奴隷上がりの公爵家次男は今日も溺愛に気付かない

上総啓

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本編

6.ご主人様はお父様

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「緊張する…」


 ふかふかのソファに姿勢良く座りながら、震える声で呟いた。身を包む上物の洋服と艶々になった髪には、未だに慣れない。
 そわそわと揺れそうになる体を抑えて、扉が開くのを待ち続けた。





 公爵邸に着いたのは数十分前。
 馬車を降りて直ぐ、邸のあまりの大きさに放心していた僕を抱き上げたユルゲン様に、問答無用でこの部屋に連れられたのは記憶に新しい。
 ここで待てと言われたので、大人しく床に座った時は何故か唖然とされた。またもや苦しそうな顔をしたユルゲン様に、無言でソファに移された理由はいまいち分かっていない。

 その後、部屋を出て行くユルゲン様と入れ違いで、数人の使用人…メイドさん達が入って来て、僕の周りを取り囲んだ。びっくりして変な声を出しそうになったけど、必死に堪えた。
 彼女たちは目配せし合うと深く頷き、何やら強い意志を持った視線で僕を貫く。これまた立ち上がって促された先には、大きな浴場があった。

 戸惑う僕を置き去りに、メイドさん達は何故かそそくさと僕の服を取り払っていく。驚いたが、逆らってはまずいと声を殺した。
 彼女たちは僕の薄汚れた体を綺麗に磨き上げて、全身に香油を塗ってきた。もしかして閨の準備だろうか?とも思ったが、どうやらそれも違うらしい。

 浴室を上がって着せられた服は、どう見ても閨向けのものでは無かった。白いブラウスに揃いのハーフズボンとジャケット、明らかに外向けの格好だ。
 乱れてパサパサだった髪は、何をされたのか凄く艶々になっていた。長さも切る間もなく伸びきっていたが、リボンでひとつに括られると、パッと見では清潔感すら与えるような見栄えになった。

 全ての過程が終わった頃。灰色に薄汚れていた髪は、幼い頃見た以来の純白に戻っていて、前髪が流された為に、碧い瞳もよく見えるようになっていた。





 そうして僕を人形の如く着飾ったメイドさん達は、仕事を終えた後そそくさと部屋を出て行ってしまった。
 ここの使用人は、今まであった人達とはどこか違うらしい。その証拠に、僕のお腹の傷を見ても不快な顔ひとつせず、むしろユルゲン様みたいな苦しそうな顔で薬すら塗ってくれたくらいだ。
 大貴族で仕える使用人ともなると、仕事の合間に奴隷を痛め付ける暇すら無いのかもしれない。

 慣れない高価な服装に緊張が高まってきた頃、部屋の扉が静かにノックされた。どこか躊躇うようなその音に、一瞬首を傾げた。


「は、はい!」


 返事をして直ぐに口を手で塞ぐ。やらかした…緊張し過ぎて大きな声を上げてしまった。
 貴族は大きな音を嫌うと聞いたことがある。騒がしいものが苦手だと。どうしよう…ここに来て間も無いのに、もうこんなミスをしてしまうなんて。
 折檻まではされないといいんだけど…身を縮める僕を置き去りに、部屋の扉がゆっくりと開いた。



「――…あ…あぁ…!!」

「……へ…?」



 思わず、ぽかんと間の抜けた表情を晒してしまった。

 恐る恐るというように入って来たその人は、僕を視界に入れるなり滝のような涙を溢れさせて崩れ落ちた。
 上品な身なりの、見るからに常人では無い威厳を持ち合わせた綺麗な男性だ。キラキラした雪のような銀髪を、前髪ごと後ろに流した髪型が大人っぽくてすごく素敵。
 整い過ぎている美形で年齢は推測出来ないが、この圧と貫禄だ、きっと見目の若々しさよりも歳は上なのだろう。


「あ、あの…大丈夫、ですか…?」


 如何にも貴族っぽい男性が崩れ落ちているのに、奴隷の自分が呑気に座っているわけにいかない。そう思って立ち上がり、男性から三歩程離れた場所で僕も膝をつく。
 あまり近付きすぎると「汚い」と罵られて殴られてしまうので、目上の方には触れないのが重要なポイントだ。
 相手から触れられない限り、奴隷は貴族に近付いてはならない。分かってはいても、目の前で涙を流す男性があまりにも綺麗で、思わず手が伸びそうになった。

 しばらく無言で待っていると、やがて男性は溢れていた涙を止めた。よかった、ようやく落ち着いたみたいだ。
 ほっとして微笑む僕を見て、男性も嬉しそうに泣き笑いのような表情を浮かべる。なぜだろうか、この人には恐怖も不安もあまり湧かなくて、体から力が抜けてしまう。
 心の底から浮かべているような、優しい笑みが原因だろうか。何にせよ、さっきまで抱いていた強い緊張が薄れていることは確かだ。


「すまないシュネー、少し…感激してしまって…」

「い、いえっ!そんな…!」


 にこやかに語る男性に慌てて首を振る。直後に彼がきょとんと目を丸くしたことには気付かず、ふと思った。

 この人も僕をシュネーって呼んでる。
 ユルゲン様が僕の新しい名をこの人に伝えたのかな。じゃあ、この人も僕の主人?
 そこまで考えてハッとする。そうか、この人は…――


