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5.ヒトと獣人
しおりを挟む「ぐー……ぐー……」
「結局疲れて寝落ちしかけてんじゃねぇか」
「寝てないよ。起きてるねぇ。ぐぅー……」
すぴーっと寝息を立ててしまいそうなところをグッと堪える。
重い瞼を無理やり開くために、ごしごしともちもちの手で強く擦った。何だか目が真っ赤になっちゃった気がするけれど、しょうがないねぇ。きちんと起きなきゃ。
唇の端から零れそうになっていた涎をむぐっと飲み込みつつ、むんむんとよろけながら立ち上がる。
それと同時に、さっきお兄さんが素っ裸を包むために巻いてくれたらしい布がぺらりと剥がれ落ちてしまった。
「あらら。すっぽんぽんに戻っちゃったねぇ」
「おい馬鹿ッ……!のんびりしてねぇでさっさと身体隠せ!お前の身体が獣人にとってどんだけの宝だと思ってんだ!ちっとは危機感持てっての……」
思わぬお説教を食らい、予想していなかった大声にびっくりして泣きそうになってしまった。ひっくと涙を呑み込み、しょんぼりと肩を落とす。
危機感、危機感……その言葉を聞いて、ふと小さい頃に受けた嘲笑を思い出した。
のろまな僕を嘲笑いながら、みんなは『危機感のないぼんやりヒナタ』だとか『何も考えてないポンコツヒナタ』だとか、僕にひどい悪戯を仕掛けてたくさん笑い者にしたのだ。
施設の先生も中心になって笑うものだから、悪い子たちの暴走は更にひどくなった。
僕の行く先にわざと障害物を置いては、気づかず転ぶ僕を見て嘲笑って……その姿を今でもふと思い出すくらいには、とっても悲しかった。
なんて、急なフラッシュバックでぷるぷる震えながら俯く僕を、お兄さんは何やらあわあわと慌てた様子で見下ろし始める。
さっきまで浮かんでいた怒りの表情はもうない。どうしてそんなに焦った顔をしているんだろう、とぱちくり瞬いた。
「ぐすっ……怒って、ないの」
「はぁっ?誰がいつ怒ったって?つーかそんなことより、どうしたんだよ急に。悪い、また俺が何か嫌なことしちまったか?泣かせるつもりはなかったんだが……」
頭をぽんぽんと撫でられる。服が汚れることもお構いなしに、お兄さんは地面に膝をついて僕に目線を合わせてくれた。
その姿を見て、お兄さんが本当に僕を想ってくれているのだとふいに悟る。嬉しくなって、僕はふにゃっと微笑んだ。
「そかぁ。ありがとう。あのね、怖い顔だったからねぇ、おこなのかと思ったの」
「何言ってんだ、別に怒ってねぇよ。心配したんだ。ただでさえ可愛くてちっこいのが更にマズイ感じになったら、マジでマズイだろ」
心配?とぱちくり瞬く。そっか、そっかぁ。これが『心配』っていうのね。
心配と怒りは、ちょっぴり似ているような気がする。僕ってば、心配されたことが全然ないから、おこなのか心配なのか判断が難しい。
でも、でも、嬉しいな。とっても嬉しい。心配って、こんなに胸がぽかぽかするやつだったんだ。
あれれ?でも、お兄さんはどうしてそんなに僕を心配しているんだろう?僕がちょっぴりすっぽんぽんになったところで、誰も見てないんだから別にいいんじゃあ。
「ねぇねぇ。僕のすっぽんぽんがお宝って、なぁに?どういうことなの?」
お兄さんが真っ裸にしっかりと布を巻き付けてくれる。それを万歳して受け入れながら尋ねると、何やらポカーンって感じの表情が返ってきた。
あれれ、僕ってばおかしなこと言っちゃったかねぇ。
「お前……さっきからまさかとは思っちゃいたが、本当にヒト族の神話を知らねぇのか?ヒト族だってのに?」
むぅ?と首を傾げる。そういえば、さっきも『ヒト族』だとか何とか言っていたねぇ。
ヒト族ってなんだろうねぇ、と首を傾げると、お兄さんは呆れの色を通り越して顔面蒼白した。あらま、僕ってばおかしなことを言っちゃったみたいだねぇ。
「そうか、そこからか……。まぁ、記憶が無いなら仕方ない、か……?」
座れ、とジェスチャーで指示され大人しく腰を下ろす。
ちょこんと地面に座った僕を見てうむと頷くと、お兄さんも僕の正面に胡坐をかいて座り込み、何やら真剣な顔で話し始めた。
「流石にこれは覚えてると思うが、一応聞いとくぞ。お前、“獣人”についてはちゃんと理解してるか?」
「じゅーじん?」
