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30.ごめんなさいのやりかた

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マキちゃんのお部屋に戻った時、ふと中からガシャーンとおっきな物音が聞こえてビクッと震えた。
思わず「ぴぇっ」と声を上げて縮こまる僕を、ツバキさんがひょいっと抱っこしてよしよしとあやす。ぷるぷる震える僕とは違って、ツバキさんは無表情すら崩さないままだ。
明らかに異様な空気が部屋から漂っている中で、冷静なままのツバキさんを見上げて眉尻を下げた。


「まきちゃに、なにかあったのかも。はやくたすけなきゃよ」

「お優しい助言ですが、その必要は無いかと」


中から大きな物音、これはマキちゃんに緊急事態が起きたに違いないのよ。
そう思い催促するけれど、ツバキさんは一向に焦る様子もなくスンとしている。むしろちょっぴり警戒した面持ちで、ゆっくりと扉をノックした。

一体どうしたのかしら。早く入って、マキちゃんの無事を確認しなきゃなのに。
けれどツバキさんの緊迫した空気を察して、僕は思わずきゅっとお口チャックしながら縮こまった。


「……マキシミリアン様。ヒナタ様と只今戻りました」


ガシャンッ!と、ツバキさんが一言放った瞬間に一際大きな物音が響く。
かと思うと、ドタドタと忙しない足音が近付いてきてぎょっとした。この足音、まさかマキちゃんのもの?いつも気配が消えたみたいに歩く、あのマキちゃんの?


「──ヒナタ!!」


ダンッ!と音を立てて扉が開かれ、目の前に必死の形相を浮かべたマキちゃんが現れる。
無表情もクールな雰囲気もどこにもない、見るからに異常な様子のマキちゃんを見てぱちくりと瞬いた。マキちゃんたら、怖いお顔をして一体どうしたのかしら。


「まきちゃ?どしたの。こわい夢、みちゃったの?」


ツバキさんの腕の中から手を伸ばし、固まっているマキちゃんをよしよしと撫でる。
ピタッと硬直していた三角耳に触れると、マキちゃんはその刺激によってハッと我に返ったのか、目を見開いて僕をツバキさんの抱っこから引っこ抜いた。


「んむっ?」

「ヒナタ……ッ!」


床に下ろされ、ぱちくり瞬きながら立ち尽くす。マキちゃんはそんな僕の正面に膝をつくと、僕の両肩に手を置いて顔を歪めた。


「何故黙って部屋を出た……!予言の子の立場がどれほど危険か理解しているのか!」


突然おっきな声で怒鳴られて、思わずビクッと身体を震わせる。
まさか戻ってきて早々怒られるだなんて思っていなくて、僕ったらあまりのびっくり具合に思わずしゃっくりが出てしまう。
同時にじわっと視界が滲んで、そのまま徐々に涙が溢れ出した。

時間差の涙と身体の震え。ぽろぽろと泣き出す僕を見て、マキちゃんがハッと目を見開く。


「ま、まきちゃっ、おこなのっ……どして、どうして、おこなの……っ」


ひくっうぐっとしゃっくりや嗚咽を漏らしながら、溢れる涙をそのままに震える声を放つ。
けれどすぐに、施設では僕の泣き顔を『鬱陶しい』だの『鈍くさくてイラつく』だのと言われていたことを思い出して、慌てて両腕でごしごしと顔を拭った。
どうしよう、涙と震えが止まらない。このままじゃ、マキちゃんに鬱陶しいって思われちゃう。


「めんしゃっ、ごめんなさい……っ、ごめんなさい……!おこ、しないで、きらわないでぇ……っ」


とにかく謝らなきゃ。そう思って、僕は慌てて床に膝をついて、頭を深く下げた。
先生に、頭をどんって殴られて無理やり地面に伏せさせられて、ごめんなさいを言えって怒られた日のことを思い出して、それを実行したのだ。
こうしたら、頭を踏みつけられて笑われるけれど、怒るのをやめて笑ってくれることを知っているから。

