余命僅かの悪役令息に転生したけど、攻略対象者達が何やら離してくれない

上総啓

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1巻

1-2

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「……」

 むすっと眉を寄せて黙り込む僕に気が付いたのか、ディランがふとそう言いながら僕を地面に下ろした。答えを待たないなんて質問の意味がない、と思ったがずっと抱かれたままは嫌なので抵抗はしなかった。

「……、……」

 ……まぁ、とは言っても一日のほとんどを睡眠に費やしている僕がこの一瞬で立てるわけもなく。

「フェリ!」
「おいチビ大丈夫か⁉」

 ディランの支えを失った途端、身体がぐらりと傾き、踏ん張る暇もなく倒れてしまった。
 それも思い切り頭から、地面にズサリと。
 すかさず公爵夫妻とガイゼルから慌てた声が掛かったが、それに何か答えることはせず地面に手をつく。ぐっと力を入れて立ち上がって、ふらふらする身体を支えるために、上も見ずとりあえず目の前の足に抱き着いた。
 ちなみにこれは一体誰の足だろうと既に抱き着いた状態で確認する。
 見上げて、思わず固まった。

「チ、チビお前……っ!!」

 ガイゼルだ。足の主はよりにもよってガイゼルだった。
 じっと見上げて数秒。パッと抱き着いていた手を離し、今度はガイゼルの隣に立つ公爵の足にギュッとする。
 ガイゼルは僕のことを嫌っているからくっつくのは酷だ。可哀そうだからと離れたのに、何故か横からは「はぁ⁉」「何でだよ‼」といった上擦った声が響いた。
 とても煩い。
 公爵も内心僕のことをどう思っているか分からないけれど、表に出して僕を嫌うガイゼルよりは態度が柔らかいから安全だろう。
 とはいえ、ゲーム内の公爵夫妻は割と序盤からフェリアルをよく思っていなかった節があるので、正直今の優しい態度は信用できない。少しでも苛立った様子を見せたら離れよう、と思ったのだが……

「まぁまぁ可愛らしい……!」
「やはりフェリはパパのことが一番好きなのだな」

 なんだ、このだらしないデレデレした表情は。
 最早何かの罠だと言われても疑わない程の緩い顔だ。前世で両親からこんな顔を向けられたことがないから意図が理解できない。これはどんな感情を表しているのだろう。
 困惑する僕を余所に、公爵は僕を抱き上げて頬を緩めた。

「フェリはまだ一歳なのだ、歩けずとも焦る必要はない」
「俺がチビくらいの時は普通に走り回ってたけどな」

 公爵のフォローに少しだけ胸を打たれていると、水を差すような声が突然横から割り込んだ。
 ピタリと硬直した夫人とディランが見えてハッと俯く。
 大方皆、出来損ないの僕に苛立っているのだろう。
 一瞬で変わった空気に動揺したのは僕だけではなかった。
 発端であるガイゼルが瞳を揺らし、心底理解できないという表情で叫ぶ。

「っな、なんだよ……! 何か悪ぃこと言ったか⁉」
「……馬鹿が」
「あ⁉」

 ディランが何かをボソッと呟くと、ガイゼルは苛立った様子で額に青筋を浮かべた。

「脳も筋肉で出来ているような体力馬鹿のお前とフェリを一緒にするな。お前はともかくフェリは最悪歩けなくても良いだろう、俺が抱えて歩けばいいだけだ」
「ふむ、それもそうだな。無闇に歩き回って怪我をする方がかえって危険というものだ」

 当然みたいな顔で一体何を……と呆れながら唯一まともなはずの夫人を見やってさらに肩を落とす。夫人まで「確かにそうねぇ」と緩い感じで納得していた。
 本当に理解できない。
 まさか、貴族というものは自邸の敷地内でも仮面を被らなければならない身分なんだろうか。
 おかしいのだ。フェリアルは誰にも愛されない存在のはずなのに、彼らからは一切の憎悪も嫌悪も感じない。巧妙に隠しているのだとしたら、貴族の仮面というものは心底恐ろしい。
 そう思いながら三人に視線を巡らせる。

