奴隷上がりの公爵家次男は今日も溺愛に気付かない

上総啓

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本編

2.侵入者

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「お前が六番か。窓越しに見た通り、やはり美しい少年だな」


 前髪を両サイドにくるりと巻いた…言ってしまえば変な髪型のこの人が屋敷の主人、ゲイル様だ。
 でっぷりと太った体型で、お世辞にも小綺麗な身なりとは言えない。派手な色の服を常に身に纏っていて、一部の奴隷達の間では、裏で『成金』と嘲笑われていた。言われてみれば確かにそれっぽい見た目だ。

 ゲイル様は短気なことで有名だから、苛立たせないよう最大限の注意を払って跪く。声が震えそうだったが、精一杯凛とした姿勢で頷いた。


「…あの…ご要件は…」


 ソファに深く腰掛けるゲイル様が「ほう…声も愛らしいな」と興奮したような声で語る。拳をギュッと握り締めて、全身に立ちそうな鳥肌を必死に堪えた。

 そういえば、ゲイル様は閨の相手に少年を好むと聞いたことがある。よく娼館から幼い男娼を買っては傍に侍らせているというのも。
 もしかして…と湧き上がった嫌な予感は、やはりと言うべきか、的中してしまった。


「六番、お前に私の男娼となる栄誉を与えよう。この私専属の性玩具となるのだ、喜ばしいことだろう?」

「…。…はい、光栄です」


 絞り出した声は掠れていた。
 何となく、そうだろうなという気はしていた。ゲイル様は少年を好むし、ちょうどという年頃の僕に目をつけるのはおかしい事では無い。
 僕以外の奴隷は皆、痩せてはいるが長身の者が殆どだし、例えばニコだってかなり体格がいい。きっと、その中で唯一小柄な体付きをしている僕が目立って見えたのだろう。

 ゲイル様は「奴隷から私専属の玩具となったのだ、こんな高待遇は他に無いぞ」と上機嫌で語っているが、こちらからしたら絶望でしかない。

 性奴隷として稀に閨を任されるならともかく、奴隷が主人専属の男娼になるということは実質的に余命を宣言されたのと同義だ。少年を好むゲイル様が相手なら尚更。
 奴隷は物だから、壊してしまっても咎めなど無い。飽きた玩具を壊して捨てるのと同じ要領だ。つまり、僕が成長してゲイル様の興味から失せた時、僕は間違いなく処分されてしまう。
 今の年齢は十三だから、長くてもあと二年程の命だろう。


「ふむ…まずは具合を確認するか。六番、こちらへ寄れ」


 従順に返事をして傍へ向かう。
 今更この命に長引かせる価値は無いけれど、出来るだけ死を先延ばしにしたい。せめて、ニコに会うまでは。
 ニコには戻ってこいと言われているし、一度姿を見せないと怒られてしまう。ゲイル様の男娼になったとそれとなく伝えれば、きっと全てを察してくれるはず。

 早くニコに会いたいな…。
 そんなことを思いながらも、事は着々と進んでいく。手を伸ばせば届く距離にまで近付くと、ゲイル様は僕の腕を掴んで強引に抱き寄せた。
 服が破けそうなくらいの勢いで張っている服。その下に隠された脂肪に乗り上げるように、ソファに腰掛けるゲイル様の膝の上に座り込む。
 すぐに服の中に手を入れられ、脂ぎったゲイル様の手が無遠慮に肌を這う。背中を直で撫でられ、零れそうになる嗚咽を必死に堪えた。


「おぉ…!なんと滑らかな肌なのだ!触り心地の良い素晴らしい肌だな。気に入ったぞ!」


 荒い息が耳朶にかかる。
 ゲイル様は衝動を抑えきれない様子で立ち上がると、移動した先で僕をベッドに放った。豪奢な飾り付けがされたそのベッドは、体の大きなゲイル様が余裕で寝転がれるくらいの広さだ。


「服を脱げ、六番」


 ゲイル様は上機嫌でベッドに乗り上げ、こちらに手を伸ばしてくる。掠れた声で返事をして、震える手でなんとか衣服を脱いだ。

 ゲイル様は、僕のお腹の傷を見て一瞬不愉快そうに顔を歪めたが、すぐに「背を向けてうつ伏せになれ」と命令してきた。
 やはり奴隷の汚い傷を見るのは嫌いらしい。この傷に少し感謝した。正面で向き合って触れられるよりも、背を向けてした方が何倍も耐えられる。

 命令通りうつ伏せに倒れ、強く目を瞑ったまま次の動きを待った。
 ギシッとベッドが軋む音が鳴り、数秒後には背中と太腿に大きな手が這って息を呑む。撫でたり揉んだりと、まるで柔らかさを確認するかのような手付きだ。


「っ……」


 何度経験しても、この行為にだけは未だに慣れない。体は従順に動くようになったけれど、心ではまだ僅かな抵抗を捨てきれていないのだ。

 小さく頭を振って雑念を振り払う。余計なことは考えず、ただ従順に受け入れているだけでいい。そうすればすぐに終わるのだから。そう自分に言い聞かせて、口を手で塞いで嗚咽を堪える。
 背中を這う手が足の付け根の部分に辿り着き、その中心に触れようとした時。

