と被っても問題ないようだ。


「そういえば、シュネー様はこれから何方へ?」


 ふと、フレンがきょとんとしながら問いかけてくる。僕が廊下を歩いていたそもそもの理由が気になったらしい。
 確かに奴隷が妙な動きをしていたら警戒もするか、と考えて納得した。これからは使用人に一言伝えてから動かないと。


「庭に行こうと思って。お父様が公爵邸の庭はとても素敵だって仰っていたから」


 今朝、お父様は『シュネーの為に庭を大きくしたよ』と語っていた。
 初日に邸を訪れた時、庭は一時間でも回りきれない程の広さだったが、それよりも大きくしたとは一体どれほどのことなのか、想像もつかない。

 その庭をこれみよがしに勧めてきたということは、きっとそこに任務のヒントがあるんだろう。そう思い、僕はすぐに庭へ行くことを決意したのだ。


「それは良いですな!直ぐにでも護衛を呼びましょう」

「護衛…?庭に出るだけなのに?」


 くすくすと笑うフレン。まるで何かおかしなことを思い出しているかのようだ。


「ご心配なのでしょう。たとえ庭と言えど、邸から一歩でも外に出るのなら、必ず護衛を付けろと云う旦那様のご命令なのです」


 なるほど、僕を逃がさないための対策か。
 監視を付けなくても逃げる気なんてさらさら無い。けど、これはまだお父様の信頼を得ることが出来ていないという証拠だ。
 これからの行動で、この忠誠をお父様へ示していけばいい。まだ買われたばかりなのだから、信用されないのは当然のこと。

 監視役からの信頼も得られるように頑張らなきゃ。決意を込めて頷いた時、背後から透き通るような声が届いた。



「護衛の必要は無いよ。シュネーは私が守るからね」



 ハッとして振り返る。フレンも驚いたような顔をしていた。
 気配すら感じなかった。もちろん、足音も。それだけでも、この声の主が只者ではないことが窺えた。

 優雅な雰囲気を纏って歩いてくるその人。立ち止まる様子もなく目前まで迫ってきたかと思うと、何の躊躇もなく僕を抱き上げる。
 至近距離で顔を合わせると、彼の息を呑むような美しさに気が付いて目を見開いた。この世のものとは思えない程、陳腐な言葉では語れないくらいの秀麗な男性だった。


「あ…あのっ…?」

「うーん、可愛い」

「……へ?」


 頬に触れる柔い感触。それはチュッと音を立てて直ぐに離れた。
 あまりに速く、流れるような仕草だったので思わずフリーズする。呆然としたまま頬に手を当てて、理解した瞬間顔が真っ赤に染まった。

 それを見てまた「可愛い可愛い」と頬やら頭やらを撫でくりまわしてくるその人。
 間近に見える青色の瞳と、雪のような銀髪でハッとした。冷静に見れば、この人はよく似ている。
 端麗な容姿も、穏やかな雰囲気も。


「あなたは……」


 続く言葉は声にならなかった。
 長い指が僕の唇に柔く触れて、言葉を塞いだから。


「あなた、なんて他人行儀な呼び方は悲しいな」


 既視感がふと。どこかで聞いたようなセリフだ。

 青い瞳が綺麗に光を宿して、体から力が抜けてしまうような、穏やかな色を含む視線が僕を射抜いた。
 体を包む力はどこまでも優しくて、下手をすれば眠ってしまいそうなくらいの安心感がある。ぎゅっと僕を抱き締めたその人は、何故かとても嬉しそうな笑顔で言った。


「お兄様と呼んで?」


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