「……」
「フェリ?」

 いや、もしかすると“まだ”なのかもしれない。
 ゲーム開始時点でフェリアルは十三歳。愛されない運命が明確になるのはゲーム開始か、開始に近付くごとに段々と……ということなのかも。だとすれば、まだ一歳の僕を彼らが家族と認識してくれている今の状況に説明がつく。
 ……まぁ何はともあれ、この世界がゲームのために創られたものなのは紛れもない事実であるはずだ。そして僕が絶対的な悪役として創られたこともまた、逃れようのない事実だ。
 大丈夫、この状況はイレギュラーじゃない。ゲームは確実に始まる。悪役は愛から見捨てられ、その結末は最悪なもの。変わらない。絶対に変わらない運命だ。
 僕は未来を知っている。怖いことなんて何もない。未来を知らなかった前世のように、ありもしない幻想や愛情を追い求めたりしない。絶対の運命に想定外は起こらない。
 ならば、と公爵の腕の中で小さく抵抗する。

「ん? あぁ、降りたいのか」  

 察した公爵が僕を地面に下ろし、何故か嬉しそうに微笑みながら僕の背を支えた。無表情でじっと見つめる僕に気付くと、公爵はきょとんとしてからやわく笑った。

「フェリが意思を伝えてくれることが嬉しいんだ。些細なことでも、どんな伝え方でも、フェリが意思を表したという事実がとても嬉しい」

 その笑顔に心が冷える。心底愛おしいとでも言うようなその表情は、本当に本物なのか。それが分からない以上、悪役の敵になる公爵には不用意に近付きたくはない。
 せめてゲームが始まるその日までは、誰にも邪魔されず穏やかに生活を送りたいのだ。

「なんだチビ、歩く練習か? ヒョロいんだから無理すんなよ」
「お前、いい加減黙れ」
「なっ……⁉ お、俺はただチビが怪我でもしたらって……」

 ディランとガイゼルが何やら言い争っているが、公爵の笑顔に気を取られて内容を聞き取れなかった。
 どうせいつもの碌でもない口論だろうし、別に知る必要はないけれど。
 ふい、と顔を背ける。すると横から声が掛かった。

「フェリ」

 振り向くと、ディランがいつの間にか口論をやめてしゃがみこんでいる。

「フェリ、ここまで来れるか。ここまで来れたらフェリは天才だ」

 たかだか二メートル程先にしゃがみ込むディランが、やっぱり読めない表情で淡々とそう語る。
 無視することは出来た。まったく別の方向を向いて、彼らから離れるように歩くことだって出来た。
 けれど何故だろうか。そんな選択肢はあっさりと消え去って、僕の足は引き寄せられるようにディランのもとへと向かった。
 違う。別に深い意味なんてない。ただ、歩くにはゴールが必要だから。ゴールがなければ、最初の一歩も踏み出せないから。

「おいおい大丈夫なのかよ⁉ 足ぷるぷる震えてっ……いや可愛い、可愛すぎだろ……⁉」
「ガイゼル、こういう時はあえて手を貸さず見守るものよ。……それにしてもなんて可愛らしいのかしら」

 後ろでヒソヒソと騒ぐ外野を無視してひたすら足を動かす。幼児の短い足では一歩進むのでも大変で、三歩目で既に息切れが始まった。
 所謂よちよち歩きと言われるものだ。短い両腕を正面に伸ばして、かくかくと覚束ない足取りで地面を踏み締める。その繰り返しが意外と辛い。
 半分くらいまで来ただろうかと前を見上げて、驚愕の光景にぎょっと目を見開いた。
 正面でしゃがみ込む無表情のディラン。そんなディランは、何故かツーッと鼻血を滴らせてじぃっと僕を視線で射貫いていた。
 鼻血を滴らせても絶世の美形が崩れないなんて、流石メインキャラである攻略対象者だ。それにしてもこの短時間で何があったのだろうか。