 窓の外から、僅かに騒々しい喚き声が聞こえてきた。


「何の騒ぎだ…!!」


 苛立たしげに吐き捨てたゲイル様が、僕の体から手を離して上半身を起こす。後ろから覆い被さっていた重さが消え、無意識に止めていた呼吸をゆっくりと再開した。

 その数秒の間にも騒ぎの気配は大きくなっている。
 さっきまで外から聞こえていた声は、気付けば屋敷の中からも聞こえるようになっていた。下の階からドタドタと、忙しなくも騒々しい足音と声が耳に届く。
 足音は複数聞こえた。沢山の足音が確実にこの部屋へ向かってきているのが分かって、抑えていた体の震えが止まらなくなる。

 この場から逃げたいという気持ちが強く湧いたが、主の命令無しでは起き上がることも出来ない。
 奴隷の体は命令のみに従うように躾られているのだ。


「くそッ、まさか…!!」


 呆然としていたゲイル様が我に返る。慌てたように目を見開くと、突然僕の体を後ろから強引に起き上がらせた。

 今朝殴られたばかりのお腹を片腕で圧迫される。
 思わず「くッ…!」と小さく呻いてしまったが、ゲイル様がそれを気にしている様子はない。むしろ僕が苦痛で顔を歪めていることにすら気付いていないようだ。
 ベッドに座り込むゲイル様に、後ろから拘束される姿勢。視線の先には部屋の扉があり、複数の足音が着実に近付いてきている。

 一体何が起きているのか、突然の出来事に理解が追い付かず混乱した。そんな僕を置き去りに、事態は刻々と進んでいく。
 少しの間を空けて、部屋の扉がバンッ!と音を立てて勢いよく開かれた、その瞬間。


「――来るなァ!!」


 耳元で響いた声にビクッと体が揺れた。
 威勢のいい大きな声だが、声は上擦って震えている。僕を拘束する手も、ガクガクと小刻みに震えていた。首元に冷たい金属の感触がしたかと思い視線だけ落とし、思わず息を呑む。
 空いた片方の手で首元に突き付けられていたのは、鋭利な刃の短剣だった。


「……ぁ…」


 声は出なかった。まるで失われたかのように。
 目の前には、扉を蹴破って侵入してきた数人の男達が立っている。皆、拘束され短剣を突き付けられた僕を見て目を見開いていた。
 その中の一人が目のやり場に困ったかのように一瞬視線を逸らしたのを見て、今の自分の格好を今更ながら思い出す。

 そうだ、いま僕…素っ裸なんだった…!


「…ゲイル=フォードだな。悪い様にはしない、今直ぐその少年を離すんだ」


 冷静な表情でそう語り掛けてきたのは、集団の先頭に立っていた茶髪の男だ。数人の男達は全員同じ服装だが、この人だけそれに加えてマントを羽織っている。
 周囲と一線を画す威厳に、状況も忘れて息を呑んだ。


「だ、黙れ!!近付くな…ッ!一歩でも近付けばこいつを殺す!!」


 死なせたくなければ私を逃がせ。そう叫ぶゲイル様に、彼らが顔を顰めたのが見えた。
 どうやらゲイル様は、この人達に捕えられる寸前らしい。少し冷静になった頭で考えれば状況を理解出来た。

 彼らは恐らく騎士だ。見たことは無いが、ニコに聞いたことがある。騎士は皆同じ制服を着ていて、腰に剣を提げていると。
 そして騎士は、身分問わず誰が相手でも平等なのだと。
 流石に人権を持たない奴隷にまで平等では無いと思うが、どうして彼らは攻撃を躊躇しているのだろうか。もしかして、僕のことを奴隷だと思っていないとか…?

 それなら納得出来る。今まで一度だって、奴隷に友好的に接してきた人間は見たことがない。きっと彼らも僕が奴隷であると知っていれば、ゲイル様の脅しに耳を貸すことすら無かっただろう。
 ここで死ぬか、万が一の可能性で生き延びるか。どちらになるかは分からないが、生き延びる可能性に賭けて奴隷であることは悟られないようにしよう。
 いつ死んでも構わない。けど、今だけはダメだ。ニコのもとに戻って、もう一度会うまでは死ねない。


「…分かった、お前を見逃す。だが先ずは少年をこちらに…」

「駄目だッ!!私を逃がすのが先だ!!」

「――…っ…ぅ…」


 頭に血が上ったような、錯乱したような叫びようだった。同時にゲイル様の腕に力が篭って、腹の傷が更にその腕で締め付けられる。
 寸前で唇を噛み締めて堪えたが、ほんの小さな呻き声は妙に部屋に響いてしまった。

 瞬間、突如静寂が広がる室内。
 恐る恐る顔を上げて目を見開いた。視線の先に居る騎士達が、みんな怒りを滲ませた表情でゲイル様を睨み付けている。
 そっと見上げると、ゲイル様は怯え切った顔で震えていた。騎士達の恐ろしい形相に放心してしまったらしい。


「――…!来い!!」


 僅かに、ゲイル様の腕の力が緩む。
 その隙を茶髪の騎士は見逃さなかった。

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