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フェリアル・エーデルス
388.とある平穏な一日のはじまり
しおりを挟むある日。
目が覚めていつもの朝を迎えたかと思うと、空虚な何かが胸にぽっかりと穴を空けていた。そんな感覚が確かにあった。
何かとても重要な、大切なことだけがぽっかりと抜け落ちたみたいな、そんな感覚だ。けれどそれが何なのか分からないから、首を傾げつつもすぐにその違和感を振り払った。考えても分からないのだから、いつまでも空虚な感覚を抱えていても意味が無い。
きっと、眠っている間に見た夢が中々に壮大なものだったのだろう。けれど起きたら大抵忘れているから、今回もきっとそれだ。
感覚だけが覚えているけれど、記憶は覚えていない。そういう、いつものあれだ。そう思った。だから適当に振り払って、それ以降はもう考えるのをやめた。
いつもと変わらない、なんてことない朝。
シモンのおはようを聞いて、服を着替えて、朝食を済ませて。今日は珍しく早めに起きれたから、花の水やりでもしようかな。庭園は昨日もたくさん歩いたから……今日は少し趣向を変えて、温室に行こう。
ぼんやり決めた予定を頭に入れて、シモンを連れて温室へ向かう。邸を出てすぐ、訓練場の方から聞こえた金属音と大きな掛け声にふと立ち止まった。
「騎士の方々は今日も早いですね」
僕の視線が訓練場の方角に向いたことを察したのか、背後についていたシモンが不意にぽつりと呟いた。それにこくりと頷いて「お昼に、サンドイッチつくって差し入れにいこう」とぼんやり答える。
最近サムさんにも会えていないし、応援と交流も兼ねて差し入れを。ふとした思いつきを語っただけなのに、シモンは感極まったように紅潮して「なんてお優しい……!天使!」といつものを炸裂させていた。
それに軽くうむうむと頷いてさらーっと流す。再びすたすた歩き出すと、シモンも慌ててさささっとついてきた。
「そういえば……フェリアル様の銅像、すっかり帝都のシンボルになりましたよね」
柔らかい風を感じながら歩いていると、不意にシモンがはたと照れくさいことを語った。恥ずかしいからあまり銅像の話はしたくないけれど……会話になってしまったからには仕方ない。むぅ。
「……そうだっけ」
「そうですよ!今じゃ国賓の方も帝国に滞在された時は、必ず銅像と石碑を見物に訪れるくらいですし」
そういえば、いつだったかレオが隣国の王太子を招いた時に銅像を見せて、それがえらく好評だったといつかの新聞で読んだ気がする。それ以来噂を聞き付けた国賓の人たちが、帝都に訪れた際は必ず銅像を見に行くようになったと。ぬーん……何度聞いても恥ずかしい話だ……。
てれてれと頬を染めて歩く僕を、シモンは何やらにまにまと微笑ましそうな表情で見下ろしてくる。
む、やめんか、そんな目で見るでない。
むっとしながらも進める足は止まらない。シモンの生暖かい視線を躱しながら温室に辿り着いて入る直前、ふとさっきの会話が脳内で繰り返された。
銅像にまでなるくらい、石碑が置かれるくらい。そのくらいのことが、そういえばあったんだよなぁって。過去の思い出を振り返るみたいな感覚に、ぽっかり空いていたはずの空虚な穴が一瞬だけ懐かしい何かで埋まった気がした。
「……ねぇシモン。神殿であったこと、きちんと覚えてる?前世のこととか、どうしてだろう……僕、あんまり……」
不意にぽつりと零した呟き。シモンがその問いを聞いてピタリと立ち止まり、僅かに丸くした目をこちらに向けた。感情はいまいち読みにくくて、何を考えているのかも何だか曖昧だ。
今朝目覚めた時に抱いた妙な空虚感、壮大な夢を見た後のような感覚。
今までのことを思い返すみたいに頭に浮かべても、湧き上がるのは激情じゃない。少しの感傷と、よくある懐かしさだ。
どんなに思い出深いことも、人生の転機になった出来事も、時間が経ったらこうなるのかな。絶対にその時の感覚を忘れないと誓っていても、やっぱり忘れてしまうのかな。
