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【聖者の薔薇園-終幕】
324.大人と子供(レナードside)
しおりを挟む父の言葉が頭の中で巡る。
半ば追い出されるようにして執務室を出た後もそれは止まらず、これでは己の執務にも手を付けられないと目的地を早々に変えた。
父に意見を告げて、そして父には反省して頂きたかった。あれが愚策であったと理解して、謝罪でも何でも。
だがいつもならそんな人間は問答無用で排除する、今思えば相手が父だからと甘いことを考えていたかもしれない。冷静に考えて、そんなことで済むような問題では無かったのに。
フェリを愛しているから、父の呪縛を解いて堂々と立ち向かいたかった。少なくとも、フェリへの想いのおかげで今回、父上に面と向かって意思を告げられたというのは紛れもない事実。
だがそれでも。フェリへの想いを以てしても、私は父に最後まで立ち向かうことが出来なかった。
完璧な皇太子だなんてよく言ったものだ。
本当の私はこんなにも脆弱で、情けない人間だというのに。父が怖いだなんて子供のような考えに囚われて、愛する子ひとり守ることが出来ない。
こんな人間が、あの人の後を継いで本当に帝国の主となることが出来るのだろうか。
情けなく震える姿を誰にも見られたくなくて、皇族とその血縁者以外は入れない庭園に逃げ込むようにして隠れる。
小さな噴水の傍のベンチに腰掛け、暗雲立ち込める未来を想いながらまた震えた。
「……駄目だ……こんな姿、見られたら……」
早くこの震えを止めないと。
私は完璧な皇太子でなくてはならない。欠点など一つも見当たらない、賢帝として皆に慕われる父の後継、それに相応しい人間でなくては。
完璧な皇太子は、こんな薄暗い場所でひとり膝を抱えて蹲っていい人間ではない。本当は人が少ない方が好きだとか、大勢の集まりは苦手なのだとか、人と話すのは疲れるだとか。そんなことを思っていい人間では無い。
思っていい、わけがないのに……。
「っ……」
助けてほしい。その一言さえ安易に紡げない立場で。
何から救い出してほしいのか、この状況をどうしてほしいのか。自分でも詳細な感情を理解出来ていないのに。出来ていないから、私は何も言えずにいるのかもしれないが。
こんなことを考えている場合じゃない。早く執務に、皆の元へ戻らなければ。そんなことをやけに冷静に、且つ突如として考える。本心から目を背ける、防衛本能の類だろうか。
とにかくこんな苦悩は早々に忘れて戻ろう。そう思い目元を裾で拭い立ち上がった時、ふと背後から聞こえた足音に驚いて慌てて振り向いた。
「何だ、こんな所に居たのか」
黒いペリースを翻して歩み寄ってくるのは、父の兄である伯父上だった。
相変わらず父に劣らない……寧ろ圧倒的と言える威厳と風格を纏った姿。そんな伯父上を視認した途端、何故か深い安堵が身を包んだ。
「伯父上……どうしてここに……」
呆然とする私の傍に来ると、叔父上は私の肩をぽんと押してベンチに戻した。
力無く座り込んだ私の隣に叔父上も次いで腰掛ける。空いた空間を存分に使い切るような、豪快な座り方を見て軋んでいた胸の内がほんの少し緩んだ。こういう姿が様になるのだから伯父上は凄い。
まさに誰が何処から見ても、強者と呼ぶに相応しい人だ。
少し肩から力が抜けた私に気が付いたのだろう。伯父上は横目で私をじっと見てやがて口角を微かに上げると、正面に視線を戻して語り始めた。
「お前、昔から陰気な所を気に入ってただろ。何かあって隠れるっつったらクローゼットの中やら茂みの中やら……探す側は骨が折れるんだぞ、知らなかったろ」
伯父上の言葉に息を呑む。父上も知らないであろう私の癖を伯父上は知っている。その事実にかなり驚いた。
私が産まれた時だって、叔父上は皇宮に顔を出さなかった。叔父上は皇室を嫌っている、だから私のことも……そうだと思っていたのに。まるで昔から私のことを見てきたかのような口ぶりに目を瞬く。
そんな疑問が顔にも顕になってしまったのか。伯父上は私の間抜けな表情を見るなり微かに笑んで呟いた。
「多少見てりゃ分かる。お前の下手な仮面も同じだ。賢くなるのは良い事だが、賢くなり過ぎんのも考えモンだな」
がしがしと、世辞にも優しいとは言えない力で頭を撫でられる。乱れる髪を気にする余裕もなく、叔父上の言葉が脳内で巡り何故か目頭が熱くなった。
手が離れても顔を上げない。そんな私を見て何かしら悟ったのだろうか、数秒黙り込んだ伯父上がやがて静かに語った。
「……ガキが一丁前に重荷背負ってんじゃねぇぞ。大人の役目を盗るんじゃねぇ」
「……私はもう二十二です。重荷を背負う側の大人です」
「あ?そうだったか?まぁそれでも変わんねぇよ。俺からしたらお前みてぇな小僧は一生ガキだっつの。言うには何でも構わねぇが俺の前で大人面すんなよ、見ててアホらしい」
「アホらしいって……」
何て言い草だ。そう思ったが、少し心が解れた。
父上は昔から、私に大人になりなさいとしか言わなかった。私は大人にならなければならなかった。助けを求めてはならない、全ては己次第の孤独な人間になれと。
伯父上の言葉が胸に響く。私のことをずっと子供として見てくれる人がいる。その事実が、どうしてか酷く嬉しくて……どうしてなのかは、分からないけれど。
誰にも言えない、心の底の小さな本音と願望。
伯父上が私の父なら良かった、なんて。もしも彼が父なら、私は何か変わっていただろうか。
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