上 下
51 / 53

51.公爵と王太子

しおりを挟む

ぷくっとなる僕と、ふむ……と思案するような顔で僕を見下ろすヴィトお兄さま。
静かな見つめ合いが始まってしばらく経ち、僕はふいにあることに気が付いてハッとした。


「むっ!ヴィトお兄さま、お腹なおってるのよ。びっくりねぇ」


ぴょいっと指さした先は、ついさっきまでぽっかり空いた穴からダラダラと血を流していた傷口……があった脇腹。
けれど不思議なことに、そこにあったはずの傷はきれいさっぱりなくなっていた。まるで初めからなかったかのように、だけど破れた服の布はそのままに。

ヴィトお兄さまは僕の言葉につられて視線を落とすと、目を見開いて「これは……!」と声を上げて硬直した。
なくなった傷口のところを凝視する瞳には、信じられないものを見たかのような驚愕の色が籠められている。それもそうね、あんなにおっきな傷が一瞬で消えちゃったんだもの。


「君が、治してくれたのか?」


丸まった赤い瞳を向けられ、はて?と首を傾げる。
感極まったような視線が突き刺さるけれど、どうすればいいのかわからない。僕にもこの状況がいまいち理解できないのに、なんと答えればいいのだろう。
これ、僕が治したのかしら?いや、でも、そんなつもりはなかったけれど。でもでも、僕の手が触れた瞬間に治ったのだから、本当に僕がやったのかも。

うぅむ、困ったのよ。どう答えるのが正解なのか考えてもわからない。
結局迷いに迷って、むぐっとお口チャックすることにした。だってなんにもわからないんだもの。
そんな僕の動きの一部始終を見つめたヴィトお兄さまは、何を誤解したのか感動したみたいに表情を緩めて、突然僕をぎゅうっと抱きしめた。


「むぐぅっ」

「あぁヒナタ君!なんて優しい子なんだ……己の力を得意気に語るわけでもなく黙り込むなんて、謙虚にも程があるだろう。君はとても心の美しい子なんだね」


な、なにごとかしら。なにを言っているのかしら。
それよりも、たいへんよ。僕ったら、ちっちゃい姿に戻ったから抵抗する力もない。大柄で屈強なヴィトお兄さまにむぎゅむぎゅされて、窒息しちゃいそうなのよ。
ぐぷぅ……とおかしな呼吸になってきた頃、ようやく苦しさに喘ぐ僕の状況を察してくれたのか、ヴィトお兄さまが慌てた様子で抱きしめる力を弱めた。


「おっと、これはすまない。昔からどうも力の加減に慣れなくてね」

「んぷっ……だ、だいじょぶよ。ぼく、げんきよ。んむ、ぐぷぅ」


クマさんだものね、仕方ないのよ。クマさんは力が強いから。
ちょっぴりぐぷぅとなりながらもふにゃっと笑う。だいじょぶよーとへにゃへにゃ笑う僕を、ヴィトお兄さまは嬉しそうに撫で回した。むぅ、撫でる力もクマさん並みねぇ。


「それにしても、一体どうして突然幼くなってしまったのか……」


僕を撫で回す手をふいに止めたヴィトお兄さまが、不思議そうにきょとんと首を傾げた。
その疑問については僕も気になるところだ。ついさっきまでおっきな身体に戻れていたのに、どうして急にちっちゃくなっちゃったのか。
マキちゃんは一時的って言っていたから、聖水の効果がたった今切れちゃったってことなのかしら。それにしても急すぎて、僕ってばちょっぴりついていけないけれど。

とにかく、まずは困惑している様子のヴィトお兄さまに状況を説明してあげないと。
そう思って口を開いた時だった。


「あのねぇ、たぶんね、お水の効果がきれちゃって──」

「ヒナタ?」


腕をぱたぱた動かしながら必死に説明しようとした時、ふと部屋の入り口の方から大好きな声が聞こえてハッとした。
ヴィトお兄さまの肩越しにぴょいっと顔を出すと、驚いたようにちょっぴり瞠った青色の瞳が見えてぱぁっと表情を輝かせる。


「マキちゃん!」


咄嗟に全身でむんむんっと暴れてヴィトお兄さまの抱っこから抜け出す。
急にちっちゃくなったせいで慣れない足をとたとた動かし、駆け寄った先に立ち尽くすマキちゃんにぎゅうっと抱きついた。


「まきちゃ!マキちゃん、まってたのよ!」

「……迎えが遅れてすまない。随分、小さくなったな」


長い足にぴとりと貼りつく僕を、マキちゃんが軽々と持ち上げて強く抱きしめる。
肩にうりうりと顔を擦り寄せると、大好きなマキちゃんの匂いをいっぱいに感じてふにゃっと頬を緩めた。この匂いとぽかぽかな体温、とっても落ち着くのよ。

