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10.マキちゃん

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その後騎士団の馬車に乗せられた僕は、気が付くとぐーぐー眠ってしまっていた。
起きた時にはルンちゃんはいなくて、なぜか寝かせられていたのは大きなふかふかベッドの上。のそりと起き上がってすぐ、僕はへにゃりと眉尻を下げて室内を見渡した。


「ルンちゃん……?ニルちゃん……?」


厚い毛布を搔き集め、顔だけ出すみたいにくるりんと毛布に包まる。
恐る恐るきょろきょろ視線を動かすけれど、やっぱり室内に人の気配は感じられなかった。

部屋はとっても広くて、テレビで見たことのあるホテルのお部屋みたい。
置かれた家具は全部高級そうで、ベッドにも天蓋がついていた。これはあれだねぇ、せれぶさんのお部屋に違いないねぇ。


「うぅん。ひとりぼっち、さみしいねぇ」


のそのそとベッドの上を這い、よっこらせと床に降り立つ。
それと同時に、服を着替えさせられていることに気が付きハッとした。
慌てて見下ろすと、ルンちゃんのシャツは無くなっていて、代わりにいかにも上質そうな素材で出来た黒いシャツを着せられていた。ぶかぶかだから、子供用の服ではなさそうだ。

シャツを引き摺るように歩いて、広い部屋の中を探険する。
もこもこのカーペットに、お高そうなソファとテーブル、繊細な細工が施された花瓶に挿さった青い薔薇。見れば見るほど、お金持ちのお部屋って感じだ。


「うぅん。うぅん」


ここどこだろうねぇ、ひとりぼっちさみしいねぇ、なんて色々考えながら歩き回り、やがて疲れて立ち止まる。
もこもこカーペットの上にちょこんと座り込んで深呼吸していると、ふいに部屋の扉がガチャリと開かれた。

「うぅん?」と寝ぼけ眼を擦りながら顔を上げる。
暗い室内を歩いて近付いてきたのは、艶やかな黒髪を靡かせた無表情の男性だった。


「あ。こわいお顔のひとだねぇ」


うんしょっと立ち上がり、無言で僕を見下ろす男性にどうもと頭を下げる。


「どうもです。僕、ヒナタっていいますです。お名前なんですか。ここどこですか」


僕は賢いので、しっかり自己紹介を済ませて質問までスムーズに出来ちゃうのである。
えっへんと胸を張りつつ答えを待つけれど、返ってきたのは重い沈黙だけだった。無念である。しょんぼり。


「だんまりは、かなしいねぇ。さみしいねぇ。お話したいねぇ」


まるでお人形さんみたいに、一切動かず話さず止まったまま。
そんな彼を不思議に思いながら、ちょこちょこと歩み寄って手を伸ばす。ぺちぺちっと身体に触れてみても、特に殴られたり蹴られたりはしない。
暴力を振るってこないってことは、この人はいい人だ!そう思った僕は、のほほんと上機嫌に頬を緩めて、無表情の男性にむぎゅっと抱き着いた。


「あのね、抱っこするのよ。ぎゅうするのよ。ぎゅうして。してして。しーてー」


あんまりにも無視を繰り返されるものだから、僕も意地になってむんむんっと飛び跳ねた。
してしてしーてー、とワガママを訴えること数十秒。流石に折れたのか、怖い顔の人はほんのちょっぴり眉をピクッと痙攣させながら、僕をのそりと抱き上げた。

あったかい腕の中に包まれて、途端に機嫌が戻った僕はふにゃふにゃと笑う。


「えへへ。えへへ。ぽかぽかだねぇ。ぎゅうありがとねぇ」


うりうりと頭を擦り付けてお礼を言うと、あからさまに抱っこに慣れてなさそうな男性の手が、ぎこちない動きで僕の頭を撫でた。
お兄さんの安定感ある抱っことは程遠いし、ルンちゃんのスマートなよしよしとも大違い。
だけど、優しい“気持ち”は確かにいっぱい伝わったから、僕はすぐに怖い顔の人が大好きになった。むーん……ちょっぴり、ちょろすぎるかねぇ。


「だんちょさん、好きよ。優しくて、とっても好きだねぇ」


今思い出した。確かこの怖い顔の人の名前は『だんちょ』さんだったねぇ。
ルンちゃんとニルちゃんが敬礼しながら呼んだ名前を思い返す。だんちょ、だんちょって呼んでいたはずだ。僕ってば、賢い。思い出せてえらい。

だんちょさん、だんちょさんってニコニコ呼び掛けていると、やがてだんちょさんはムッと眉を顰めて呟いた。


「……だんちょではない」

「むぅ?だんちょさん、ちがう?」

「だんちょではない。マキシミリアン・フレーベルだ」


ぱちくり。ぱちぱちっと何度も瞬く。ふぅむ、ふむふむ?
困ったねぇ。お名前、だんちょさんじゃないみたい。間違えて呼んでごめんなさいと頭を下げ、正しい名前を呼ぶべくむんっと顔を上げる。
ふにゃっと頬を緩めて、改めてよろしくねぇとご挨拶をした。