「ぐっ……ふ……フェリ、もう少しだ。頑張れ。俺はここだ、ほら、来い」
「ちょっと落ち着けよ。あと汚ぇから鼻血拭け」

 ガイゼルの言葉を聞いてディランが雑に鼻血を拭う。
 それを見ながら、僕は両腕を広げて徐々に前のめりになるディランに手を伸ばす。最後の一歩を倒れ込むように踏み出すと、即座に背中に力強く腕が回った。
 ――ぽかぽかと、胸の内を支配するこの感情に気付いてはいけない。

「フェリ……フェリは天才だ。凄い、凄いぞ」
「──……」

 息を呑んだのは、たぶん僕だけじゃない。背後から微かに届いた涙を堪えるような気配は、たぶん夫人と公爵のものだ。
 そして視界の端に映るガイゼルもまた、これ以上ないほどに目を見開いている。

「凄いな……フェリ」

 いつもならば、淡々として、常に感情の読めない無表情。
 でもディランの顔に今浮かんでいるのは、いつものそれとはまったく真逆のものだった。
 ふにゃりと綻ぶ、眉も目尻も垂れ下がった柔らかい笑み。

「……」

 良くない兆候だと分かっていても。
 気付けば、冷え切った心は溶け始めていた。



  【双子と弟】


「何だチビ。もう疲れたのか?」

 時が経つのは早く、転生してからそろそろ二年。
 最初の歩行に成功して以降、僕は邸宅の敷地内での散歩ができるまでに成長した。
 広い庭園の散策を始めて数十分が経ち、薔薇園ばらぞのや温室などを通りすぎて、邸宅から離れた一つの森のようになっている場所まで訪れた。適度に整備されたこの森も公爵家の敷地内だというから驚きだ。
 そして今。僕は小川に架かった木製の橋を渡ったところで力尽きていた。
 小さく息を切らしながらしゃがみ込むと、背後からガイゼルの呆れた声が届く。同時にディランの足音も静かに近付いてきた。

「……」
「凄いぞフェリ。こんなに歩けるなんてフェリは天才だな」

 そう言いながらディランが僕を抱き上げる。
 この流れも外に出るようになったこの一年で、最早恒例となっていた。
 大分歩けるようにはなったけれど、まだ走ることは難しいし転ぶことも多い。面倒なことに、体力がつきにくいという特性は前世から持ち越してしまったらしい。
 歩く練習はここ最近毎日のようにしているし、いつもこんな僕に付き合うのは大変なはず。
 それなのに、双子は必ず僕についてくる。ある日、一人でも平気だということを示すために無断で庭園に出た時なんて、邸宅中大騒ぎになってしまったぐらいだ。
 あの時の双子の必死の形相が忘れられなくて、それ以来二人がついてくることを受け入れるようにはなったけれど……それにしたってこの双子は何の反応もしない僕に構って一体何が楽しいんだろう。

「フェリ、そろそろ戻るか」

 ディランが腕の中を覗き込んで淡々と問う。それにむすっと眉をひそめると、ディランはすぐに理解したらしい。

「ん? まだ駄目か、分かった」

 頷いて、ディランが僕を地面に下ろす。

「……ディランお前……チビの考えてることよく分かるな……」

 一連の流れを見ていたガイゼルが何やらボソボソ呟いていたが、それには構わず再び足を進める。いつもの言い争いが始まりそうな気配を背に、歩きながら空を見上げた。

「フェリは表情豊かだから分かるに決まっている。今だってあんなに楽しそうだろう」
「えー……俺にはずっと無表情にしか見えねぇぞ……」

 ふいに視界を横切った影を反射的に目で追う。
 ひらひら悠々と僕の周りを舞うのは、鮮やかな色彩の蝶だった。青いはねに銀色の模様が神秘的に描かれている姿は前世では見たこともない。異世界の生き物なだけあってとても綺麗だ。
 何となく人差し指を立てて手を掲げると、その蝶はふわふわと掴みどころのない軌道で指先にとまった。

