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35.きれいな瞳

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神殿直轄の騎士隊、聖騎士隊。
その隊員総数は王国全土に散らばる数十万の全騎士団員と比較しても、一割にも満たない。
しかし少数精鋭故に、聖騎士隊に所属する全隊員の実力が騎士団の幹部クラスに相当する。
特に聖騎士隊の隊長であるシュテファン・シュミットは、歴代最強と恐れられる騎士団長のマキシミリアン・フレーベルと同等とも呼ばれる剣術の天才だった。

シュテファンが生を受けたシュミット侯爵家の貴族は、古くから神殿の信仰者として有名だ。
前侯爵夫妻もまた、獣人の神であるテルースの熱狂的な信者であったため、その息子であるシュテファンは幼い頃から神殿に通い詰める日々を送っていた。

シュテファンは歴代のシュミット家の者とは異なり、生まれつき神への信仰心が皆無だった。
そのため神殿通いの日常にはうんざりしていたが、ある日その鬱屈としたシュテファンの日々に、衝撃的とも言える運命の出会いが舞い込んだ。
それは、長い祈りの時間に嫌気が差し、大聖堂を抜け出して神殿の書庫に入り込んだ時のこと。

シュテファンは、最奥の書棚からとある文献を見つけ出した。


『──奇跡を起こす力?』


文献に書かれていたのは、獣人の世でいつか降臨するというヒト族についての予言だった。
曰く、そのヒト族は獣人の世界が乱れる時に降臨し、覚醒した力によって奇跡を起こすらしい。
予言のヒト族……予言の子が扱うという奇跡の力。文献を読んだシュテファンは、まだ見ぬ予言の子に一瞬で魅入られてしまった。

絶対とは言えない、しかし御伽噺とも呼べない抽象的な魅力が原因か。
はたまた、熱狂的な信仰者であるシュミット家の血がようやくシュテファンの中を巡り始めたのか。

明確な理由は、シュテファン自身にもよく分からない。
だが、何事にも関心を示さない“絶対零度のシュミット”と呼ばれるシュテファンが心から魅入られたのは、後にも先にも『予言の子』のみである。それだけは自他共に確かであると断言出来た。


『奇跡の力……ヒト族……予言の子』


一通り予言に関する文献を漁り、やがて日が暮れてきた頃。
散らかった書庫を片付けながら、シュテファンは頬を紅潮させた。永遠に続くと思われた退屈な日々を、凍て付いた心を、あっさりと溶かした予言を想って。

書庫を飛び出し、数刻前に抜け出した大聖堂へと戻る。
両親の説教を聞き流しつつ、シュテファンは微塵の信仰心も抱いていない神に向かって、表向きだけの信仰を示した。


『あぁ神よ!私は貴方様が遣わす予言の子、それを記した予言を!降臨の日まで守り抜くことを、この身を懸けて誓います!』


何が神だ。恍惚とした笑みを湛えたシュテファンは、内心そう吐き捨てた。
だが、その本心は表には出さない。何故なら表向きだけでも神を信じなければ、己が崇拝する予言の子の存在も偽りになってしまうからだ。

貼り付けた笑顔を、しかしその場の全員が愚かにも信じ込んだ。
両親はようやく信仰心を抱いた息子を涙ながらに抱き締め、神官達はその様子を満足気に眺める。
そしてシュテファンは、その全てを茶番として俯瞰しながら、いつか出会う最愛の主君に想いを馳せた。


『あぁ、早くお会いしたいです。愛おしい我が主──』


──貴方様こそがこの退屈を癒す存在なのか、早くこの目で確かめたい。

シュテファンは愉快気に目を細めて微笑む。
彼は今もこの先も、神の熱狂的な信者であり、絶対的な無神論者で在り続けるだろう。

神殿に新たな風が吹く。誠実で貞淑な信仰者など存在しない、欲望に塗れた神殿に新たな信仰者が現れた。やはりこの神殿に相応しい、欲深い一人の獣人が。
彼の名はシュテファン・シュミット。やがて“予言の番人”と呼ばれ畏怖されるようになる、神殿きっての耽美な狂信者である。


***


「よげんの、ばんにん?」


ぱちくり瞬き、手を掴んだままのシューちゃんをきょとんと見つめる。
予言の番人って、なにかしらねぇ。聞き慣れない言葉に首を傾げる僕を、シューちゃんはニッコリ笑顔を浮かべながら見つめ返した。
真正面から目を合わせて、ふと気が付く。シューちゃんの瞳、本当のヘビさんみたいに瞳孔が細くてなんだか不思議。瞳の大部分は緑色だけれど、瞳孔だけは金色だ。


「まっ!シューちゃん、きれいなおめめねぇ」

「……はい?」


あんまり綺麗な瞳で驚いたものだから、思わず感嘆を声に出してしまった。
無意識に手を伸ばし、シューちゃんの目元に指先で触れる。瞼の辺りを優しく撫でると、シューちゃんは貼り付けたような笑顔を崩してくすぐったそうに眉を寄せた。

シューちゃんの瞳に映る僕は、キラキラと表情を輝かせて惚けている。当然シューちゃんもそんな僕の心情を察したはずだ。
僕の反応を間近で見たシューちゃんは、困惑した様子で瞳を揺らした。


