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21.予言の子(マキ視点)

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獣人達から神格化されたヒト族は、いつからか全ての逸話や予言を史実ではなく『神話』として語られるようになった。

その中でも最も有名な神話が『再来の予言』だ。

全ての獣人が物心つく前から学ぶその言い伝えの中には、ヒト族絶滅後に現れるというとある人間の話が記されていた。

曰く、“予言のヒトの子は甘美な香りを纏う”
“至上の美しさは一目で、愛らしさは一声で”
“予言の子が羽化する時、民衆はその真価を目の当たりにするだろう”

遥か昔、獣人の王が神から託された『再来の予言』の一部だ。
新たな種として獣人が現れ、長い年月が経った後。再び神話の天使がその地に戻り、奇跡を起こすという予言。
その“奇跡”とやらが一体何を指すのか、そこまでは神話に記されてはいなかった。現代まで代々継がれてきたのは、あくまでヒト族への盲目的なまでの信仰心のみ。

奇跡を起こす力を持つという予言の子。
獣人達は切に焦がれた。信仰する絶対的な天使、予言の子が現れることを。そして、その予言の子が自在に操るという『奇跡を起こす力』の神髄を。

獣人の時代が創世された時から焦がれて、焦がれて、そうして長い年月を経た今この瞬間。
遂に獣人達は、予言の子の奇跡の力を目の当たりにした。



***



ヒナタが来るなと命じた瞬間、世界は時が止まったかのように一瞬の静寂を生んだ。
誰一人として動けなかった。ほんの一瞬のことだったが、それが魔法とは違う、この世ならざる力であるということを、その一瞬で全員が理解した。


「むぅ。みんな、かちこちになっちゃったねぇ」


たった今目の当たりにしたのは、まさに予言の子の奇跡の力に違いない。
違いない、はずなのだが……当のアホの子は、どうやら自らの神秘性を全く自覚出来ていないらしい。ぽややんと眠そうに語るその姿を見て、思わず強張っていた身体から力が抜けた。


「──だ、団長、今のって……」


騎士達が一斉に振り返る。困惑や動揺、驚きを表情に滲ませる部下達を一瞥し、短く溜め息を吐いた。この様子では、もう此奴等は使い物にならないだろう。

手前に呆然と突っ立っている騎士達を軽く掻き分け、呑気に欠伸をするアホの子のもとへ。
無表情のまま近付くと、気配を察知したのかアホの……ヒナタがぱちっと目を開いた。


「むぐぅ……むぐっ。む、まきちゃ。マキちゃん、いるねぇ」


ふにゃふにゃと頬を緩めながら「おひさしぶりねぇ」と語るヒナタ。のほほんとした姿を見て、再び短い溜め息を何度か吐いた。
不敬にもヒナタを抱く辺境の英雄は、数秒前に目の当たりにした光景が頭から離れないようで、アホ面のまま硬直している。それを良いことに、屈強な腕の中からサラッとヒナタを奪い取った。

赤髪の間抜け面がハッと息を呑む姿を横目に、奪い取ったヒナタを抱え直す。
ヒナタはきょとんと目を丸くした後、すぐにふわっと柔らかく笑った。


「む?まきちゃ、だっこ?だっこ、ありがとねぇ。ぎゅうするのよ、ぎゅう」


このアホはどうやら本当に状況を理解していないようで、ふにゃふにゃと楽しそうに身体を揺らし始めた。
俺とクソ虎で“抱っこ比べ”をしているとでも思っているのだろう。現状を楽しい遊びとしか思っていない様子に呆れ顔を浮かべる。

軽く額をこつんと小突くと、ヒナタは「むきゅっ」とおかしな声を上げながら手で額を擦り始めた。ぷくっと膨れた頬が可愛らし……アホらしい。


「こつんこ、だめよ。こつんこ、いたいいたいねぇ。わかったの?」


こつんこ、だと。なんだそれは。一々可愛らし……アホらしいことを口にして。
ヒナタがアホなことを言う度、する度、眉間に刻まれる皺が増えていく。表情の険しさが増していくのは、ヒナタが何度もアホなことをする所為だ。
眉を顰めてでも無理やり力を入れなければ、今にも情けない表情を晒してしまいそうで。


「むん。むぅ。まきちゃ、お兄さん。なかよし、するのよ。ふん、ふん……」


ヒナタは小さく欠伸をしながら、クソ虎と仲良くなどという戯言を吐く。
国に楯突き、騎士団に不名誉を与え、あろうことか獣人にとっての神とも言われる『予言の子』を拉致監禁するという重罪を犯したクソ虎と仲良くしろだと?