「……」

 本当にとまってくれるとは思わず、驚いて立ち止まる。
 じっと鮮やかなはねを見つめると、蝶はやがて楽しそうに羽ばたいた。ふわりと浮き上がり、くるりと回りながら高く飛んでいく。
 それを追うように顔を上げると、その蝶は木漏れ日に照らされるようにして高く遠くへと消え去ってしまった。

「どうしたチビ。アレが欲しいのか?」

 ぼーっと蝶を見送っていると、突然視界に大きくガイゼルの顔が現れた。
 固まる僕を見下ろすガイゼルは「どうなんだよ?」と首を傾げてから視線を辺りへ移す。それから、視線の先にいた同じ種類の蝶を見やると、悪戯っぽく笑って歩き出した。
 初めのうちは何をする気なのだろうと眺めていたが、ガイゼルが起こした行動に目をみはった。

「っ……!」

 ガイゼルはあろうことか、心地よさそうに舞っていた蝶のはねを鷲掴んだのだ。
 そして捕まえた蝶を僕に向けるとまたしてもニヤリと笑う。どうだと言わんばかりの満足そうな表情を見て蒼白になった。
 ガイゼルが何やら自慢げに語っているが、嫌な耳鳴りのせいでその内容はまったく聞こえない。僕の意識は苦しそうにはねを痙攣させる蝶に集中していて、それ以外は何も分からなかった。
 ――あの蝶は関係ない。
 僕達と違って、あの蝶に運命なんてものはないはずだ。この世界には関係ないはずだ。
 運命に縛られた僕達と違って、あの蝶はどこへだって行けるのに──

「うおっ! おい、急にどうしたんだよチビ⁉」

 反射的に飛び出してしまうかもしれないと危惧した声は、予想に反してまったくその素振りを見せなかった。まるで声そのものを失ってしまったかのような感覚に一瞬驚く。
 けれど、そんな驚愕は本当に一瞬だった。

「……っ! ……!」

 意識は再び蝶に固定されて、僕は走り出した先に立つガイゼルを力の限り叩いた。
 叩くといってもその力は弱々しく、子供ながらに騎士の如く鍛えられたガイゼルの身体には痛みすら与えられなかったようだ。それでも、握り締めた拳でガイゼルの足をぽかぽかと叩き、ギリギリ届く服の裾を引っ張ってなんとか腕を下ろさせる。

「な、なんだよ……何か気に入らねぇことでもあったのか……?」
「フェリ、落ち着け。また息が切れるぞ」

 後ろからギュッと抱き締められ、ガイゼルから距離を離される。
 背中にふと与えられた温もりに荒れていた気持ちが徐々に凪ぐ。浅く呼吸をしながら動きを止め、お腹に回される腕にしがみつくようにして抱き着いた。

「……いい子だ。馬鹿のせいで少し混乱してしまったな……俺がぶん殴っておくから安心しろ」
「はぁ⁉ 俺はなんもしてねぇだろうが!」
「寝言は寝て言え愚弟。フェリがパニックを起こした原因を己の胸に問うが良い」

 背中をディランにぽんぽんと撫でられながら抱き上げられる。
 耳鳴りがようやく止んで、今度は頭上で繰り広げられる口論に鼓膜が疲弊する。顔を歪めた僕に気付いたらしいディランがピタリと会話を絶ち、ふとガイゼルに片手を差し出した。

「……んだよ」
「その蝶を寄越せ」

 突然の命令にグッと歯を食いしばったガイゼルだったが、僕の視線に気付くと大きく瞳を揺らして固まる。そして、狼狽うろたえる様子を見せたかと思うと、ガイゼルは何も言い返すことなく命令通りディランに蝶を渡した。
 その光景に僅かに目を見開く。他人に指図されることを何よりも嫌うガイゼルがディランの言葉に従った。その事実がとても衝撃的だったのだ。