マキちゃんは僕の背中をぽんぽん撫でながら、ふとソファの前に立つヴィトお兄さまに気が付いた様子で歩き出した。


「……王太子殿下、挨拶が遅れて申し訳ありません。討伐任務からご帰還なさったと先程お聞きしました。ご無事で何よりです」

「うむ。久しいな公爵。少し見ない間にかなり丸くなったと見受けるが、君が抱いているその愛らしい幼子の影響かな」


マキちゃんがこんなに礼儀正しいなんて、とっても珍しい。
まぁ相手は王太子さまなのだから、それは当たり前ね。ぱちくり瞬きながら、僕はちょっぴりおかしな空気が漂う二人の会話を大人しく見守った。


「……えぇ、まぁ。ところでここには何の御用で?見たところ、ご帰還したばかりで一息吐くどころか陛下へのご報告も済まされていないようですが」

「王宮へ戻る道中で予言の子の降臨を耳にしたものだからね。獣人国の王太子として、何より尊い身分であるヒナタ君への挨拶より先に、済ませる報告も休憩もあるはずないだろう?」


気のせいかしら。ヴィトお兄さまが『ヒナタ君』と口にした瞬間、マキちゃんの眉間にピクッと小さな青筋が浮かんだような気がした。
本当に一瞬だったから、気のせいだとは思うけれど。それにしたって、このピリついた空気に関しては気のせいじゃないはず。もしかしてこの二人、なかよしさんじゃないのかしら。

それなら悲しいのよ、と静かに眉を下げる。すると二人はそんな僕に気が付いた様子で、途端にあたふたと慌て始めた。


「すまないヒナタ。ずっとここにいても疲れるだけだな、すぐに帰ろう」


マキちゃんが僕を抱え込んで踵を返し、スタスタと歩き出す。
背後から「待ちなさい」とヴィトお兄さまの声がかかったけれど、マキちゃんはすぐに応えることはせず、少し経ってから緩慢な動きで振り返った。


「……何でしょう。見ての通り予言の子が疲弊しているので早く戻りたいのですが」


なんだか棘を感じるマキちゃんの物言いにあたふたと慌てた。
マキちゃんたらだめじゃない。相手はとってもえらい王太子さまなんだから、もうちょっぴり礼儀正しくしなきゃ。
肩に埋めた顔を上げて「ぼくはだいじょぶ」と言うと、ヴィトお兄さまが柔らかく微笑んだ。うむ、やっぱりマキちゃんやお兄さんに似て、ほかほかな包容力を感じるひとね。


「そう焦るな、ヒナタ君への挨拶を済ませるだけだよ。ヒナタ君、今日は父の話し相手をしてくれてありがとう。私からも礼を言うよ」

「むっ!うぅん、いいのよ。おじいさまとおしゃべり、とっても楽しかった」


ヴィトお兄さまからのお礼を受けてふにゃっと笑う。
すると二人は同時に、驚いたような顔で「おじいさま……?」と復唱した。ムッと顔を見合わせているけれど、やっぱり二人は仲良しさんだったみたいね。


「まったく父上は……誰よりも先に抜け駆けするなんて卑怯なことを」


眉間を指先で揉みながら何やら呟くヴィトお兄さま。疲れているのかしら?なんて思って眉を下げた。それなら、さっきマキちゃんが言った通り早く帰った方がよさそうね。


「マキちゃん、ばいばいするのよ。ヴィトお兄さまは王太子さまだから、きっとお忙しいの」

「は、いや全然忙しくなんて──……!」

「あぁそうだな、早く帰ろう。では王太子殿下、我々はこれで失礼いたします」


しっかりものの僕は、当然ヴィトお兄さまのお疲れ具合にも敏感に気付くことができる。
えっへんと胸を張りながら言うと、マキちゃんはいい子いい子と言わんばかりに頭を撫で回してくれた。心なしか表情も満足気だ。僕ったらそんなに気が利くいい子だったのかしら。

何やらヴィトお兄さまが何か言いたげにしていることに気が付いたけれど、僕がそれを指摘するよりも先に、ちょっぴり鈍感らしいマキちゃんはすたこらさっさと部屋を出てしまった。
ヴィトお兄さまのことをすっかり忘れたみたいに歩き出すマキちゃんを見上げ、僕はちょいちょいと慌てて声を上げた。


「むぅ、マキちゃん。ヴィトお兄さま、なにか言いたそうに」

「帰ったらすぐに夕食にするか。デザートはプリンだぞ」

「ぷりん!ぷりんっ、ぷりんっ」


あれま、僕ったら何を言おうとしていたんだっけ?
ほんの一瞬で頭の中がプリン一色になったせいで、一秒前に考えていたことが全部ぱっと消えてしまった。
うぅむ、まぁいっか。プリンとっても楽しみねぇ。