「その話し方…何だか距離を感じて悲しいなぁ…。いつものように、お父様と呼んで抱きついてはくれないのかい?もしかして久々だから緊張しちゃってるのかな」

「………お父様??」


 お父様。その言葉が気になり過ぎて、後のセリフは何も頭に入らなかった。
 男性は何やら悲しそうに微笑んでいるが、それがどうしてなのかとか、そういうことを思考する暇はなかった。ただ、この人の正体を何となく察した直後だったから、お父様という言葉が強く残ったというだけ。

 緩んでいた気がまた張って、抜けていた力が体に篭って表情も強ばっていく。目の前に居るのが、今まで会った中で最も位の高い人物である事実に、本能的に萎縮したのだ。


「ぁ…も、申し訳ありませんっ…!あのっ、その…」


 奴隷が馴れ馴れしく話しかけて、気分を害さなかっただろうか…。あたふたと惑いながら謝ると、男性はまたきょとんとして目を瞬かせた。
 やがて何かに気付いたように目を見開くと、青ざめた顔で小さく震え始める。


「ま…まさか…私のことが、分からないのかい…っ?」

「すみませんっ…!こ、公爵様…ですよね…!」

「公爵様!?」

「ひぇっ…ご、ごめんなさいっ…!!」


 あれ、公爵様じゃないの…?僕の名を呼んで、何よりここに居るってことは、新しいご主人様だと思ったんだけれど…。
 もし間違えてたなら不敬にも程がある。反射的に頭を床に伏せて謝罪したが、こんなので許して下さるとは思えない。

 公爵様、と呼んだ時の、彼の衝撃的な様子の顔が頭から離れない。心底驚愕したような、信じられないとでも言うような表情だった。
 折檻は覚悟しないと…なんて思いながら震えていたが、目の前の気配が一向に動かないのでちらりと顔を上げる。見上げた先には、生気の抜けたような、蒼白した男性の顔があった。
 何か言葉を発する様子も無いので、恐る恐る下から問いかけてみる。


「…こ、公爵様では…ございませんでしたか…?」


 聞き方に迷って、結局一番まずい問いの仕方をしてしまった。普通に「どなたですか」とかでいいのに、こんなんじゃ怒りを増幅させてしまうだけだ。
 これで本当に公爵様じゃなかったら、折檻どころか不敬罪で殺されてしまうくらいの無礼だ。固唾を飲んで答えを待つと、やがて男性がようやく口を開いた。


「…あぁ…いや…公爵で間違いない。マチアス=アーレント、公爵家の当主で…君の、父親だ」

「公爵様…当主様?」


 にこ、と微笑む公爵様の顔には、何処か痛々しいまでの悲痛が滲んでいる。何故なのかは、分からないけれど。
 弱々しく首を横に振ると、公爵様は震える声で答えた。


「出来れば…その…お父様と呼んで欲しい」


 小さく呟かれたに頷く。「お父様」と呼び方を訂正すると、公爵様…お父様は、嬉しそうに笑った。

 なるほど、今度の任務は公爵家の子供を演じることか。
 わざわざ奴隷に演じさせるくらいだから、きっとただのスペアとかでは無いのだろう。危険が伴う任務なのかもしれない。
 考えられるものとしては、跡継ぎの影武者…とかかな。馬車でユルゲン様に聞いた話だと、お父様には嫡男が居るらしいし。


「お父様、僕はここで何をすれば良いのでしょうか」


 考えていても仕方ない。任務内容は早めに聞いておいた方がいいだろう。
 そう思い問いかけたは良いものの、返ってきたのは予想とは全く違う答えだった。

 にこにこと嬉しそうに笑いながら、公爵様は優しい声音で語る。


「公爵家の次男として、自由に楽しく暮らすこと。それがシュネーのお仕事だよ」


 目を見開く。
 そんな命令は初めてだ。閨とか家畜の世話とか、今まではそういうことしか命じられなかった。けど、公爵様…いや、お父様は違うらしい。
 これほど難しい仕事を命じられたのは初めてだから戸惑ってしまう。やっぱり公爵家ともなると、奴隷に与える任務も難解になるんだなぁ…。

 とにかく、今のセリフを言葉通りに受け取るのは違うんだろう。あまりに命令が抽象的過ぎるし、きっと別の重要な仕事があるはず。
 なるほど、僕は試されているのか。本当に使える奴隷なのかどうか。与えられた仕事が何なのかを理解するところから、既に任務は始まっている…こういうことか!

 少し難しいけれど、買われたからには期待に応えたい。今のところお父様は穏やかで優しい。それに、何よりニコ達を平民にして普通の暮らしが出来るようにしてくれたことには、間接的に公爵様が関わっているはず。個人的にも恩返しがしたいのだ。
 決意の篭った表情で見上げ、視線の先にいるお父様に宣言する。


「僕、頑張ります!!」

「…?うん、疲れない程度にね」


 ぽんぽんと頭を撫でる手が驚くほど優しかったものだから、思わず溢れそうになった涙を必死に堪えた。
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