奴隷上がりの公爵家次男は今日も溺愛に気付かない

上総啓

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本編

1.ロクの日常

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 使用人の制服をゴシゴシと丁寧に洗う。素手で洗おうものなら汚いと罵られ、せっかく洗った服を捨てられてしまうので、洗濯の時は手袋が必須だ。

 ついさっき屋敷内の掃除をしていた使用人たちに蹴られた腹が痛む。だが、骨は折れていないようなので今日は運が良い方だ。いつもならもっと蹴られたり殴られたりするのだが、どうやら今日は時間が無かったらしい。

 屋敷内の掃除が担当なのに、窓から僕の姿を見つけてわざわざ出てきた辺り、彼らは暴力に味を占めたようだ。仕事のストレスを奴隷への暴力で発散しているのだろう。
 奴隷は人間ではなく所有物の扱いになるから、暴力という表現もおかしいか。きっと彼らにとっては、たまたまその辺に落ちていた玩具を壊そうとした、という程度の認識なのだろう。
 まったく困ったものだが、こういう扱われ方は奴隷である以上受け入れざるを得ない。そもそも僕たちに拒否権など無いのだから。

 よく乱暴してくるのは屋敷内の使用人たちなのだが、僕自身は屋敷内に入ったことは一度もない。というか、奴隷は屋敷に入ることを禁じられている。寝る場所は豚小屋の隣にある粗末な小屋だ。影も天井も薄いので冬になるととても寒いが、みんなでぎゅうぎゅう詰めになって寝れば結構あったかい。


「ロク!」


 と、そんな感じでのんびり考え事をしながら洗濯を終えた頃、後ろから僕を呼ぶ声が聞こえた。ちなみにロクは『六番』という意味だ。この屋敷に六番目に来たから、ロク。
 振り返ると、こっちへ向かって走って来る茶髪の少年と目が合った。
 彼は僕と同い年で十三歳の少年、二十五番目に来た奴隷のニコだ。


「ニコ、家畜の世話は終わったの?」

「おう!バッチリだ。昼時だから飯持ってきてやったぞ、今日は残飯が多くて得したぜ!」


 そう言ってニコが差し出してきたのは、手のひらサイズのパン一つ。最近は何も食べられない日が続いていたから、これは大量と言える。
 流石ニコだ、きっと残飯を捨てるゴミ箱の陰にずっと潜んで待ってたんだろうな。家畜の世話をいつもより早く終わらせたのもこの為だったんだろう。


「すごい…!でも…これはニコが手に入れた貴重なパンだ。ニコが食べるべきだよ、僕はまだ数日は我慢できるからさ」


 本当は今にも死んでしまいそうなくらい空腹だったが、そんな本音は隠して笑顔でそう伝えた。
 仮に今夜僕が餓死したとしても、それはそれで別にいい。むしろ一人いなくなって食料にも余裕が出るし、死ぬのも悪いことじゃない。ここはいつ死んでもおかしくない虚弱な僕じゃなく、ニコが全部食べて力をつけるべきだ。

 そう思っての返答だったが、意外にもニコの反応は予想とは全く違った。呆れたように溜め息を吐いたかと思うと、パンを半分こにして片方を僕に手渡してくる。
 手渡す、と言うより、押し付ける、と言った方が正しいか。


「そんな痩せこけた顔で何言ってやがる。いいから食え、奴隷が減ったら減ったで、残った奴に仕事が増えんだよ」

「あ、なるほど」


 確かにそうだ。その考えはなかった。
 僕はやっぱりまだまだだな。ここでの生活は僕の方が先輩だけど、奴隷としての考え方はニコの方が大人だったらしい。

 人数が減ったら食べ物の問題も少しは無くなると思っていたが、それならそれで仕事が増えて、結局疲労で死んでしまうのか。
 それなら少しの空腹は我慢して、みんなで仕事を頑張った方が余っ程いい。


「ごめんニコ…考えが足りなかった。パンはありがたく貰っておくよ」

「…ん。まぁ、それでいいや。お前がちゃんと飯食ってくれんなら」


 一瞬眉を下げて笑ったニコに首を傾げて、貰ったパンをはむっと口にする。パンなんて久しぶりに食べたから、嬉しくて瞳が輝いた。
 ものの数秒で無くなったそれに肩を落とす。しまった、夜の分も残しておいた方が良かったかな。
 焦る僕にニコがぽんっと肩を叩いてくる。顔を上げると、安心しろと言うように胸を張るニコが言った。ポケットから薄汚れた布を取りだし、何かを包むように畳んでいたそれを開いて。


「もう一つあるんだなぁこれがっ!」

「う、うそ…!」


 今日の使用人達は、どうやらあまりお腹が空いていなかったらしい。ニコの手にあるパンを見て頬が緩んだ。
 これは夜のご馳走な、と笑うニコにこくこく頷く。


「…!」


 パンを布に包んだニコが、突然ハッとしたように目を見開いた。

 背後から足音が聞こえ、それが確実にこっちへ向かってきていることに僕も遅れて気が付いた。
 慌ててニコとしゃがみこんで洗濯物に向き直り、仕事をしているフリをする。既に洗濯は済んでいるが、何かしている姿を見せなければ、サボりと看做されて拷問を受けてしまうのだ。

 洗ったばかりの服を、水の張った籠に放り込む。
 無言で手を動かし続けた数秒後、背後で足音が止まった。恐る恐る振り向くと、そこには案の定不快そうな顔をした屋敷の使用人が立っていた。


「六番はどっちだ?」

「……っあ…ぼ、僕です…!」


 使用人に名前を呼ばれるのは初めてで、思わず反応が遅れてしまった。鞭打ちを覚悟して頭を下げるが、小さな舌打ちが降ってきただけで痛みは一向に訪れない。

 恐々としながら使用人の言葉を待っていると、刺すような声で「来い」と命令され困惑する。
 一瞬隣に跪くニコと視線が合ったが、ニコも戸惑った顔をしていた。


「…はい」


 考えている暇も無いので、とにかく従順に頷いた。ここで拒否すれば最悪殺されてしまうからだ。
 奴隷はあくまで物であり玩具。思い通りにならない玩具は必要無く、自我を持って抗う物に価値は無い。

 立ち上がる直前、耳元でニコが囁いた。


「…ちゃんと戻ってこいよ」


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