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一章

23.理想のスマートお兄さん、ミケ

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 てくてくっと部屋を飛び出した後。
 庭園へ向かういつものルートを無意識に歩み、俺は玄関ロビーまでとことこやって来た。

 ガウを探す旅というのはとうに忘れ去り、玄関の大きな扉の前に立つガウと遭遇するまでルンルンとお散歩気分だった俺。
 振り返ったガウと目が合った瞬間、ハッと目的を思い出しててくてく駆け寄った。


「ガウ!さがしたぞ!」


 つい数秒前まで忘れてたけど……なんてカッコ悪いことはもちろん言わない。
 両手を伸ばしてガバッと飛び込むと、ガウは突如抱き着いた俺を楽々ぎゅっと受け止めてひょひょいっと抱き上げてくれた。うーむこれこれ、この屈強な身体を求めていたのだ。


「主様……!お目覚めになられたのですね、良かった……ですがもう起き上がって平気なのですか?」

「問題ない、俺はとっても元気だぞ。起きたらガウがいなかったから、探しにきたんだ」

「私のことを……申し訳ございません。私としたことが主様のお目覚めに立ち会うことが出来ず……!」


 気にするでない、とガウのケモ耳をなでなで。うりうりーっと胸に顔を埋めて一頻り屈強な体躯を堪能した後、そういえばガウはなんで玄関に?とぱちくりしながら顔を上げる。
 俺の顔を見て疑問を察したのか、ガウはチラリと背後を……扉を振り返りながら答えた。


「ちょうどつい先程、アンドレア様をお見送りしたところで……」

「むっ!?お兄さまはまだすぐそこにいるのか!?」


 なぬっ!と目を見開いた俺を見下ろし、ガウは驚いたように瞬きながら頷く。
「えぇ、恐らく門はまだ越えてらっしゃらないかと……」と目を丸くして答えるガウにハッと息を呑んで、すぐに腕の中からぽすっと抜け出した。


「ガウはここにいろ!俺はお兄さまに挨拶をしてくるっ!」


 慌ただしく指示を飛ばして扉を勢いよく開く。少し遠くに見える門の近くには、確かに数人の人影が見えた。あの至極色の長髪……間違いない、アンドレアだ!

 ガウが何やら「病み上がりに走っては──!」だか何だか叫んでいるが、その制止を振り切ってがむしゃらに走り出す。
 寝起きで身体が鈍っているのか、なぜだかちょっぴり怠くて眩暈もするけれど……そんなことは言っていられない。アンドレアがすぐそこにいるのだ。グダグダだった誕生日パーティーでの作戦の数々を挽回しないと!


「まって!待ってください!お兄さまぁ!」


 今にも門を越えそうなアンドレアの背に大きく叫ぶ。
 息を切らしつつぼやけた視界で目を凝らすと、微かにアンドレアが足を止めて振り向いたのが見えた。
 よかった、呼びかけに気付いてもらえたみたいだ……とほっと息を吐いた瞬間。その一瞬の油断がいけなかったのか、ふと小さな石にぐいっと爪先が引っ張られた。


「あぴゃっ──!」


 間抜けな声を上げた直後。顔からぺしゃーっと地面に突っ込み、漫画みたいに綺麗にズベサーッと素っ転んでしまった。


「ルカ……!」


 ちーんと大の字で伏せた体勢で、数秒の沈黙が流れた後。
 ふと遠くから聞こえた気がした焦りの滲んだ声は、きっと気のせいに違いないとすぐに聞き流した。その声は聞き覚えのあるものだったけれど……あの彼が俺をそんな声で呼ぶはずない、そう思ったから。

 何やらドタドタと慌ただしい足音が近付いてくるけれど、当の俺は恥ずかしさと情けなさで一向に顔を上げることが出来ない。
 ぷしゅーっと顔を真っ赤に染めながら、嗚咽を堪えた涙目でぷるぷると羞恥に耐える。こんなの全然マフィアの子っぽくない、全然かっこよくない!と心の中は大号泣反省会だ。

 よりによって俺にとってのラスボス、アンドレアの前で恥を晒してしまうなんて。
 嫌いな弟が目の前で素っ転んで、きっと今頃ワハハと笑っているに違いない。俺の恥を本館で言いふらして、物理的だけでなく社会的にも俺を殺そうとしているに違いない!

