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【聖者の薔薇園-プロローグ】
216.ローズとフェリアル
しおりを挟む「……」
何度目かの沈黙の後、ローズがふと首を傾げた。
さっきのふんわりした微笑は既に消えている。いつもの無表情があまりに平然とそこにあるものだから、もしかしてさっきの笑顔は幻だったのだろうかと瞬いた。
実際、その可能性が高いだろうと自己完結して深く頷く。僕だけでなく、シモンやライネス、トラードや子供たちも同じような反応をしていた。あれ、でもみんな同じ反応ってことは、みんな同じ幻を見たということで…?
思考の渦に呑まれそうになってハッとする。いけないいけない、考えすぎは悪い癖だ。
ふるふる首を振って切り替える。アップルパイを指さしてローズに声を掛けた。
「アップルパイ。みんなで食べる」
「あぁ」
特に感情を示さず頷いたローズを見て、やっぱり幻だったかぁとふむふむ納得した。
テーブルに並んだパーティーの料理とアップルパイ。それから、子供たちの為にとトラードが用意したらしい色々な種類のケーキ。そして籠いっぱいに作った僕の手作りクッキー。ボリボリじゃないよ。
長いテーブルを囲むようしてみんなで座り、各々自由に料理を食べている。普段の食事もこんな感じで長いテーブルを囲むように食べるのだと聞いて驚いた。なんでもみんなで、という了解がこの孤児院にはあるらしい。
本当の家族がいない彼らだからこそ、同じ屋根の下で暮らす皆と『家族』らしいことがしたいのかもしれない。そう耳打ちするシモンの言葉に少し納得した。
家族らしいというよりは、もう本当の『家族』だろうから。きっとらしいことという考えは当たっていないかもしれないけれど。
「どうよローズ。念願のアップルパイは?うめーか」
「……別に念願じゃない。……普通に美味い」
ローズが語尾のように付け足した美味しいの言葉に「んふふ」と頬を緩める。嬉しくて思わず笑みが声で零れてしまった。
スッと目を細めるローズ。わしゃわしゃ頭を撫でられまたもやあわわっとしてしまった。
髪はちょっぴりぼさぼさになってしまったけれど、ローズ的にはどうやら罰が目的ではないらしい。撫でる手つきもさっきより優しい気がする。気のせいでなければ、だけれど。
どうして突然撫でたんだろうと思いながらも、目の前の美味しそうな料理から目が離れず。トラードが作ったというケーキをもぐもぐして、予想以上の美味しさにぱぁっと表情を輝かせた。
「おいしいおいしい」
「お、そうか美味いか!それ力作だからなぁ。まぁローズは俺の手作りケーキよりも?フェリちゃんが作った愛情入りアップルパイの方がお気に入りみたいだけど」
「……アップルパイの方が美味い。それだけだ」
んふふえへへとゆるゆるの表情。ケーキをもぐもぐ頬張ってなんとか照れを隠しつつ、たまにローズの様子を窺った。アップルパイを美味しそうに食べる姿が見たくて。
いつも通りの無表情。けれど食べる手は止めないローズの様子を見て、知らぬ間にまたほっぺが落ちそうなくらいふくふくゆるゆると緩んだ。
* * *
楽しい誕生日パーティーも永遠には続かない。
食べ終えてそのまま昼寝タイムに入る子供たちが続出し、たくさんの料理とケーキがお皿から無くなったところでパーティーは終わりを告げた。
トラードがお皿やら何やらを厨房に持っていき、飾りの片づけは子供たちは起きた後にするかと苦笑する。シモンとライネスはぐっすり眠る子供たちを寝かせたりブランケットを取りに行ったりと、二人でトラードのお手伝いを始めた。
ちなみにグリードは子供たちの腕に抱かれて動けずにいる。存在をやけに感じなくて申し訳ないけれど忘れかけていたグリード、どうやらずっと犬の姿で子供たちにもみくちゃにされていたようだ。
しれっと涎を垂らして眠っているグリードを見て、シモンがにっこり笑顔で拳を握っているのは見なかったフリをした。
「あれ?」
んしょんしょとお皿運びを手伝っている途中、ふとローズの姿が見えないことに気が付いて首を傾げた。一体どこへ行ってしまったのだろう。
厨房に持っていくついでに、お皿洗いをしていたトラードの元へ駆け寄ってきょとんと問い掛ける。
「トラード。ローズいない」
「ん?あぁ、アイツしょっちゅう消えるからなぁ。屋根裏にでも居るんじゃないか」
「やねうら?」
よくあることだと語るトラード。屋根裏にいるって、どうしてだろう。まさか屋根裏がローズの部屋だなんてことはないだろうし…。
お気に入りのお昼寝スポットとかかな、とはてなを浮かべて考えていると、ふとトラードがおかしそうに吹き出した。のほほんとした考えを読まれてしまったのだろうか。
ふはっと笑うトラードを見上げてそわそわする。べ、べつに本気でお昼寝スポットだなんて考えたわけじゃないよ、そわそわ。
「ガキの頃の感覚が忘れられないんだろうな。アイツ、暗くて狭い所が好きなんだよ。好きっつーか、安心すんのかもね。いっつも逃げ場になってた裏路地みたいで」
「……あんしん」
ローズが安心する場所。安心、ということは。ローズも不安を抱く時があるのか、なんて当然のことを考えてしまった。誰だって不安くらい抱くはずなのに。