「フェリ」
「……」
「フェリ。ほら」

 俯いていた顔を上げる。
 視線の先には、ディランの指先に静かにとまる蝶。その蝶ははねを大きく揺らして今にも飛び立とうとしていた。
 見たところ傷は付いていないようでほっとする。僕が手を伸ばしたと同時に、蝶は手から逃れるように空高く舞い上がっていった。

「──……」

 よかった。
 自由であるものが、自由でいられてよかった。
 蝶が完全に見えなくなるまで視線を逸らさず、ただずっと空を見上げた。
 はっきりと姿が見えない程高い場所にいる鳥が鳴いて、その音で我に返る。
 ふいにザッ……と足音が聞こえてその方向を向くと、柄にもなく眉尻を垂れ下げたガイゼルが小さな花を持って視線を彷徨さまよわせていた。
 九歳にしては大きな身体のガイゼルが花を持つと、何だか奇妙な違和感があって少しおかしい。思わず目元を緩ませると、ガイゼルはふにゃりと唇を引き結んで言った。

「さっきはその……わ、悪かった……こういうのなら、喜ぶか……?」

 そう言って差し出されたそれを受け取る。真っ白で小さなそれは、前世で何度か見たことのある花に似ていた。
 ふわふわと風に揺れる白い綿毛。蝶と同じでこの世界には関係なく、運命もない。けれど蝶とは違って、自分以外の手を借りないと自由になれないもの。
 微かに息を吸って、できるだけ大きく吐く。
 ばらばらに舞い上がった綿毛は、それぞれ小さな種を持って飛んでいった。
 日差しに照らされるそれは、まるで蝶の鱗粉のように輝いてとても綺麗だ。

「……」
「……?」

 無意識にガイゼルの裾を掴む。振り払われないのは、まだ運命が始まっていない証拠だ。
 不思議そうに見下ろしたガイゼルは、僕の顔を見るなり目を見開いて、次の瞬間泣き笑いみたいに表情を崩した。

「あぁ……ディラン、お前の言う通りだな」

 ディランが小さく微笑む。

「すげー……楽しそうだ……」

 その表情に何も答えられないまま、僕はただ綿毛を目で追った。



   第二章 ひとつめの運命


「……」

 三歳になったあくる日、僕は、僕と同じプラチナブロンドの毛並みの中からこれまた僕と同じ瑠璃色の瞳がこちらをじぃっと射貫いてくるのを見つめ返した。
 もふもふとしたその子は、やがてみゃあと鳴いてきびすを返し、耳をピクピク動かしながら興味なさげに遠ざかっていってしまった。

「……」

 ぱちぱち瞬いて、しゃがみ込んでいた姿勢から立ち上がる。それから僕はその猫の後を追った。
 遠くから金属同士が激しく当たる音がする。公爵家の敷地内にある騎士訓練場に、十歳になった双子も行くようになったのだ。
 特にガイゼルはゲーム通り剣術に魅入られたようで、昼は毎日のように騎士達の訓練に混ざっている。ディランは剣術に特段興味はないらしく、今日のように剣術の授業がある日以外は剣と触れ合わない。
 僕の授業内容に剣術は含まれていない。というか、公爵家の人々の反応を見るに何歳になったとて許可されそうにない。
 曰く「フェリが剣術⁉ 駄目だ駄目に決まってる‼」とのことだ。何故か全員がこう言っているので、僕はたぶん一生剣に触れることすらできないだろう。
 別に剣術に興味はないからいいけれど。
 とまぁこういうことで、僕の一人時間が増えたというわけだ。
 それに双子は家庭教師から授業を受けるようになったから、去年までのように僕に構うことはできない。つまり今年から、僕は一人で散歩をするようになった。
 双子は「危険だから俺達が授業の日は邸内に居ろ」と言っていたが、そんなことを大人しく聞くわけがない。ただでさえそれ以外の時間は誰かしらに捕まっているのだから、少しは一人になる時間が欲しい。
 そんなこんなで一人時間を満喫していた僕だが、先日からその優雅な時間に侵入者が現れるようになった。
 それがこの猫、ミアだ。

