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本編
7.優しい色
しおりを挟むこれはどういう状況だろう…なんて思ってしまうが、口にはしない。こんなに嬉しそうに話を弾ませているのだ、邪魔をしたらどんな罰を受けるか分からない。
「シュネーは甘いものは好きかい?」
「えっと…食べたことがないので…」
「うんうん、それなら夕食のデザートは甘いものを沢山用意させよう」
僕の曖昧な返事にも苛立つことなく、お父様はどこまでも優しい態度で接してくれる。にこにこ浮かぶ穏やかな笑顔は、徐々に僕の強ばった体や緊張も解した。
奴隷の僕に何の躊躇もなく触れて、尚且つ膝の上にちょこんと乗せている理由だけはよくわからないけれど。背中に感じる温もりが心地良いから、まぁ何でもいいかと思った。
会話の内容はほとんど脈絡がなくて、好きな食べ物とか嫌いなものとか、お気に入りの遊びとかを聞いてくる。
こんな無意味なことを問われるくらいだ、きっと何か裏があるのだろうと考えながらも、それを見抜くほど賢くもなく…。
困惑しながらも、聞かれたことに淡々と答えるだけで、お父様の嬉しそうな笑みが返ってくるからほっとする。
「――それじゃあ、シュネーの好きな色は何色かな?」
「…好きな…色…」
今度の質問は答えが難しい。
色に対して、好きとか嫌いとかを考えたことは無かった。
強いて言うなら、パンが好きだから茶色とか?いや、でも僕はニコと分け合って食べるあのパンが好きなだけで、別に茶色が好きだと思ったことはない…。
あぁでも、ニコの茶色い髪は大好きだ。さらさらだし、ニコの色だし…って、これもパンと同じでニコが好きなだけか。
「……いろ…」
ボソ、と呟いて顔を上げる。ふと、視線の先に澄んだ青色が見えた。
思わずぱちくりしながら動きを止める。じっと見つめると、それはやがて穏やかに弧を描いた。
長い銀色の睫毛が揺れて、綺麗な青色に影を落とす。その小さな動きすら見蕩れるほどの美しさだった。
綺麗な青色…お父様の切れ長の瞳が柔らかく細められる。一連の耽美な仕草を眺めて、やがて無意識に言葉を紡いだ。
「青が好きです」
きょとん。澄んだ青色が丸くなって見開かれる。
「青…それはどうして?」
「えっと…優しい色だから」
「優しい色…?」
青、と言ってすぐに思い浮かぶのは青空だ。
空がどんよりしていたり、灰色の雲に覆われていたり、体調を崩しやすい雨の空は気持ちが沈む。けど、青空はその逆だ。
あったかくて過ごしやすいし、具合が悪くなって辛そうな仲間もいない。
雨の日に体調を崩して、それが良くならなくて、そのまま処分された仲間を何度か見たことがある。晴れの日では、見たことがない。
だから、僕は晴れの青空が好き。それだけならきっとまた、青じゃなくて晴れの空が好きなだけかもってなるけど、たった今実感した。
僕は青が好きなんだ。
見上げると視線が合う。宝石みたいに輝く瞳が綺麗で、そしてそれはきっと優しい青色だから。
胸が暖かくなる。この気持ちをくれる青色は、優しくて好きなんだと思う。
「お父様の瞳は優しいです。なので僕は青色が好きです。お父様の色の…青色が好きなんです」
お父様がどんな方なのかは、まだ分からない。
もしかしたら以前の環境で与えられた痛みより、もっと辛い痛みを与えてくる人かもしれない。今はまだ命じられていないけど、この方の閨を任されることもあるかもしれないし…。
けど、そんな未来がちっぽけに見えるくらい、僕はお父様への大きな恩を感じている。大切な仲間を救ってくれたし、今世では縁がないと思っていた綺麗な服も着れたし、暖かい邸の中にも入れてくれた。
奴隷としての思考が、お父様を既に最高の主人だと称えている。これだけの恩を頂いたのだ、どんな命令でも従う覚悟は十分過ぎるほど出来ている。
「シュネー…!!」
わなわなと体を震わせていたお父様が、やがて感極まったように僕を強く抱き締めた。
「私も、シュネーの碧色の瞳が大好きだよ。これ程美しい瞳を持つのはシュネーだけに違いない…!」
「お父様…」
