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フェリアル・エーデルス

386.フェリアル・エーデルス

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「ユウマ!」


 ぽわぽわとした光になって消えかける。小さな子猫をぎゅうっと抱き締めてそれを阻止しようと足掻いた。
 猫が突然光になって消えるなんて普通じゃない。何かまた、マーテルだとか神殿だとか、そういう類の敵でも現れたのだろうか。罪のない子猫に何をしようと……。
 混乱をどうすることも出来ずに慌てていると、尋常ではない僕の様子に気が付いたらしいシモンとグリードが駆け寄ってきた。二人も僕と同様、光になって消えていくユウマを見て目を見開いている。


「これは、まさか……」


 何かを察したのか。グリードが不意に目を見開いてユウマを僕の手から引き離した。
 驚いて反射的に伸ばした手をひょいっと躱し、グリードは問答無用で距離を離してユウマを地面に下ろす。引き留めるものが何もなくなったユウマの体は、さっきよりも更に強く光って消える速度が速くなっていった。


「どうして……!なにするのっ!」


 ユウマの足が透明になっている。どうやらもう立てないらしい。
 グリードの行動が理解出来なくて、半ば発作をするように涙を滲ませる。背後からシモンにぎゅうっと抱き締められたことで少し冷静さを取り戻し、呆然と地面に座り込んだ。

 視線の先には凪いだ虹色の瞳。ついさっき思い浮かべていた彼の瞳と重なって思わず息を吞む。そんなはずはないと否定が浮かんだけれど、同時にまさかという驚愕も湧いた。
 突然光って消えてしまうなんて、ただの猫じゃない。そう、ただの猫じゃなかったんだ。この子は……『優馬』は。


「……優馬」


 ほんの小さな呟きは、きっと僕と彼にしか聞こえなかった。
 さっきまで絶え間なく響いていた周囲の雑踏も、シモンやグリードの心配の声も聞こえなくなる。最期の数秒、猫が人の姿に変わったような気がした。
 色素の薄い髪の色。こことは違う世界の、現代的な制服を着た青年。やがてそれは真っ白な装束に変わって、神々しいくらいの純白の髪に伸びていく。
 虹色の瞳が、まるで神様みたいに悪戯っぽく弧を描いた。

 幻覚だってことは分かっている。
 大嫌いな彼はとっくに消滅して、何処を探したってもう会えない。会いたくもない。
 けれど、最後に聞こえた声も幻聴だったなんて、不思議とそうだとは認めたくなかった。



「──おめでとうフェリアル。バッドエンドだね」




 * * *




「フェリ!」


 大好きな人の声が聞こえてハッと我に返った。
 つい数秒前に直面していたはずの不思議な空間はそこにはなくて、気付くと馬車の中にいた。小窓の向こうにはさっきまでいた広場が見えて、あぁ誰かに運ばれたのかとぼんやり察する。
 数秒ぼーっとしていると、再び「フェリ……!」と強く呼び掛けられた。

 ビクッと肩を揺らして視線を彷徨わせる。至近距離にあった金色の瞳に焦点を合わせて、ハッと目を見開いた。


「ライネス……?」

「フェリ!よかった……呼びかけても全然返事しないから、びっくりしたよ……」


 暖かな腕の中にむぎゅーっと包み込まれる。サラリと流れ落ちてきた黒髪が頬を撫でて擽ったい。思わず目を細めて、艶やかな髪を一束きゅっと握った。
 ……本当にライネスだ。北部にいるはずのライネスが、本当に今ここにいる。

 まだ少し霞んだ頭で「どうしてここに……」と問い掛ける。ライネスはぱちくりと瞬いて、それは……と呟きながら困ったように眉を下げた。


「ユウマが、目の前で突然姿を消したんだ。魔力を追って慌てて転移したら、あの広場に……。フェリが居たから声を掛けようとしたら、ユウマは消えるしフェリは倒れるしで大騒ぎだったよ」


 詳しい話を聞くに、どうやらユウマはライネスと戯れていた最中に突然ぽっと消えてしまったらしい。
 後を追って転移すると、そこには光になって散っていくユウマと倒れ込む僕がいた。何度声を掛けても僕は起きなくて、その間にユウマは完全に消えてしまったのだとか。
 ……おかしい。一度も倒れた感覚なんてなかったのに。気付けばユウマと二人きりの空間にいて、音も何もかも聞こえなくなって。それで……最後は。


「……バッドエンド」


 不穏で物騒なその言葉は、けれどどうしてか穏やかなものに聞こえた。
 僕にとっては、どちらかというと『ハッピーエンド』の方が耳に障る。だからきっと、あの言葉に籠っているのは憎しみでも恨みでも、後悔でも怒りでもない。
 彼は笑っていた。深い考えなんて何も抱いてないみたいな、それこそ神が浮かべるような、とことん無垢で純粋な悪戯っぽい笑みで。


「バッドエンド?」


 ライネスの声が聞こえてハッとする。そこでようやく頭が覚醒して、改めて金色の瞳をじっと見つめた。
 きゅっと握っていた一束の黒髪からも手を離して、離した手をスルッと肩まで伸ばす。何も言わずにむぎゅっと抱き着くと、ライネスは困惑した表情を浮かべながらもぎゅっと抱き締め返してくれた。

 じんわりと追い付く、色々な感情。真実。彼の最期。あの言葉の意味。
 ゆっくり。ゆっくり全てを理解して、理解した頃には涙が止まらなくなっていた。嗚咽も漏らさず、ただぽろぽろと衝動のままに雫が頬を伝う。それを自覚した瞬間、本当に全てが決壊してしまった。


「ぁ……あぁ……」


 いつからそこに居たのか、それとも僕が気付いていなかっただけか。ふと気づくとシモンもグリードも傍にいて、止まらない涙を見られるのが恥ずかしくて慌てて止めようにも、やっぱりどうにもならなかった。
 あわあわと抱き締めてくるライネスに縋りつく。縋り付かなければ、この体が今にも彼のように光になって散ってしまいそうな気がして。


 理解してしまった。


 フェリアル・エーデルスの……悪役だった僕に勝手に存在意義と結末を与え続けた主人公。
 主人公は全てに敗北して、未練も何もかもをたった今果たし切った。全て果たして、完全に消えてしまった。勝手に決めたシナリオも運命も全てを捨て去って。
 予言書も何もない、不透明な未来だけを嘗ての悪役に残して。



 数千年続いた物語はバッドエンドで幕を閉じた。
 主人公の完全な死によって。


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