僕はマキちゃんに笑ってほしくて、怖いお顔が悲しくて。だからいつものごめんなさいをしたのだけれど、どうしてかそれをした瞬間、部屋の空気が氷みたいに一瞬で凍り付いた。


「ヒナタ……?何をして……」


呆然としたマキちゃんの声が聞こえてくる。
笑ってはいないみたいだけれど……でも、声を聞く限り怒るのはやめてくれたみたいでほっとした。

頭を踏むのはないのかしら、と不思議に思いながら、恐る恐る顔を上げる。
見上げた先にあったのは、困惑を表情に滲ませたマキちゃんの姿と、何やら無表情をちょっぴりだけ歪めたツバキさんの姿だった。


「まきちゃ……?どして、かなしいお顔してるの……かなしいの……?」


マキちゃんの困惑の表情が、徐々に何かを悟った様子で悲しそうに歪んでいく。
その姿を見て、僕ったらとっても慌ててしまった。たいへんよ、こんなはずじゃなかったのに。マキちゃんを悲しませるなんて、僕はなんてひどい子なの。


「ヒナタ……っ」


マキちゃんが震えながら腕を伸ばして、僕をぎゅうっと抱きしめる。
伏せた頭を踏むんじゃなくて、身体を起こしてぎゅうしてくれるマキちゃんにちょっぴり困惑したけれど、それ以上に嬉しくなった。
マキちゃんは、優しくおでこをぴょいってすることはあっても、本気で僕を痛め付けるようなことは絶対にしないのね。それがとっても嬉しくて、心がぽかぽかした。

震えるマキちゃんの背に腕を回して、僕もぎゅうっとよしよしする。
泣かないのよ、ぷるぷるしないのよ。悲しませてごめんなさい。わるい子でごめんなさい。


「まきちゃ、ごめんなさい。僕、わるい子ね。ごめんなさいするから、泣かないで。たたいてもいいのよ、けってもいいのよ。だからおねがい、泣かないで」


マキちゃんにむぎゅむぎゅと抱きつきながら訴える。
施設にいたころは、“お仕置き”された時は早く終わってほしいって思っていたけれど。今は相手がマキちゃんだから、心がぴりぴり痛む方が辛い。

マキちゃんの悲しい気持ちをなくせるなら、いっぱい叩かれて、蹴られて、踏まれた方がいい。
そうしてマキちゃんが笑うなら、僕はそのほうが、とっても幸せなのよ。だって家族だもの。家族が泣いちゃ嫌って思うのは、ふつうのことだものね。


「この、馬鹿ヒナタ……」


僕のぽそりとした独り言が聞こえたのか、ふいにマキちゃんが震えながらそう呟いた。
ほっぺを突然ふにゅって摘ままれたから、殴られるのかしらと思わず瞬く。けれどマキちゃんは、ただほっぺをにゅーんって伸ばすばかりで、一向に痛いことはしなかった。


「ぅん、ま、まぃちゃっ?」


ほっぺをお餅みたいに伸ばされ、にゅーんっと摘ままれ。
ぱちくり瞬きながら困惑する僕からやがて手を離すと、マキちゃんは顔を歪めたまま再び僕をぎゅうっと抱きしめた。なんだか今朝のマキちゃんは、とっても甘くて優しくてどきどきしちゃう。


「……悪かった。さっきは突然怒鳴ってすまない。ヒナタは何も悪くない。ヒナタが謝ることなんて何もない。勝手に焦って理不尽に怒鳴った俺が全て悪かった」

「まきちゃ……?で、でも、僕わるい子なのよ。まきちゃを、悲しくさせちゃったのよ」

「お前が悲しくさせたんじゃない。だからお前は悪くない。それに、ヒナタはいい子だ。ヒナタが悪い子なら、この世界にいい子は居なくなるだろうな」


頭をぽふぽふと撫でられる。おっきな手は相変わらず優しくて、あったかくて、さっきまで残っていた不安や悲しみも、あっさりと全部消えてしまった。

僕はいい子。わるい子じゃない。他でもないマキちゃんに言われたから、心にじーんと響く。
僕が本当はわるい子でも、どうでもいいとさえ思ってしまう。マキちゃんや、だいすきな家族にいい子だって思われているなら、なんでもいいやって。