本当にアホの子だ。本来であれば、重罪人であるこの男をすぐにでも確保して牢獄にぶち込み、極刑を下す用意を進めているところだが……。
だがしかし、我々の“天使”がそうと命じるのならば、歯向かうことは許されない。


「……予言の子の命令だ。騎士団は撤収し、アルベルト・ケネットの全ての罪を不問に付す」


後ろから部下達の動揺の声が聞こえてくるが、全て無視だ。
眠たそうに頭を揺らすヒナタと、驚いたように目を見開くクソ虎。両方を軽く一瞥してから、ヒナタを抱いたまま無言で踵を返した。


「ヒナタ。帰るぞ、いいな」

「んぐっ。む、むぅ。むぅ?かえる?かえるさん?」


げこげこ?と聞き慣れない鳴き声を真似るヒナタに呆れの溜め息を吐く。
どうやら眠気のせいでアホになっているらしい。通常が既にアホだが、眠気に襲われたヒナタは更にアホになる。これ以上は会話を続けることは出来ないだろう。

だがしかし、このまま眠り込んでくれるのなら寧ろ好都合だ。無駄な抵抗をされることなく基地まで戻ることが出来る。
……とはいえ、それで面倒事が全て片付くわけでもない。現状で最も面倒なこの男の処遇をどうすべきか。罪に問えない以上、騎士団として何か対応を強制することも出来ないのだ。


「……おいケネット。貴様に僅かでも良心が残っているのなら、面倒事を押し付けられる騎士団の身になり後処理を担え。責任を放棄するのならそれはそれで構わんが、ヒナタに関わる機会は二度と訪れないだろうな」

「ッ!同行する!俺も連れて行け!」


暗い表情で俯いていたクソ虎が、俺のセリフを聞いた途端ハッと目を輝かせて動き出した。
そわそわと忙しない空気を撒き散らしながらついてくる姿が少しウザったい。ウザったいが、眉間に皺を寄せるだけに留めて無言で馬車に戻った。


「んむ。むにゃむにゃ。むぅっ、もぐもぐ……」


涎を垂らして熟睡するヒナタを抱いたまま座るが、一向に入り口から離れない人影に嫌気が差して振り向いた。


「……おい、いつまでそこで突っ立っているつもりだ。貴様は最後列の荷馬車に乗れ」


まさかヒナタと同じ空間に居座るつもりだったのか?
だとすればとんだ身の程知らずだ。つい先ほどの光景を見て、ヒナタが『予言の子』であることを……そう易々と関わることなど出来ない存在なのだと悟っただろうに。

さっさと退けと剣呑な視線を向けるが、クソ虎は生意気にもその視線を物ともせず、馬車の中へ身を乗り出してきた。


「俺も乗せろ。ヒナタは俺に“一番”懐いてる。起きた時に俺が居なけりゃ、きっとヒナタは号泣するぜ。俺を遠ざけたお前のことが嫌いになるかもな」


ピクッと額に青筋が浮かぶ。このクソ虎、己の立場を分かっているのだろうか。
罪を不問にした此方側に罪悪の感情を抱くわけでもなく、あろうことか脅しのような真似までするとは。

いや、それよりも……何より気に食わないのは、勝手に“一番”を自称していることだ。
ヒナタがこのクソ虎に一番懐いているだと?ふざけるな。俺はヒナタに抱っこを何度もせがまれるほど慕われているのだぞ。たかだか『兄』としか思われていないクソ虎よりも余程強く濃い感情を向けられているのだ。“一番”は俺に違いない。
“一番”は俺のはずだ、俺のはずだが……


「別にいいぜ?荷馬車に乗ろうが何だろうが。ヒナタが俺を求めて号泣したって、お前がそれで恥を晒したって、俺には関係ねぇし」

「──……」


クソ虎はそう言いながら、わざとらしく肩を竦めて踵を返す。
その背を見て拳を握り締めた。ヒナタの贔屓でなければ今頃とっくに殺していたが……それも不可能である以上、不服だがヒナタを盾にしたこの男の言葉は無視出来ない。

ゆっくりと動き出したクソ虎は、俺が呼び止めるなり気味が悪いほどの速さで立ち止まり振り返った。


「……これ以上無駄口を聞く暇はない。乗るのならさっさと乗れ」

「暇がねぇなら端からそう言えよな」


当然のように馬車に乗り込み、足を組んで堂々と向かいに腰掛けるクソ虎。やはり殺した方が良いだろうか。湧き上がる殺意を何とか堪えた。
涎を垂らしまくったヒナタの寝顔がなければ、恐らくこの苛立ちを抑えることなど出来なかっただろう。癒し効果のあるアホ面が手元にあって助かった。


「おい、ヒナタ寄越せ。お前抱くの下手かよ、そんなんじゃヒナタがいい夢見れねぇっつーの」

「『もぐもぐ』だの何だのとアホな寝言を呟いているのが聞こえんのか。貴様に抱かれずともこのアホは勝手に良い夢を見る。引っ込んでいろ兄モドキ」


喧しく「誰が兄モドキだ!ぶっ飛ばすぞ!」と喚く馬鹿から気を逸らす。
この馬鹿と対等に喚き合っていては、此方もやがて馬鹿になりそうだ。ヒナタの涎を拭いてやりながら、喚く馬鹿は無視して窓の外へと顔を向けた。

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