「…………はぁ。分かった。とりあえずお前の現状は理解した……」
じゅーじんってなんだろうねぇ。なんて首を傾げる僕を見て、お兄さんは眉間に指を当てて溜め息を吐いた。
僕ってば、また何かおかしなことを言っちゃったみたいだ。お疲れ気味のお兄さんを見上げて、ふすふすと身体を揺らす。お兄さん、大丈夫かねぇ。
「自分の名前覚えてるだけ奇跡だな……」
深い溜め息を吐いたお兄さんは、気を取り直すみたいにこほんと咳払いして、頭に生えたもふもふの耳を突如指さした。
「そんじゃ、これも初めて見たって認識か」
「もふもふ?人なのに、もふもふの耳があるのはおかしいねぇ」
「やっぱそうか……」
そういえば、もふもふの耳について聞くのを忘れていた。
初めてお兄さんに会った瞬間から気になってはいたけれど。ようやく話題に挙がったのをいいことに、そろりと手を伸ばしながらキラリンと瞳を輝かせる。
「僕も、もふもふしたいねぇ」
「ん?何だ、触りてぇのか?」
「もふもふ。もふもふ、したいねぇ。もふもふ」
もふもふと繰り返しながら手をぱたぱた動かす。そんな忙しない僕に苦笑して、お兄さんは「分かった分かった」と頭を伏せてくれた。
目の前に現れたもふもふの耳。ぱぁっと更に瞳を輝かせて、遠慮なくもふっと摘まんでみる。
「もふもふ。もふもふだねぇ。かわいいねぇ」
「お前、ほんと変わってんなぁ。虎の耳を触ろうと思う奴も、可愛いだなんて言う奴も初めて見たぞ」
もふもふと耳を撫でたり触ったり。もふ耳に頬擦りしてむっふーと堪能していると、やがてお兄さんが何やら頬を染めながら顔を離した。
「……いいか?獣人の耳は本来、他人に触らせちゃいけねぇ部位なんだ。俺以外の獣人の耳を不用意に触るなよ、分かったな?」
「うぅん。わかった。お兄さんのは、いいの?」
「俺のはいい。ただし俺だけな。俺以外は皆ダメだ、いいな?」
わかったぁ、とのんびり頷くと、お兄さんは「ほんとに分かってんのかぁ?」と呆れ顔を浮かべた。失礼な。きちんと分かったに決まっている。
お兄さん以外のもふもふは触っちゃだめ、でしょ?しっかり分かったから、大丈夫。
もふもふの耳に手を伸ばす僕をぽんぽん撫でながら、お兄さんは『獣人』についてを軽く説明してくれた。
「獣人ってのは、獣の特徴を継いで進化した種族のことだ。大抵は耳や尻尾が生えていたり、身体に鱗があったりする。多くの種族が存在しちゃいるが、その中でも獣人の数は圧倒的だ」
「それじゃあ、ヒトも獣人なの?」
「いいや。ヒト族は獣人じゃねぇ。ずっと昔に絶滅したが、今では獣人に『神話の天使』と呼ばれ崇められる、立派な信仰対象だな。まぁ、言っちまえば“神”みたいなモンだ」
ぱちくりと瞬く。人が神様として崇められているなんて、あまり想像できない。
人は人だし、神様は神様だ。獣人はどうして人を神様として崇めるんだろう。純粋な疑問をはてと尋ねると、お兄さんは僕の耳をふにふにと撫でながら答えた。
「ヒトは獣人が完全進化した姿と言われている。獣人がどう足掻いても辿り着けない最終領域がヒト族だ。神だの天使だのと呼ばれて崇められるのも無理ねぇだろ?」
「うぅん。それじゃあ、僕もかみさま?」
「ん?いや、お前は神っつーより、天使だな。まさに『神話の天使』そのものだ」
むーんと項垂れる。僕が神様だなんて、すごい!僕すごい!と思ったのに、僕は神様じゃなかったみたいだ。むーん。
でも、天使ではあるらしい。神様には届かないけど、しかたないから天使くらいにはしてやるか、って感じだろうか。
ちょっぴり不服だけど、天使さまだなんて呼ばれるのは、悪い気がしないねぇ。
「えへへ。ふんふん、でも僕は、じゅーじんの方が好きだねぇ」
今度はお兄さんがぱちくりと瞬く。何でそう思うんだ?と問われて、僕はほんの少ししょんぼりと目を伏せた。
僕が知る『ヒト』は、全然神様なんかじゃないもの。
「ひとは、怖いの。いじわるするの。でもねぇ、お兄さんは優しいの。もふもふしてて、かわいいの。かわいくて、優しいお兄さんの方が、とっても、とっても好きだねぇ」
ふにゃりと笑う僕を撫でながら、お兄さんはちょっぴり悲しそうな顔をして黙り込んでしまった。
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