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四章

128.とある獣人の傲慢な願い(ガウ視点)

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 稀に思うことがある。
 本当に、私のような下賤な獣人奴隷がこんなにも幸福な日々を送っても良いものなのだろうかと。

 生まれ落ちたその時から、私は汚らわしい『所有物』でしかなかった。他の獣人達も皆そうだ。
 物心ついた時には、首には奴隷の証である首輪が嵌められ、身体のどこかには常に焼印が刻まれていた。その二つの証は、主が変わると同時に新たなものへと変化していく。
 何度上書きされたか、十を超えた辺りで数えることをやめた。何度も焼印が上書きされ続けた肩はほとんど爛れてしまい、主の御目を汚す塵も同然となってしまった。

 首輪は容赦なく喉元を絞め付け、言動だけでなく呼吸までをも制限される。
 主の命令は絶対。従わなければ首輪がお前の喉を潰すぞと散々脅されてきたが、そもそも従わないという選択肢は此方側には無かった。
 どんな仕組みなのかは知らないが、抵抗したいと思っても身体がその意識に従ってくれることはない。主が強く放った『命令』は、強制的に私の身体を動かした。
 魔術や呪いの類だろうかと悟った時には、最早抵抗の意思など考えることもなくなっていた。

 獣人は下賤な生き物。反抗や抵抗などが許されていいはずがない。
 ただ忠実に主に従い、命令を遂行し、主が飽きれば捨てられ、悪い時は“処分”される。これらは常識であり、理不尽と捉えてはならない。
 家畜以下の扱いを受け、果ては朽ちるように死んでいくことこそ、我々獣人の本望。

 中には自らの意思を捨てることが出来ず、頭の中では主へ憎悪を募らせるような者もいたが、少なくとも私は彼らのように強くはなかった。
 この首輪に、焼印に、逆らうことなど生涯出来るはずがない。

 けれど、本当は少しだけ、祈っていた。
 もしもこの枷から解き放たれることが出来たなら。
 苦痛に塗れた縛りがない、そんな日常を送ることが叶うのなら。

 ──本当は、浅ましくもそんなことを願っていた。



 ***



 いつからだろうか。
 あれほど本心では解放されたいと望んでいたのに、首輪や焼印が身に刻まれていないことを嘆くようになったのは。
 そう、あれは……あの感覚を抱き始めたのは、今までの主とはまるで違う……いや、どの人間とも違う、浮世離れしたあのお方と出会ってからだ。

 あのお方は……主人であるルカ様は、あまりに眩しい人だった。
 マフィアの家系に生まれ、影も闇も散々その瞳に映してきただろうに、それでも眩い光を失わない天真爛漫な姿。純真無垢な表情と、言動と、優しい声音。
 下賤な身である私をあろうことか『家族』と称した主様は、言葉通り、私を奴隷のように扱うことは決してなさらなかった。

 首輪を嵌めることも、焼印を刻むこともない。
 自由であってくれと、主様が私に望んだことはそれだけだった。
 命令と言えるものは、それこそ『ご飯を一緒に食べてくれ』だとか『お化けの本を読んで夜が怖いから一緒に寝てくれ』だとか、拍子抜けするほどそんなものばかり。

 今までは主からの命令というものに、本心では多少の嫌悪感を抱いていた。
 だが今は、主様からの命令を待ち望む自分がいる。なぜなら、主様から命じられることの全ては、どうしてか心に温もりが宿るものばかりだからだ。

 主様の楽しそうな笑顔を見ながら口にする食事は、硬いパンだろうと温い牛乳だろうと至上の美味に感じる。
 主様と共にする寝床は、かつて『行為をしろ』と命じた主と共に入った最高級の寝台よりも、遥かに柔く暖かいものに感じる。

 主様から紡がれる言葉は、全てが清廉な鈴の音の如く透き通っているように思えた。


『ガウ、おれがこわい夢みておねしょしちゃったのは、だれにもないしょだからな?ふたりだけの、ひみつだからな?』


 夜中に泣いて目覚めた主様の中心がジメッと濡れている。そんな時、涙で濡れた真っ赤な顔で語られる言葉が愛おしくて堪らない。毎日がそんな出来事と悶絶の繰り返しだ。
 愛らしい主様。私だけの救世主。あのお方の為ならば、泥を啜ったって、この身を投げ出したって何だって構わない。
 当然、再び焼印の痛みを味わうことも、呼吸すら制限されるあの首輪を嵌めることだって。

 寧ろ、それを強く望んでいる自分がいる。
 主様の色に染まりたいと、そう思っている自分がいる。未だに上書きがされておらず、私の所有権はあくまで以前の主の手に握られたまま。それをどうにか奪い去ってほしいと。
 下賤の身である私が、自ら主様に懇願するなど恐れ多い。私から『私を確実に貴方のモノにしてくれ』だなんて、あまりに不敬で言えるはずがなかった。

 それを今になって、酷く後悔している。
 焼印はあくまで証のようなものというだけ。そう思っていたから、まさか焼印にあれほどの強制力があったなんて知らなかった。
 分かっていれば、地面に頭を伏せてでも主様に嘆願したはずだ。

 私に首輪をつけてくれ、焼印を押してくれ、貴方のモノにしてくれ、と。

 主様が望むから、私は単なる純粋な『家族』でいようとした。
 だが本心は違った。確かに主様の『家族』として自由に過ごせたことは嬉しかったが……それ以上に、物足りなさの方が勝ってしまった。

 今の関係は不安定にも程がある。家族という関係は口で言ったというだけの曖昧なもので、証やら枷やらは何もない。
 私は主様から、なんの鎖も枷も嵌められていない。その自由さが逆に苦しくて堪らないのだ。

 いつだって、本当は祈っていた。

 私は主様の家族で在る以上に、単純な“所有物”でありたい。
 自由が目の前にある不安定な関係などではない。一方的な枷を嵌められ、確固たる服従を望まれる。


 そういう、家族とイコールで繋がるような“モノ”に。
 私はずっとなりたいと、そう願っていた。





「──……っ」


 ふいに、暗闇に眩い光が射し込んだ気がして目を開いた。
 初めに右半身の異様な軽さが気になって、けれど直ぐにそこから気が逸れる。柔らかなシーツの上に寝転がっていることに気付いて、更に……

 横になる私に全力で抱き着く、小さく儚い身体に気が付いたから。
 その温もりは木漏れ日のように暖かくて、思わず此方側からもぎゅっと抱き締め返してしまう。

 その時、指先に触り慣れたふにゅっとした感触を覚えて、思わず眦を緩めた。
 軽くふにゅふにゅと突っついてみるが、そのお方が目覚める様子はない。

 眠って身体が温まったお陰か、微かに火照った丸い頬を撫でながら淡く微笑む。
 小さく呼びかけると、心なしか表情が柔らかく緩んだように見えた。


「──……主、さま」

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