「マキちゃんにも、ひとくちあげるのよ」


あーんしたげるのよ、と大人ぶってドヤ顔で言うと、マキちゃんは嬉しそうに頷いて僕をぎゅっと抱きしめた。

しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

心配性は異世界で番認定された狼獣人に甘やかされる

おはぎ
BL
起きるとそこは見覚えのない場所。死んだ瞬間を思い出して呆然としている優人に、騎士らしき人たちが声を掛けてくる。何で頭に獣耳…?とポカンとしていると、その中の狼獣人のカイラが何故か優しくて、ぴったり身体をくっつけてくる。何でそんなに気遣ってくれるの?と分からない優人は大きな身体に怯えながら何とかこの別世界で生きていこうとする話。 知らない世界に来てあれこれ考えては心配してしまう優人と、優人が可愛くて仕方ないカイラが溺愛しながら支えて甘やかしていきます。

【書籍化進行中】契約婚ですが可愛い継子を溺愛します

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ  前世の記憶がうっすら残る私が転生したのは、貧乏伯爵家の長女。父親に頼まれ、公爵家の圧力と財力に負けた我が家は私を売った。  悲壮感漂う状況のようだが、契約婚は悪くない。実家の借金を返し、可愛い継子を愛でながら、旦那様は元気で留守が最高! と日常を謳歌する。旦那様に放置された妻ですが、息子や使用人と快適ライフを追求する。  逞しく生きる私に、旦那様が距離を詰めてきて? 本気の恋愛や溺愛はお断りです!!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2024/09/07……カクヨム、恋愛週間 4位 2024/09/02……小説家になろう、総合連載 2位 2024/09/02……小説家になろう、週間恋愛 2位 2024/08/28……小説家になろう、日間恋愛連載 1位 2024/08/24……アルファポリス 女性向けHOT 8位 2024/08/16……エブリスタ 恋愛ファンタジー 1位 2024/08/14……連載開始

突然異世界転移させられたと思ったら騎士に拾われて執事にされて愛されています

ブラフ
BL
学校からの帰宅中、突然マンホールが光って知らない場所にいた神田伊織は森の中を彷徨っていた 魔獣に襲われ通りかかった騎士に助けてもらったところ、なぜだか騎士にいたく気に入られて屋敷に連れて帰られて執事となった。 そこまではよかったがなぜだか騎士に別の意味で気に入られていたのだった。 だがその騎士にも秘密があった―――。 その秘密を知り、伊織はどう決断していくのか。

兄たちが弟を可愛がりすぎです~こんなに大きくなりました~

クロユキ
BL
ベルスタ王国に第五王子として転生した坂田春人は第五ウィル王子として城での生活をしていた。 いつものようにメイドのマリアに足のマッサージをして貰い、いつものように寝たはずなのに……目が覚めたら大きく成っていた。 本編の兄たちのお話しが違いますが、短編集として読んで下さい。 誤字に脱字が多い作品ですが、読んで貰えたら嬉しいです。

全寮制男子校でモテモテ。親衛隊がいる俺の話

みき
BL
全寮制男子校でモテモテな男の子の話。 BL 総受け 高校生 親衛隊 王道 学園 ヤンデレ 溺愛 完全自己満小説です。 数年前に書いた作品で、めちゃくちゃ中途半端なところ(第4話)で終わります。実験的公開作品

最強S級冒険者が俺にだけ過保護すぎる!

天宮叶
BL
前世の世界で亡くなった主人公は、突然知らない世界で知らない人物、クリスの身体へと転生してしまう。クリスが眠っていた屋敷の主であるダリウスに、思い切って事情を説明した主人公。しかし事情を聞いたダリウスは突然「結婚しようか」と主人公に求婚してくる。 なんとかその求婚を断り、ダリウスと共に屋敷の外へと出た主人公は、自分が転生した世界が魔法やモンスターの存在するファンタジー世界だと気がつき冒険者を目指すことにするが____ 過保護すぎる大型犬系最強S級冒険者攻めに振り回されていると思いきや、自由奔放で強気な性格を発揮して無自覚に振り回し返す元気な受けのドタバタオメガバースラブコメディの予定 要所要所シリアスが入ります。

異世界に来たのでお兄ちゃんは働き過ぎな宰相様を癒したいと思います

猫屋町
BL
仕事中毒な宰相様×世話好きなお兄ちゃん 弟妹を育てた桜川律は、作り過ぎたマフィンとともに異世界へトリップ。 呆然とする律を拾ってくれたのは、白皙の眉間に皺を寄せ、蒼い瞳の下に隈をつくった麗しくも働き過ぎな宰相 ディーンハルト・シュタイナーだった。 ※第2章、9月下旬頃より開始予定

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

処理中です...