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【聖者の薔薇園-終幕】
296.凶暴な熊さん
しおりを挟む二年越しに邸へ戻ってきて数日が経った。
この数日は大忙し。何せ僕は知らない間に英雄になっていたので、僕の帰還が知れ渡った帝国内は大騒ぎだったのだ。新聞は連日見出しに僕の名を載せるし、会ったこともない貴族達からの贈り物で自室の前は床も見えないくらい埋まってしまっていた。
僕が神殿に悪魔の子として連行された時は、ほとんどの貴族家が口を閉ざし知らぬふりをしたみたいだけれど……いつになっても、掌返しであっさり覆すところは前世と変わらないらしい。
そんなこんなで、慌ただしい日々を過ごして数日経ったある日。特にすることがなく一人でぐでーんと休んでいると、ふと庭園から騒がしい声が聞こえて起き上がった。
「なんだろう……?」
よろよろと窓際に歩き、ちょっぴりだけ窓を開いて外を覗いた。
初日以来、妥協した兄様達が行き過ぎた軟禁を解いてくれたので、護衛に伝えさえすれば庭園にも出られるようになった。なので当然窓も開けるし、扉にも鍵は掛かっていない。
けれどあまり目立つのもアレなのでそーっと外の様子を窺う。きょろきょろと見渡し騒ぎの中心を探していると、不意に聞き慣れた声が微かに聞こえてきた。ここまで聞こえるくらいだから、かなり大声で何かを喋っているようだ。
「いつまで隠れてるつもりだみゃ!フェリちゃんはそんなことで幻滅なんてする子じゃないみゃ!」
「そうだぴょん。フェリくんはどんな姿でも受け入れてくれるはずぴょん。とっても優しい子なんだから当然ぴょん」
状況はよく分からないけれど、なんだか嬉しいことを言ってくれているウサくんとミアの声。
話の内容的にもう一人近くに誰かがいそうだけれど……。気になってもう一度きょろきょろ見渡し、やがて二人の姿を視認することが出来た。
庭園の隅っこ。何か用事でもない限り滅多に行かないその場所に、ぽつんともふもふの姿が二つ見えた。
小さなもふもふがぴょこぴょこ二つ動いて……って、あれ?
「おっきいのも、いる……?」
よーく目を凝らしてみると、木の影になってよく見えないけれどもう一体もふもふの何かがいるのが見えた。
ウサくんやミアより遥かに大きなもふもふ。茶色の毛並みに丸い耳、大きな体のあれはまさか。
「っ、大変……!」
その姿が何なのか頭が理解した途端、今度はミアとウサくんへの心配と警鐘が頭に鳴り響いた。二人は気付いていないのかな。あんなに近くにあれが、あんなに危険な動物がいるというのに。
もふもふ達をぱくっと丸呑みしてしまいそうな、凶暴な熊が二人の目の前に……!
慌てて窓枠から下りて入り口に走り、バンッ!と勢いよく扉を開く。部屋の前に待機していた二人の騎士に、あわあわと混乱して冷や汗を掻きながらとにかく叫んだ。
「庭園にいきます!」
報告はした。兄様達の言いつけ通りきちんと報告したから良し!と判断してちょこまか廊下を走り出す。背後から何やら引き留めるような声が聞こえたけれど、構わずあわわっと足を動かした。
すれ違う使用人たちに挨拶をしながら走り、階段まで辿り着いたところではぁはぁと立ち止まる。手すりにしがみついて肩を上下させていると、やがて追い付いた二人の騎士にがっちり包囲されてしまった。
完全に逃亡の末の確保みたいな状況になっている。絵面だけ見れば確実に僕が悪いことをした人みたいだ。
違うんです。無実なんです。逃げようなんて思っていません。そんな犯人のセリフが脳内に溢れ出した頃、困り顔の騎士が話しかけてきた。
「フェリアル様……庭園には何をしに?先程までは気持ちよさそうに眠っていたはずですが……」
「う、うさくんとミアが一大事なの!助けないと食べられちゃうの!」
息切れしながら何とか説明する。あむあむとジェスチャーを交えて説明すると、何故か騎士二人はぐはっと呻いて膝をついてしまった。なにゆえ。
そういえばここの騎士達はみんな時折発作を起こす病弱な人が多いんだった、と思い出しあわあわとしゃがみこむ。二人の肩やら頭やらをぽんぽんして痛いの痛いのとんでけーをやると、なんと症状は更に悪化してしまった。
グハァッ!と倒れ込む二人の騎士。どうして。この状況じゃ完全に僕が犯人になってしまう。
「フェリアル様?」
ちーんとしている二人を突っついていると、不意に背後から安心と安全の優しい声が。
反射的にぱっと振り返ると、そこには案の定カップの乗ったトレーを片手に持ったシモンがいた。シモンはきょとんとした顔で歩いてくると、軽く事件現場を見渡して数秒沈黙する。
やがて納得したように頷くと、トレーを近くの丸テーブルに置いて歩み寄ってきた。
「何となく状況は理解しました。彼らはフェリアル様のきゃわわ攻撃に耐性がありませんからね。突然大柄な男達が倒れてびっくりしたでしょう」
よしよし、と頭をぽんぽん撫でられる。
うるっと瞳が潤み、シモンの腰にぎゅっと抱き着いてめそめそ弱音を吐いてしまった。そうなの、びっくりしたんだよシモン、きてくれてありがとシモン。
「どこか行きたい場所でもありましたか?俺が何処へでも連れて行ってあげますから、もう泣かないでください」
ぐすぐすと零れていた涙を拭ってシモンを見上げる。冷静になった頭がまたまた混乱しだして、そうだこんなことをしている場合じゃない!と焦燥が湧いた。
慌ててシモンに窓から見えた光景を説明し、早く助けに向かわなければウサくんたちが危ないということを簡潔に伝える。するとシモンは意外にもぱちくりと瞬き、突然おかしそうに吹き出した。
「な、なにがおかしいの……ウサくんとミアがピンチなのに……」
シモンひどい。シモンはそんな酷い人じゃないはずなのに……。
うるうる。悲しくなってまたもや踵を返して走り出すと、背後からシモンの慌てたような気配がすぐに迫ってきてひょいっと捕獲された。逃亡失敗、むねん……。
「ごめんなさいフェリアル様!違うんです!俺の話を聞いてくれませんか……?」
「……うん。きく」
慌てて謝るシモンの表情には嘘は見られない。まるで僕に嫌われることを恐れるみたいな本気の表情だ。
そもそもシモンが酷い人だなんて本心で思うはずがないので、もちろんすぐに冷えた頭でこくりと頷く。きちんとシモンの話を聞かないと。
しゅんと眉を下げて話を待つ。あのですね、と子供を諭すような穏やかな声音でシモンが語ったのは、全く予想外の言葉だった。
「その大きな熊はですね、クマくんなんです。元ちっちゃいぬいぐるみの」
「……む?」
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