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37.おとまり
しおりを挟むちょっぴり低い声が出た。
シューちゃんが僕を見下ろす。きれいなおめめは、すぐに大きく見開かれた。
虹色の瞳に映っているのは、真っ黒な目を更に真っ黒にして、色を全部なくしたみたいな僕の顔。僕は表情をなんにも作れないまま、また呟いた。
「マキちゃんのこと、好きよっていったの見てたでしょ。家族って、いったでしょ」
家族にいたいことをするのは、わるいことなの。僕だって、それくらいはわかるのよ。
だから、家族のマキちゃんが僕にいたいことをするはずがないの。それなのに、どうしてシューちゃんはひどいことを言うのかしら。
そう思ってぷくっとほっぺを膨らませると、シューちゃんは困ったように眉尻を下げながら、僕の頭をぽふぽふと撫でた。
「あぁヒナタ様、どうか落ち着いて。貴方を傷付けたいわけではないのです。ただ、ヒナタ様のことが心配なだけなのですよ」
「心配なんて、いいの。マキちゃん、いいひとよ。わるいひとじゃないの」
「えぇ、えぇ。もちろん、ヒナタ様のお気持ちは理解していますとも。ですが私には、聖騎士としてヒナタ様をお守りする義務があるのです。どうしても、ヒナタ様のご家族を疑わなければならない立場なのです……」
心苦しいですが……と悲しそうに語るシューちゃんを見上げて、ずきっと心が痛んだ。
なんてこと。悲しいのは、僕やマキちゃんだけじゃない。シューちゃんも、すごく悲しかったのね。
本当はマキちゃんが優しいこと、シューちゃんも知っている。でも、シューちゃんは難しい立場のひとだから、どうしてもマキちゃんを疑わなきゃいけない。
それは、それはなんて悲しいことかしら。シューちゃん、とってもかわいそう。
シューちゃんの事情を知って、僕はもうシューちゃんにメッと言えなくなった。
ムッとした顔を直して、しょんぼりと肩を落とす。シューちゃんの腕をよしよしと撫でながら、八つ当たりみたいに怒ってしまったことを謝罪した。
「シューちゃん、ごめんねぇ。シューちゃんも、かなしかったのね。ごめんなさい」
シューちゃんがふわっと微笑んで「いいんです。私も酷いことを言ってごめんなさい」と答える。
ぽふぽふと頭を撫でる手に目を細めていると、シューちゃんは大人しくなった僕を撫で続けながらマキちゃんに向き直った。
「団長様も、申し訳ありません。私も貴方を疑うのは心苦しいのですが、これも神の御心ですので。どうかご理解いただけると幸いです」
「……白々しい。ヒナタの弱みに付け込むような言動をしておいて何が神の御心だ」
マキちゃんの低い声が聞こえて身体が震える。
どうしよう、マキちゃんたら何か怒っているみたい。さっきも思ったけれど、シューちゃんとはやっぱり気が合わないみたいね。まったくなかよしになる気配がないんだもの。
僕は、だいすきなひとたちには、みんななかよしになってほしいけれど。
それでも、どうしたって気が合わないひともいるものね。分かっているけれど、それでも気が沈んだ。しょうがないの、しょうがないのよって、なんとか納得しようとがんばってみる。
「前置きがお好きなようには見えませんので、早速本題に入らせていただきますが……私は神殿の命を受けて、予言の子を保護しに来たのです」
「そうか。では早々に去ってくれて結構だ。予言の子は既に騎士団が保護しているからな」
「まぁまぁ、そう邪険になさらず。先程も申し上げた通り、貴方には虐待……いえ、諸々の疑いが掛けられているので。こちらとしても、慎重にならざるを得ないのですよ」
ぎゃくたい、のところで僕の身体が強張ったことを察したのだろうか。
シューちゃんは一度口にしようとした言葉を止めて、すぐに曖昧な言い方に直した。直したとしても、胸のむかむかがなくなるわけじゃないけれど。
しょんぼりと縮こまる僕をぎゅっとしながら、シューちゃんが話を続ける。
「ご存じの通り、神殿はこれまで予言の子の降臨を待ち続けてきました。予言の子を保護する役目が神殿であることは、最早周知の事実だったはず」
面倒くさそうに溜め息を吐いたマキちゃんが、切実に語るシューちゃんに対してばっさりと切るような答えを返した。
「知ったことか。我々は騎士団の理念に則り、行き場のない幼子を保護したまで。それが予言の子であろうとなかろうと、その対応に差異は無い」
「ですがそれも、引き取り手が現れるまでのこと。加えて貴方には現在、その保護対象への虐待容疑がある。団長様の仰る理念も、今は通用しないのでは?」