「えぇっと……一般的に、蛇獣人の瞳は気味悪いものだと畏怖されるものなのですが……」


きょとん、と再び瞬く。ぱちくりしながら、俯いてしまったシューちゃんの顔を覗き込んだ。
ついさっきまで満面の笑顔が浮かんでいたはずなのに、俯いて隠れてしまった顔は、今は困惑や動転といった複雑な表情に染まっていた。
どうして突然シューちゃんの様子がおかしくなってしまったのか。僕はよくわからないまま、シューちゃんが発した理解の難しいセリフに首を傾げた。


「きもちわるい?変ねぇ。シューちゃんのおめめ、とってもきれいなのにねぇ」

「っ……」


綺麗な瞳を覗き込みながらそう呟く。じーっと見つめてみたその瞳は、やっぱり珍しい宝石みたいに輝いていて綺麗だと思った。

マキちゃんの深い海みたいな碧眼も、お兄さんの太陽みたいな金色の瞳もとっても素敵だけれど。シューちゃんの瞳には、他の人たちとはまったく異なる魅力があるように見えた。
緑色のはずの瞳は、よく見ると角度によって色が違うらしい。それじゃあシューちゃんの瞳は、虹色ってことかしら。けれど、瞳孔だけはどこから見ても金色だ。
なんだか本当にとっても不思議で、とっても綺麗な瞳ねぇ。


「僕はねぇ、まっくろおめめなの。ただの、まっくろおめめなのよ。でもシューちゃんは、シューちゃんだけのおめめねぇ。シューちゃんだけの、とくべつおめめよ」


なんてすてきなのかしら。その人だけの特別って、とってもすてき。
そう言いながらふにゃふにゃ笑うと、どうしてかシューちゃんはほんの一瞬だけ、瞳をぐっと滲ませて俯いてしまった。あらま、どうしましょ。僕ったら、シューちゃんをしくしくさせちゃった。

どうしましょ、どうしましょ。あたふたしていると、やがてシューちゃんが顔を上げた。
そこにあるのは、予想していたしくしくな顔じゃなく、ニコニコって感じの満面の笑顔だった。
さっきのは見間違いかしら。シューちゃんは最初から、しくしくなんてしていなかったのかも。僕ったら早とちりねぇ、とてれてれしつつ、シューちゃんが笑っていることに安心して頬を緩めた


「何を仰いますか。ヒナタ様の漆黒の瞳こそ、この世の誰も持ち得ない唯一無二ですよ」


んまっ!と頬を染めて照れながら、もじもじと身体を揺らしてお礼をする。


「あ、ありがと。僕のおめめ、ゆいーつむに?って言ってくれたの、シューちゃんがはじめてよ。僕も、とくべつもってたのね。うれしい、ありがとねぇ」


なんてこと。僕ったら、自分じゃ気が付かなかっただけで、僕も特別を持っていたのね。
真っ黒な目は、誰でも持っている普通の目だと思っていたけれど。よく考えたら、黒といっても人によって違うものね。
シューちゃんとお兄さんだって、おんなじ金色の瞳だけれど、比べて言えば二人ともまったく違うすてきな金色だもの。

特別って、似ているように見えて、みんな違うのね。みんなが、自分だけの特別を持っているのよ。気が付いていないだけで、みんなもってるのよ。
そう考えて、僕はなんだかとっても幸せになった。えへへと笑いながら、シューちゃんに掴まれていた手を引き抜いて、今度は僕がシューちゃんの手を握る。
両手でにぎにぎ、にぎにぎって包み込んで、頬を染めた。


「シューちゃん、シューちゃん。僕、シューちゃんすきよ。にこにこは、ちょっぴりおかしいねぇって、思ったけど。でも僕、シューちゃんのおめめ、とっても好きなのよ」


シューちゃんがぱちくり瞬く。ニコニコがおかしいって僕が言ったの、びっくりしたみたい。
でも、おめめがとっても好きなのよって言うと、きょとん顔をくしゃっと崩した。なんだか、しょうがないのよって、観念したのよって、そう言っているみたいな表情だ。


「……そう、そうですか。ふふっ……やはり、ヒナタ様こそが私の希望だったのですね」


ボソッとした呟きは、あんまり小さなものだったからよく聞こえなかった。
きょとんと瞬いて、もう一回聞きたいねぇとお願いしようとした時。ふと背後から首根っこを掴まれたかと思うと、容赦なくむんずと身体を持ち上げられてしまった。


「んむぅっ!」


ちょっぴり苦しいのよ、と手足をぱたぱた動かして抵抗する。
けれど無念なことに、四肢はぷらんぷらんと投げ出されて、抵抗なんてまったくできなかった。不服にほっぺぷくーしながら眉を寄せ、むんっとげきおこをあらわにしながら振り返る。

むぅ、むぅ。一体だれなの。こんな適当な持ち上げ方をして、僕のぷらんぷらーんって感じの抵抗にすら応えてくれないひどい人は。
ぺちぺちって叩いてやるのよ、と勇みながら振り返った直後。僕を持ち上げた人物の正体を知ってかちこちーんと固まってしまった。


「ま、まきちゃ?」


振り返った先に見えたのは、いつもの無表情をむーんとお怒りの色に染めたマキちゃんの姿だった。
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