「みゃあ、みゃあ」

 静かな空間に紛れる鳴き声。人の声ではないから、特段不快ではない。
 ミアはディランの愛猫だが、主人と長く過ごしている僕を同じように飼い主と認識してしまったのだろう。ディランが授業で構ってくれない時は僕で遊ぶようになった。
 今も興味なさそうに僕を背にして歩いているが、僕が居なくなると機嫌悪そうに鳴き喚く。僕に興味がないフリをしてるのに厄介な猫だ。
 多少面倒だけれど、可愛いので結局許してしまう。
 だから今もこうして、僕は猫のお遊びに付き合っている。

「……」

 それにしても、なんて。
 上機嫌に尻尾を揺らして歩くミアを見ると、胸がぎゅっと締め付けられて苦しくなるのはこの猫の運命を知っているからだろうか。
 異様にミアに甘くなってしまうのも、たぶんその罪悪感故だ。
 ミアも僕と同じ、この世界の運命に巻き込まれたキャラクターだから。
 思い出すのは、前世プレイしたゲームの内容だ。
 ディランルートで登場したその猫は、後に彼の忘れられない過去として主人公に語られる。
 そしてその事件は、ディランが悪役フェリアルを強く憎悪するきっかけでもあるのだ。
 内容は至ってシンプル。
 フェリアルがミアを殺すのだ。それも、小屋ごと焼き殺すという残酷な手口で。
 フェリアルはミアが憎かった。なぜなら、ミアは大好きな兄の愛情を一身に受けていたからだ。
 自分をまったく構ってくれない兄。自分には無表情しか向けてくれない兄。そんな兄が柔らかい笑みを向けるのは当時ミアだけだった。だからフェリアルはミアを殺してしまう。
 悪役として極端な倫理観のなさが必要だったのだと思う。
 ゲーム内のフェリアルは、とても残酷だった。フェリアルはディランの授業日を狙い、ミアを連れて敷地内にある小さな小屋へ向かう。そしてその中にミアを閉じ込め、放火するのだ。
 悲痛な鳴き声を背に歪んだ笑みを向けるあのシーンが、今でも鮮明に浮かぶ。

「──みゃあ?」

 足元から聞こえた鳴き声にハッとする。見下ろせばさっきまで悠々と歩いていたミアが、何やら耳をぺたりと垂らして僕を見上げていた。
 まるで心配するかのように見える視線に目を細める。そんなわけない。ミアは猫だ。猫が心配だなんて、人間みたいなことをするはずない。

「……」

 嫌なことを思い出したせいで、どこかおかしくなったのだろうか。
 馬鹿らしいことをしていると分かっていても、僕は自分の行動を止められなかった。
 近くに落ちていた枝を拾い、ミアの前にしゃがみ込む。
 それから、枝で土に文字を書き、きょとんとしているミアを抱き上げた。
 読んで、という願望を込めてミアを軽く揺らす。ミアは地面に書かれた文字を見つめ、しばらく鳴き声を発さず黙り込んだ。

『ここを出て。僕から逃げて』

 ミアを殺すつもりなんてない。殺したくなんかない。
 ミアはもう大切な家族だ。誰にも言えないものを抱えて一人うずくまる僕に、ミアはいつだってただ寄り添ってくれた。
 人じゃないからだろうか。ミアと一緒にいる時間だけは無条件に安らげるのだ。
 けど、何を思ったって運命には抗えない。運命は変えられない。
 どうなるかはその時にならないと分からないけれど、ここはゲームの世界だから何らかの強制力はかかるはず。
 ミアの死も悪役の行動も、きっと。

「……」

 僕はどうでもいい。僕の運命はそのままでいい。なんならもっと酷な運命だって全部受け入れる。
 だから、だから……ミアの運命だけは、なかったことにしてくれないだろうか。


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