「戯言を。我々が保護した段階で、対象は例外なく騎士団の保護下に置かれる。法で定められていることだ。納得出来ないと言うのなら、原則を覆すに値する虐待の証拠でも持ってこい」
ピリピリと緊迫した空気の中、むずかしい会話が淡々と続いていく。
始終マキちゃんはツンとした態度で、シューちゃんはにこやか。対極な様子の二人を見て、ちょっぴり怖くなってそわそわしてしまった。
ぷるぷる、ぷるぷる。これはいけないのよ。大人のお話をしているみたいだから、まだお兄さんの僕はひっそりこっそり大人しくしていなきゃなのよ。
「うーん、まぁそれもそうですね。それに……たとえ保護者が貴方から神殿に移ったとしても、神殿がヒナタ様を丁重に扱うという確信は、少なくとも団長様には無いわけですし……」
ちょっぴり棘のある言い方な気がするのは僕の単なる気のせいかしら。
シューちゃんがニッコリ笑顔で言うと、マキちゃんはほんの微かに顔を顰めた。イラッとしているみたいな、そんな顔だ。いつもの無表情とは少し違う。
空気がさっきよりも更にピリピリしてきたけれど、だいじょぶなのかねぇ。
僕だけがそわそわ不安になる中、シューちゃんはふいに名案とばかりに表情を輝かせた。
「あぁそうだ!であれば、お試しとしてヒナタ様を数日、神殿でお預かりするというのはどうでしょう?」
「…………は?」
キラキラ笑顔のシューちゃんとは異なり、マキちゃんのお顔はとっても怖い。
絵本で見た鬼さんとか、そういう感じの怖いお顔だ。流石のポンコツヒナタと呼ばれる僕でも、マキちゃんがとーっても怒っているということはすぐに察した。
けれどシューちゃんはこう見えて意外と鈍感さんなのか、マキちゃんのお怒りにまったく気が付いていないみたい。
キラキラ笑顔をそのままに、シューちゃんが明るい声でセリフを続けた。
「その間に貴方の虐待容疑について、ヒナタ様に話を聞くことも出来ますし。神殿としても、数日とはいえ予言の子であるヒナタ様を保護して体裁を保つことが出来る。一石二鳥です」
ニコニコ笑いながら語るシューちゃん。マキちゃんは相変わらずおでこに青筋を浮かべている。
僕はというと、ちょっぴり話が難しくてさっきからきょとんと首を傾げるばかりだ。まったく本当に、なんのお話をしているのかしらねぇ。
僕だけ話についていけないことにちょっぴり拗ねて、ふんすふんすと頬を膨らませる。
そんな僕に気が付いたのか、ふとシューちゃんが視線を落としてニコリと微笑んだ。
「ヒナタ様も、お泊まりしてみたくありませんか?」
「ふんす、ふん……むぅ?おとまり?」
気になる単語が聞こえて、思わずふんすを中断して顔を上げた。
ぱちくり瞬く僕をよしよしと撫でながら、シューちゃんはニコニコ笑顔を崩すことなくこくりと頷く。ふぅむ、お泊まりって言葉は聞き間違いじゃなかったみたいねぇ。
お泊まり、お泊まり。急にお話が変わったみたいでびっくりだけれど、それよりもお泊まりという言葉のわくわく感にわくわくっと身体を揺らしてしまう。
紅潮する僕のほっぺを見て、ふとなぜかマキちゃんが焦った様子で声を上げかけた。
「待て、ヒナタ。分かっているのか、これは罠……──」
「美味しいお菓子もご飯も、ふかふかのベッドもご用意しますよ!もちろん退屈しないよう、遊び相手として四六時中ヒナタ様のお傍に私が侍りますとも」
言葉を遮られたマキちゃんにあわわと心配が募ったけれど、それよりもシューちゃんのセリフに興味を引っ張られて意識が逸れてしまった。
おいしいおかし、ごはん、ふかふかのベッド。ずーっと遊んでくれるシューちゃん。だいすきなもの盛りだくさんで、僕ったらわくわくが止まらない。
わくわく、わくわく。身体をぷらぷら揺らしながら、シューちゃんにむぎゅっと抱きついた。
「おとまり、する!シューちゃんと、いっぱい遊ぶのよ」
「ヒナタ……!」
「本当ですか!素晴らしいご判断です!私と二人でいっぱい遊びましょうね!」
シューちゃんがガタッと立ち上がり、僕を抱っこしたままくるりと回る。
楽しそうなその姿を見て、思わず僕も楽しくなっちゃって、シューちゃんと一緒にわーいといっぱい喜んだ。マキちゃんが焦燥を滲ませた声を上げたことに気付かずに。
“二人で”という言葉を聞き逃したまま、僕は呑気にのほほんと頬を緩めた。
「えへへ、おとまりたのしみねぇ。まきちゃと、お兄さんと、おとまりたのしみねぇ」
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