 なんてことを考えながらぷるぷると地面に伏せていると、やがて近付いてきた足音がすぐ傍で止み、次の瞬間すっと伸びてきた手に両脇をぐいっと持ち上げられた。
 ひょいっと強い力で抱き起され、地面にぺたんと座り込む。むぐぅと唇を引き結んで嗚咽を堪える表情が日の下に晒されると、何やら周囲から息を呑むような気配を複数感じた。


「……泣いているのか。そんなに痛かったか」

「泣いてないもん、痛くないもんっ……うぅ」


 大きな手が不器用に俺の頭を撫でる。その仕草に涙腺が刺激され、必死の堪えも虚しくぽろぽろと大粒の涙が溢れ出してしまった。

 鼻水さえ垂らした情けない泣き顔。それを晒して数秒、やがてふと『む、この手は一体……?』とそういえばな疑問を感じて視線を上げた。
 その先にあった人形じみた美形を見て、思わずピタッと硬直する。俺を抱き上げて頭を撫でてくれていたのは、まさかの俺を嫌う兄、アンドレアだったのだ。


「お、おにいさま……」


 あまりの驚きに涙さえ止まる。
 びっくり仰天して固まる俺の顔には目もくれず、アンドレアは視線を下ろした先のただ一点を見つめてムッと眉を顰めた。
 何か不愉快なものでも……?とビクビクしながら恐る恐る視線を追うと、そこには転んだ拍子に出来てしまったらしい小さな傷が。膝頭に出来た傷と僅かに零れる血を見て、俺はあちゃーっと眉尻を下げた。

 自覚した瞬間ちょっぴり傷が痛みだしてきた。でもまぁ大丈夫か、このくらいの傷ならほっといても治るだろう。
 適当にそんなことを考えてケロッとした表情を浮かべる俺とは裏腹に、なぜか転んだ当人ではないアンドレアの方がムスッと苦しげに顔を歪めている。
 どうしたのだろうと首を傾げると、アンドレアはふいにちらりと振り返って、後ろに控えていた茶髪のイケメンに声を掛けた。


「……傷の手当てを」


 低く紡がれた一言に「御意」と短く返すと、イケメンはそそくさと身を乗り出して俺の足元に跪く。
 あわわっと慌てる俺の足を軽く手で押さえたイケメンが、どこからかスマートにガーゼやら何やらを取り出して俺の傷をちょちょいのちょいと手当てしてくれた。

 瞬きの間に終了した手当てに思わずあんぐりと口を開く。
 この有能なイケメンは何者だ……!?と浮かぶハテナに気が付いたのか、イケメンはふわっと爽やかに微笑んで軽く頭を下げた。


「許可なくおみ足に触れた無礼をお許しください、ルカ坊ちゃま。私、若様……アンドレア坊ちゃまの側近をしております、ミケと申します」


 以後お見知りおきを、とこれまた爽やかに告げるイケメンの名はミケさんというらしい。
 なんてかっこいいお兄さんなんだ。これぞ俺が目指す理想のスマート紳士ではないか……!と瞳をキラキラ輝かせながら前のめりに言葉を返す。


「ミ、ミケしゃっ……ミケッ、ミケさん!」

「ふふ。ミケと呼んで頂いて構いませんよ、ルカ坊ちゃま」

「ミ、ミケ!ミケ!おまえ、すっごくかっこいいな!クールでかっこいいぞ!」


 ほわぁっ……!と頬を紅潮させつつ、ミケの手を両手で包み込んでぶんぶんっと揺らす。
 俺の忙しない握手にも嫌な顔一つせず、むしろミケは微笑ましそうに頬を緩めて俺の握手を優しく受け入れてくれた。なんてこった、中身まで爽やかイケメンだなんて。


「そんなにかっこいい、ですか?外見はありきたりだとよく言われるのですが……」

「そんなことないぞっ!茶色の髪はふわふわでおしゃれだし、ミケの目は優しい色と形だからとっても好きだっ!すーっごくかっこいいぞ!」


 ミケの容姿をありきたりだなんて言う目の狂った人間がいるなんて。
 無造作に見えてしっかりセットされた茶髪はイマドキって感じですごくおしゃれ。小麦畑みたいな色の優しい垂れ目も、全体的に甘い相貌も、全部ぜーんぶとっても素敵なのに。

 興奮を隠すことなく忙しなく語ると、やがてミケはぐぅっと喉を鳴らして俯いた。
 顔を手のひらで覆って蹲る姿が心配でおろおろと声を掛けるが、やがて返ってきたのはよく分からない言葉だけ。


「すみません……あまりに清らかで無垢なオーラを一身に浴びたもので、目が潰れかけてしまいました……」

「なぬっ!だ、だいじょぶか!?ミケの目は綺麗だから、潰れるのはもったいないぞっ!」


 そう言うと更に「ぐぅっ」と響く喉の音。
 どうしよう、具合でも悪いのかな……とそわそわし始めた頃、ふいに死角から伸びた手にほっぺをむにゅっと鷲掴みされ、強引に顎クイならぬほっぺクイをされてしまった。


「うにゅ?」

「……そのアホが気に入ったのか?相変わらず見る目が無いな」


 至近距離に表れたのは、なんだか不機嫌そうに顰められたとんでもない美形。
 この手で頭を撫でられたことを思い出し、優しいのか怖いのかどっちなんだ……と困惑の視線をアンドレアに向けてしまった。
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