きっと都合のいい錯覚だろうけど、お父様の僕を見る瞳が、まるで愛おしいものを見るように和らいだ気がした。
ほんの一瞬のことだ。瞬きしたら錯覚も消えて、自分の妄想に恥ずかしくなった。僕を愛おしく思う人間なんて居るはずないから。
でも、この柔らかい笑みからは、少なくとも僕を嫌っている雰囲気は感じられない。不安だったが第一印象は上手く与えられたらしい、顔合わせは成功と言って良さそうだ。
「…この目、綺麗…ですか?」
「勿論だ!この碧い瞳はシュネーだけが持つ、特別な瞳なんだよ」
嬉しそうに笑うお父様を見て、なんだか僕も嬉しくなった。主人の喜びは僕の喜びだから、当然と言えば当然だけど。
お父様の言葉を聞いてようやく納得出来た。どうしてお父様が出来損ないの僕を選んだのか。
やっぱり、この瞳が理由なんだ。今までも僕の瞳を理由に買ってくれた主人は多かったけど、お父様もその一人らしい。
貴族だから、たとえ奴隷を買うにしても見目を重視するのかもしれない。珍しいものを好むというのも聞いたことがあるから、お父様には僕の瞳が尚更魅力的に映ったんだろう。
「そうだ!もし良ければ、おひとつ差し上げましょうか?」
いいことを思いついた。
思わずくふふと笑って提案してみる。最初の恩返しだ、きっとお父様も喜んでくれるに違いない。
そう思って見上げたのだが、視界いっぱいに広がったのは嬉しそうな笑顔ではなかった。そこにあったのは何故だか困惑したような、ぽかんとしたような表情。
掠れた静かな声で「それは…どういう意味かな」という呟きが返ってきたので、伝わってなかったかと反省する。そういえば主語を忘れていた。
「瞳です!お気に召したようなので、おひとつ差し上げようと思って。目はふたつあるので、おひとつならお渡し出来ますよ!」
にこにこ笑って答えたが、お父様は黙り込んだまま何も返してはくれなかった。
これは…喜んでいるのかな?"沈黙は肯定"ってニコから聞いたことがある。欲しい、っていう無言の返事なのかも。
そうと決まれば!と片目に手を伸ばす。あれ、目ってどうやって取るんだっけ?と首を傾げた時、手首を強く掴まれた。
「え…っ…お父様??」
片目をとる為に伸ばした右手。その手首を強く掴む大きな手は、何故か小刻みに震えていた。
見上げてぎょっとする。
お父様の綺麗な笑顔が酷く青ざめていた。笑顔も消えて、無表情に近い悲しそうな表情だ。想像とは違う反応に驚いて、目を取ろうとした手から思わず力が抜けた。
ゆっくりと、まるで幼子に言い聞かせるような震えた声で、お父様は語る。一度辛そうに、唇を引き結んでから。
「体を、粗末にしてはいけない…。瞳も…勿論手も足も、愛らしいその顔も…人に渡してはいけないんだ」
「あ…そうなのですね。初めて知りました…」
お父様が喜んでくれるならと、ただそれだけを思って渡そうとしていたけれど、どうやらそれは認められていないらしい。
今までは、自分の体は主人に差し出す上で最も準備しやすいものだったから。だから知らなかった。ここではそれが通用しないのか。
流石に手や足を主人に捧げようと思ったことはない。もちろん瞳も。けど、体は当然のように差し出していたから同じことだとばかり…。
しょんぼりと肩を落とす。そんな僕を見下ろしたお父様は、一体何を思ったのか目をぎゅっと瞑って、泣くのを堪えるような顔で、僕を向かい合うようにひっくり返す。そして痛いくらいに抱き締めた。
目の前にはお父様のネクタイが見える。暗い視界でぱちぱちと瞬きしていると、頭上からほんの微かな嗚咽が聞こえてきた。
しくしくと、まるで啜り泣くような…"泣く"?
「お父様、泣いてらっしゃるのですか?」
慌てて腕の中から抜け出そうとするが、僕を抱く力は一向に弱まらない。
どうしたものかと眉を下げた時、頭上の嗚咽が一瞬止んで、代わりに胸がぎゅーっと締め付けられるような、辛そうな声が降ってきた。
「――私に…泣く資格なんて…」
小さな懺悔のような呟きが、僕の耳に届くことは無かった。
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