「ヒナタはいい子だから、ヒナタを叩いたり蹴ったりする奴は悪い人間だ。だから、叩いてもいいだなんて言うな。分かったか?」


ふと、ちょっぴり難しい言葉を説かれて眉尻を下げた。
少し考えて、ようやく理解する。たしかに、いい子を叩く人はわるい人ね。仮にいい人のマキちゃんを痛くするような人がいたら、僕はその人を許せない。大嫌いになっちゃうもの。


「うん、わかったのよ。僕、しっかりわかったの」

「……そうか。ならいい」


本当に分かっているのか?という疑惑の視線を感じるけれど、たぶん気のせいね。
マキちゃんが呆れ顔をしながらも頷いたのを見て、ほっと息を吐いた。さっきのおこりんぼなマキちゃんは完全に落ち着いたみたい。よかった、よかったのよ。


「──マキシミリアン様。落ち着いたところで少々よろしいでしょうか」


マキちゃんのおこがなくなってなにより、とふすふす頬を緩めていると、今度はツバキさんの声が聞こえてハッとした。

そういえば、ここにはマキちゃんだけじゃなくてツバキさんもいたんだった。
とっても静かだったから忘れるところだったのよ、と僕ったらちょっぴりびっくり。僕がまん丸おめめで振り返ると同時に、マキちゃんも無表情で声の方を向いた。


「ツバキ、お前もいたのか」

「えぇ。初めからおりました。そろそろお声がけしても?」


マキちゃんが僕を抱っこしたまま立ち上がり、踵を返しながら「何の用件だ」と返す。
淡々とした返答を受けて、ツバキさんはマキちゃんと同じ無表情のままやっぱり淡白に答えた。


「失礼ながら、ヒナタ様に対して今一度謝罪をなさるべきかと。ヒナタ様は無断で部屋を出たわけではありませんので」

「……何?」


クローゼットに手を掛けようとしたマキちゃんの動きがピタッと止まる。
訝し気に振り返るマキちゃんに、再びツバキさんは平坦な声音で容赦なく言葉を続けた。


「ヒナタ様は一度、マキシミリアン様にお声がけしようと奮闘なさいました。しかしマキシミリアン様は一向に目覚める気配がなく。そのためヒナタ様は、仕方なくお一人で部屋を出られたのです」


マキちゃんがぱちくりと瞬く。さっきの歪んだ表情もだけれど、これもまた珍しいお顔だ。
まん丸に見開かれた瞳がこっちを向いて、視線だけで「それは本当か」と尋ねてくる。僕がこくこくっと頷くと、マキちゃんはたちまち申し訳なさそうに耳を垂らした。


「そうだったのか……すまない、ヒナタ。先程の件は完全に八つ当たりだったな」

「うぅん、いいのよ。マキちゃん、僕を心配してくれたのね。なんにも悲しくなんてないから、だいじょぶよ。心配してくれてありがとねぇ」


さっきマキちゃんが混乱しちゃったのは、僕を心配してくれたからこそのこと。
だから、マキちゃんにはなんにも悪いところなんてないのよ。そう言うと、マキちゃんはほんのちょっぴり表情を緩めた。

よしよしと撫でられて頬が緩む。よかった、今ので空気が完全に元通りになったみたい。
ツバキさんのおかげね。そう思ってマキちゃんの肩越しに目をやると、ツバキさんは僕が口パクで言った「ありがとねぇ」に対して、瞳を緩く細めて応えてくれた。

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