時の流れって、なんて残酷なんだろう。
きっと当時の僕にとっては自分の全てのことのように思えていたのに、今の僕が抱いているのは懐かしさだけだ。今の僕にとって、あの時の自分は既に『過去』になってしまっている。
きっとそれは、振り返っている暇なんてないからだ。不透明な未来を確かなものにするために、今の僕は必死だから。
今と未来に必死な僕は、その為に無意識に過去を捨て始めている。
「……」
柔らかな風が頬を撫でる。花弁が擦れる微かな音と、遠くから聞こえるのは騎士達のいつもの掛け声だ。
ただ静かに立ち止まる僕の前に、ふとシモンが音もなく移動する。しゃがみこんだシモンと視線が合って、輝く緑の瞳に一瞬で囚われた。
「そういえば、明日は公子の大公位継承の式ですね。祝いの花束の為の……お花を二人で選ぶのはどうでしょう?」
近しい未来の話だからか、シモンの言葉でふと現実に引き戻されたような感覚がした。
そうだ、そういえば明日はライネスの……と同じように考えて、ちょうど温室に来たからそれもいいかもと頷く。瞬く間に現実に戻り、シモンを連れて温室の中へ踏み出した。
「今日はこのあと予定もありませんし、何処かお出掛けでもしましょうか」
「む……!お出かけ!」
いつの間にかシモンと繋いでいた手をぶんぶんと振る。
どこへ行こうかな。そういえば帝都に新しいカフェが出来たとか、何かで聞いたような……あぁでも、いつもの雑貨屋へぬいぐるみを見に行くのもいいかも。或いは、日頃のお礼に兄様たちへのプレゼントを買いに行くとか……。
「何しようかなぁ」
わくわく考えながら歩く僕を、気付くとシモンが穏やかな笑みで見下ろしていた。何しましょうか、といつもの優しい声音で語るシモンにむふふと笑顔を返す。何も決まっていない予定を即興で考えるのも、わくわくしてとっても楽しい。
るんるんと温室を進んでいると、ふと入り口から慌ただしい足音が聞こえて振り返った。そこに立っていた二人の姿に、無意識に頬が緩む。
「フェリ、ここに居たのか。探したぞ」
「庭にいねぇから心配しただろうが!このアホチビ!」
アホチビとはなにごとか、とさっきまで緩んでいた頬がむっとなる。ふくっと頬を膨らませる僕の元に駆け寄って問答無用でひょいっと僕の体を抱き上げると、ガイゼル兄様は安心したようにほっと息を吐いた。
その姿を見ると何も言えなくなる。アホチビは納得していないけれど。
「今日は温室に来ていたのか、珍しいな。兄様も一緒にフェリと散歩してもいいか?」
「いいよ。でも、お散歩じゃなくて水やりだよ。きちんとできる?」
「ガイゼル。きちんと水やりするんだぞ」
「あからさまに面倒臭そうにすんな!てめぇもしっかり手伝え!」
スチャッと早速ジョウロを手に取るガイゼル兄様。ガイゼル兄様は荒っぽいけれど、こう見えて仕事の時はディラン兄様よりもテキパキ動くところがある。
地面に下ろして貰って僕もゾウさんのジョウロを手に取る。ガイゼル兄様がサッと水を満タンに入れてくれたことで、いつもの初めの力仕事を回避することが出来た。ラッキーだ。
どれに水やるんだ?と辺りを見渡すガイゼル兄様を連れて温室の奥へ走る。それを見たディラン兄様とシモンも慌てて追ってきて、その様子に思わず笑みが零れた。
「フェリ、フェリ。大丈夫か?ジョウロ重くないか?兄様が持とうか?」
「おい馬鹿やめろ、チビが必死に頑張ってんだぞ。邪魔すんな」
「ぐぬぬ……っ」
おろおろ心配そうに踏み出すディラン兄様、それをピシャリと引き留めるガイゼル兄様。少し離れた場所で僕達に水晶を向け、無言でパシャパシャ記録を残すシモン。
何の変哲もない、いつもの日常。気付くと胸の内側にぽっかり空いていた空虚な穴は、暖かい何かで満たされていた。
そして今日もまた、平穏な一日が始まる。
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