考え始めると何だか気になって仕方が無くなって、お皿を持ったままぴたっと硬直してしまう。トラードがお皿をひょいっと回収したところでハッと我に返り見上げると、穏やかな微笑みが返ってきて瞬いた。
「そうだ。もしよかったらフェリちゃん、ローズの様子見てきてくれる?生存確認ってことで」
「……!うん!まかせて」
しっかり頷いて踵を返す。ぱたぱたとたとたと走り出す僕の背中を見つめ、シモンやライネスがトラードと一緒に眉を下げて微笑んだことには気が付かなかった。
廊下の先。見えにくい場所にひっそりとあった扉を開けると、そこには螺旋状に伸びる階段があった。狭くて暗い、まさにトラードが言っていた通り、その暗さと狭さは路地裏を想像させる。
本当にこの上にローズがいるんだろうかとちょっぴり疑心を抱きながらも足を止めることはしない。なんとなく、漠然とした確信があったからだろうか。
上りきった先にあった、これまたひっそりとした木製の素朴な扉。足音を立てないように近付きそーっとドアノブに手を伸ばした瞬間、扉の向こうから低い声が聞こえてきた。
「……何の用だ。フェリアル」
気付かれていた!と息を吞む。それも名指し。まさかほんの微かな足音や気配だけで、人がいるという事実だけでなくその正体まで見破ったというのか。
そういえばローズは帝国一の暗殺者だった、と思い出し力を抜く。静かに扉を開いて中を覗き込むと、暗い部屋の奥の方に、こちらに背を向けて座るローズの姿を確認してほっとした。
「ローズいなくなった。だから、探しにきた」
「……」
「なにしてるの?」
「……暗器の手入れだ」
すたすたと近寄り、ローズの隣にちょこんとしゃがみこむ。覗き込むと、ローズは何やら手のひらサイズの刃物を丁寧に布で拭っていた。その布は至る所が真っ赤に染まっていて、所々黒くなってしまっている。
何に使ったのかは明白。じっと刃物を見つめていると、不意にローズが呟いた。
「……ガキが見るものじゃない。トラードと菓子でも食って待っていろ」
直ぐに戻ると語るものの、綺麗に並べられた暗器は数が多い。とても直ぐに終わるとは思えない。
僕を遠ざけるための言い訳だということはすぐに分かった。
「ううん。ローズ、ここでまつ」
「……」
ローズは子供に優しい。優しいというよりは、甘い。だから今も僕のことを思って言ってくれているのだと思う。
けれど、僕は本当に大丈夫だ。大丈夫じゃなかったら、今頃そわそわと落ち着きなく体を揺らしていたことだろう。
僕は自分が人より分かり易いことを知っている。そして、それをローズが気付いていないはずがないということも。だからローズも今、分かっているはずだ。
僕が血の付いた暗器を見て、本当に恐怖や不安の類を一切抱いていないということ。
「……哀れだと思うか」
「うん?」
「……この血の主を。お前は哀れだと思うか」
視線は一向にこちらに向かない。俯いた状態で手入れをしながら問うローズに、数秒逡巡してふるふると首を横に振った。
「なんにも、思わない。僕、そのひとのこと知らないから」
目の前でその現場を目撃したなら、或いは思うかもしれない。ローズの問い通り哀れとか、そういう感情を抱いたかも。ローズとその人の問題だから、直接口に出すことはしないけれど。
でもそれは、その人の事情を少なからず垣間見るから。それすらない何もない、何も知らない。だから、その人に対する哀れみもローズに対する恐怖も一切湧かない。
そう答えると、ローズはほんの一瞬だけ困ったように微笑んだ。
「……前世を記憶しているのだったか。お前、随分と酷い地獄を見てきたんだな」
静かな室内に響く声。これはなんだろうと呑気に暗器を眺めていた視線を、その声の直後にふらりとローズに向ける。
いつの間にか、ローズの薔薇色の瞳は真っ直ぐ此方を見つめていた。
光の無いローズマダーの瞳。僕の姿が映らないほど、その瞳は一色で塗り潰されたかのように仄暗いものだ。
「隠し事が上手い。異常な死生観。感受性が豊かなように見えて、時に呆気なく無関心を向ける残忍性。何より、人を魅了する圧倒的なカリスマ性」
「……」
「全て支配者の素質だ。邪神に選ばれただけある」
言いながら、ローズは小さなブローチを手渡してきた。反射的に受け取り、首を傾げながらブローチを観察する。
薔薇色の…ローズの瞳と同じ色の宝石が嵌った銀縁のブローチ。一見何の変哲もないブローチだけれど、ローズはどうしてこれを僕に渡したのだろう。
それに、支配者の素質って?きょとんとしつつ顔を上げてみたけれど、ローズの視線は既に手元に戻っていた。
「今後裏の者に絡まれる事があればそれを掲げろ。裏の者なら、一目でその意味を察する」
「……!どうして…」
「……以前のバングルはただの飾りだが、それは違う。役に立たない物を無駄に持ち歩かせた詫びだ」
あぁそうだ、とローズが平坦な声を上げる。
ブローチをさわさわといじっていた手を止めて見上げると、うんざりしたような…面倒くさそうな声音で念押しされた。
「……侍従には事前に説明しておけ。口説きの道具と思われては面倒だ」
「くどき?」
「……"お前達のような変態と括るな、ガキに欲情する趣味は無い"と伝えろ」
「うん…?」
よくわからないけれど、とりあえず「しょーちした!」と頷いた。伝言任務、わくわく。
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