「まきまきみぃちゃん。よろしくねぇ」

「マキ……何だと?」

「まきまきみぃちゃん。まきちゃん。よろしくねぇ、まきちゃん」


マキちゃんっていうのね。可愛いお名前ねぇ。
怖い顔なのに、お名前は可愛いのね。なんてほくほく笑う僕を見下ろし、マキちゃんは何やらピクピクと表情を僅かに歪めた。


「マキ……ちゃん、ではない。マキシミリアン、フレーベル、だ」

「むぅ?まきまきれーべる?」

「マキシミリアン・フレーベル。マキは一度だ。マキマキではない」

「むぅ。まきみぃあんこ、れーべる?」

「…………分かった。もうマキでいい……」


ふにゃあと再び頬を緩める。よかった、なにごとかと思ったけれど、やっぱりマキちゃんで合っていたみたいだ。
何度もお名前を繰り返すから、てっきり僕が間違えちゃっているのかと思った。きちんとマキちゃんで正解だったみたいね、よきよき。

なぜだか疲れた様子で溜め息を吐くマキちゃん。おつかれさまなのね、とマキちゃんをよしよししつつ、どさくさに紛れてスーッとその手を頭のてっぺんまで移動させる。
さっきからピクピク動いてその存在を主張していた三角の獣耳……もふもふのそれを見据え、キランッと瞳を輝かせながら獣耳を手の内に捉えた。


「なッ……!何をするッ!」

「もふもふ。もふもふだねぇ。もふもふ」

「やめろ、触るなッ……!」


お兄さんに『あんまり触っちゃだめよ』と言われたことをすっかり忘れてしまっていた僕は、一切の遠慮なくもふもふの耳に両手で触れた。
すぐに本気の制止を受けて、ハッとしながら手を離す。ど、どうしよう……僕ってば、おばかだ。マキちゃんに嫌な思いをさせてしまった。


「あぅ……ぐすっ、ひぅっ……ごめんしゃ、めんしゃっ……」

「な、何故泣く。おい、駄目だ、泣くな」

「うっ、うぅっー」


焦った様子で泣くなと訴えるマキちゃんだけれど、僕は結局堪え切れずにうえぇーん!と号泣してしまった。
滝の如く涙を溢れさせる僕を必死に宥めながら、マキちゃんが「泣くな、泣きやめ」と蒼白顔で繰り返す。なんだか子供に慣れていない大人みたいで、ちょっぴりおかしくて泣き笑いみたいに頬を緩めてしまった。


「あぐっ、んむっ……んふ、んふふっ」

「……。……おい、揶揄ったのか。何故笑う」

「からかってなんて、ないのよ?んへへ、えへへ」

「笑っているだろう」


みょーんとほっぺを引き伸ばされ、むうぇーっとあわあわ抵抗する。
「仕置きだ」と言ってぐわんぐわん揺らしてくるマキちゃんに慌てて抱き着き、ごめんねぇと再び頭を下げた。ぐわんぐわんはだめよ、ぐらぐらーって酔っちゃうからねぇ。


「ごめんねぇ。もふもふ、もふもふしたかっただけなのよ?」

「馬鹿が。肉食獣人の耳をわざわざ触ろうとする奴があるか。恐れ知らずの愚か者め」

「むん……」


しょんぼりと肩を落とす。僕が獣人なら、きっと今頃耳も尻尾もぺしゃんこになっていただろう。へにゃへにゃっと元気なく垂れていたはずだ。
マキちゃんてば意外と容赦ないのね、と眉尻を下げる。しょぼしょぼする僕に気が付いたのか、ふとマキちゃんが僕をそっと床に下ろした。


「……来い。状況を説明してやる」


そう言って背を向けるマキちゃん。僕を置いて部屋の奥に進んでいくマキちゃんをぱちくり見つめた数秒後、ほっぺをぷくっと膨らませながら呼び止めた。


「マキちゃん」

「……何だ」

「ぎゅうするのよ?僕、ぎゅーじゃなきゃ歩けません」

「……何をふざけたことを。さっさと来い」

「やだです。ぎゅうしてくれないと行きません」


マキちゃんの額に青筋が浮かぶ。あれま、マキちゃんってば短気なのねぇ。
なんて他人事みたいに思いながら、その場にぽすっと座り込む。床を両手でぺちぺちっと叩きながら、ダメ押しのセリフを繰り出した。


「ぎゅう。ぎゅう。ぎゅーすーるーのー。だっこだっこ、だっこー」

「っ……!!」


わなわな震えるマキちゃんの背中。
ぐるんっと勢いよく振り返ったかと思うと、マキちゃんはドシドシと足音を立ててこちらに向かってきた。

ひょいっとようやく抱き上げられ、嬉しくてふにゃあっと頬を緩める。


「やたぁ。やったぁ。マキちゃん、ぎゅうありがと。ありがとねぇ」


深く長い溜め息を吐いて、マキちゃんがお疲れ気味に吐き捨てた。



「何なんだ、お前は……」


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