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【聖者の薔薇園-開幕】

256.大公子の記憶(前半ライネスside)

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 夢を見るようになったのは、いつからだったろう。

 夢の中の自分は孤独だった。酷く空虚で、苦痛に塗れた世界。
 何故か母上も父上も亡くなっていて、私は廃れた大公城の執務室で死んだように座っていた。そこは本来大公が…つまり、父上が座る場所だ。そこに私が座っていた。大公として。
 城内を目的もなく歩いた日。階段の踊り場に飾られた大きな肖像画、両親と私の三人が描かれたそれには布が掛けられ、玄関ロビーに異様な空気を漂わせていた。

 知らない記憶が頭の中にある。
 大公位を継いだのはつい先日。両親が亡くなった後はずっと分家の長が大公代理を務めていて、ようやく後継者教育を終えた先日、私が正式に大公位を継いだ。
 生きているのか死んでいるのか、定まらない日々だった。いや、今もそうだ。今もずっと定まらず、空虚な心を抱えたまま生きている。
 そんな毎日だが、不思議と死にたいとは思わなかった。頭から離れない彼のおかげだ。

 アベルという名の聖者。初めて会ったあの日から、何故か彼のことが頭から離れない。ただ、自分の感情だというのにどうしてか理解が追い付かなかった。
 恋情というには空っぽで、執着というには違和感がある。ただ、私は彼を愛しているのだという訳の分からない確信だけが確かにあった。
 なぜ、どうして。疑問は湧かなかった。俯瞰して見ている今思えば、なんて愚かだったのだろうと自分を嫌悪するばかりだ。


「……“悪魔の子、処刑確実か”…」


 ふと机に置いていた号外が目に入る。数分前に使用人が置いていったものだ。

 何となく気になってそれを手に取る。見出しに大きく書かれているのは、近頃最悪の貴族令息として世間を騒がせる公爵家三男の名だ。
 帝国の光と呼ばれる聖者を虐げた極悪人。神が見放した悪魔の子。大罪人として異例の若さながら、既に国外追放か死刑かという最大の二択まで決まったらしい。

 家族に見捨てられ、神にすら見放され。生まれながら悪魔の子というレッテルを貼られた罪人。どうしてかほんの一瞬だけ、彼を可哀想だと思ってしまった。
 帝国中の人間が彼を糾弾する。その光景を想像した途端、なぜか涙が溢れた。

 仮面ですら笑顔を浮かべられなくなり、無表情が常となった今。何年ぶりかの涙に自分でも驚く。
 何が悲しいのかは分からない。悲しいのか、怒りを感じているのか、ただの同情なのか。分からないが、ただ胸を締め付ける苦痛だけは確かだった。


「フェリアル…エーデルス…」


 あぁそういえば、父上が学生時代に彼の父と友人だったと言っていた。
 聞く限りかなり子煩悩な人物だったらしいが、三男が産まれる少し前から様子がおかしくなったらしい。妻である公爵夫人も同様に。その辺りから、父上は公爵との交流を一切取り止めた。
 父上はあの時何と言っていただろうか。確か…余裕気な笑みを掻き消して酷く冷たい表情を浮かべていたのを覚えている。


『あいつは変わった。元から屑だったのか何なのか、今となっちゃ分かんねぇけどな』


 まだ呪いに強く侵されていない時、ベッドの上でそう言っていた父上。突然変わった友人に一時は怪しんだらしいが、深追いする前に寝たきり状態になってしまった。そしてそのまま、回復することなく亡くなった。


「あれは一体…」


 何だったのだろう。今になって初めて疑問を抱く。
 あの父上が訝しむくらいだ。もしかすると、公爵には本当に何かあったのかもしれない。

 考えれば考えるほど、鈍っていた思考が巡り始める。ちょうど聖者と出会った辺りから霞んでいた頭が晴れるような、そんな感覚が戻ってきた。
 何かがおかしい。今までの自分も両親の死も、そして世間を騒がせる大罪人の噂も。

 この違和感の正体は一体何だ。思考を巡らせるほど脳内が鮮明になる。虚ろだった瞳には光が戻り、ぽっかり空いていた心の穴には目的という希望が埋まった。


「おかしい…」


 あらゆる出来事の矛盾や疑問点が次々に思い浮かぶ。
 その時初めて、私は帝国全体の聖者崇拝に違和感を抱いた。




 * * *




 ライネスはもう僕を止めなかった。代わりに「一緒に行く」とだけ反論を許さない声音で言われ、真剣な表情に逆らえずその言葉に頷いた。
 どうせ聖者の元に辿り着いたらお別れなのだ。今から独りぼっちになるのも寂しいし…ちょっとくらい、別れを長引かせても許してほしい。


「聖者の場所は分かるの?」

「うん。もう少し。この先にいる」


 ぎゅっと手を握っているから、空いた片手の方で前方を指さした。この先から確かに彼の気配を感じる。

 ライネスは僕が指さした先をじっと見据えた。静かだけれど、何処か強い感情が滲んだ瞳。気になったけれど、特に言葉を投げかけず手を引いた。
 行こう。そう言うとライネスが小さく頷く。歩き出した瞬間、不意に繋いだ手をぐっと引かれて早々に立ち止まった。

 何か忘れていたことでもあっただろうか。きょとんと首を傾げて振り返ると、そこには感情の読めないライネスの表情があった。


「……フェリ」

「うん…?」

「…いや。何でもない。引き留めてごめんね」


 心なしか少し沈んだ声音。不思議に思ったけれど、時間が無いこともあり、疑問を口にすることなく止めていた足を進めた。
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