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攻略対象file3:冷酷な大公子

70.救う人

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「フェリアル様。大公妃が動きました」


 山盛りのマドレーヌをもぐもぐと食べていると、不意にシモンが傍に屈んで囁いた。
 簡潔に告げられたそれにハッとする。慌てて見渡すと、ちょうど会場の扉を出ようとしている大公妃が見えた。


「もぐ、もぐ…ん、行こう」


 頬張っていたマドレーヌを無理矢理飲み込み、人々の間を抜けて出口へ向かう。ライネスは離れた所で他の貴族達と談笑しているから、大公妃の動きにも僕達の動きにも気付いていないようだ。

 それにしても、シモンを連れてきて本当に良かった。僕だったら大公妃の動きを見失うどころか、気が抜けて動きに気付きさえしなかっただろう。


「大公妃様、どこ行ったのかな」


 廊下に出て辺りを見渡す。会場である大広間を出ると薄暗い廊下が続いていて、無闇に歩き回れば迷ってしまうだろうというのが一目で分かった。

 早く大公妃の姿を確認して、危機から守らないと。まだ何が起きるのか、そもそも何かが起きるのかすら不明確だけれど、それでも用心するに越したことはない。
 大公妃の死が明確になるのは明日。もしも発端が今日のパーティーにあると仮定するのなら、目を離すのは危険だ。『大公家の悲劇』の被害を最小限に抑える為にも、僕に出来ることを全力でやらないと。


「…そういえば、大公妃様、具合が悪そうだった」

「え、そうでしたか?」

「うん。頭。痛そうだった」


 不意に思い出す。
 さっきはただ怒っているだけだと思っていたけれど、よく考えたらあれは怒っていたんじゃなく、体調の悪さを隠していたのだろう。
 眉間の皺は怒っているというより、苦しそうな時に無意識に作られるもののように感じた。歪めるように目を細めていたのも、頭痛を堪えるため。


「休みにいったのかも」


 導き出した結論にシモンが瞳を輝かせて頷いた。
「流石フェリアル様!名推理!」と拍手をするシモンだけれど、その白々しさを察していると言ったらどんな反応をするだろうか。
 僕が気を緩めていた間ずっと大公妃を監視していたシモンが、僕でも気付く体調の悪さに気付かないはずが無いのに。

 小さく溜め息を吐いて気を引き締める。今は大公妃の無事を確認するのが最優先だ。


「休憩室、どこだっけ」

「この廊下の突き当たりを左ですよ」


 さっきライネスに教えてもらったはずなのにもう忘れてしまっていた。
 有能なシモンのフォローにありがとうとお礼を言って、廊下の突き当たりまで小走りで向かう。ゆっくり向かっている間に大公妃に何かあったら大変だ。

 廊下の角からそっと左側を覗くと、確かに少し先の部屋の扉から光が漏れていた。他の部屋は全て暗いから、あの部屋が休憩室で間違いないだろう。


「シモンはここを見張ってて。怪しい人がいたら、捕まえてくれる?」

「了解ですっ!フェリアル様もお気を付けて。危険を感じたら直ぐに部屋を出て下さいね」

「うん」


 小指を絡ませて約束し、表情に心配の色を残すシモンに背を向ける。
 休憩室の扉の前に立ち、ノックしようと上げた手を逡巡した後に下ろした。ここは偶然休憩しに来た体を装わないと。少し無礼にはなってしまうけれど、ノックを忘れたという言い訳で何とか乗り切ろう。

 一度小さく深呼吸をして扉を開けた。


「あ…えと…えっと」

「……」

「せんきゃくが、いたなんて、きづかなかったな」

「……」

「どうしよう、かな。おなか、いたいな」


 カチコチに固まる体。ぎこちない動きとセリフ。
 絶望的なまでの演技力の無さに唖然としながらも、もう後戻りは出来ないからとやけっぱちになって演技を続けた。


「おなか、いたい…いたいな」

「……」

「…い…いたいな…ぁ…」


 心が折れそうだ。

 きちんと大公妃が休憩室にいたことには安堵した。ガチャ、と扉を開けて、ソファに腰掛ける大公妃と目が合ったところまではよかったのだ。けれどそれ以降がダメダメだった。
 ロボットみたいな話し方と、大袈裟なのにぎこちない体の動き。どう見ても明らかに怪しい。

 ぐるぐる目を回して次のセリフを考えていると、不意に大公妃が背凭れにかかっていたブランケットを無言で手に取った。
 それを持って振り返ると、鋭い視線で僕を射抜いてボソリと呟く。


「…痛いのなら座りなさい」

「ひゃ、ひゃい…」


 やっぱり怖い…と涙目になりながら向かいのソファに座ろうとすると、大公妃が訝し気に首を傾げて「何をしているの」と声を上げた。


「へ…す、すわろうと…」

「…座りなさいと言ったら、普通は隣でしょう」

「え…」


 そ、そうなの…?
 確かに思い返してみれば、ソファや馬車の椅子に座る時は大抵誰かが隣に座っていた。大公妃の言う通り、座る時は誰かの隣にというのが常識なのかもしれない。

 それなら…とのそのそ動き、大公妃の隣にひょいっと飛び乗って腰掛ける。
 横の強い気配にびくびく怯えていると、ふとお腹まで隠すように膝にブランケットを掛けられた。
 突然お腹を包んだ温もりに驚いて振り返る。隣に座る大公妃は皺が刻まれた眉間を晒しながら、僕に厳しい視線を向けていた。


「…体調管理くらい徹底しなさい。子供はただでさえ弱りやすいのだから」


 呆然と大公妃を見上げる。じっと見つめた先にあるマルベリー色の瞳には、鋭い中にも確かな心配と不安が滲んでいた。


「……大公妃様は、優しい」

「…。……は?」


 思わず零れたそれにハッとする。案の定大公妃も目を見開いて硬直した。厳しい顔がデフォルトの大公妃には珍しくぽかんとした表情だ。

 そんなことは有り得ないとでも言わんばかりの反応。
 大公妃は自分の不器用さを自覚しているのだろうか。本当はとても優しいのに、それを隠してしまっていること。そして何より自分の優しさを、きちんと自覚しているのだろうか。
「…私が…優しいですって…?」と困惑の色を滲ませる大公妃から視線を移し、少し俯いてブランケットをきゅっと握り締めた。


「気持ちを伝えるのは…とっても難しい、ですよね」


 不意に紡いだ言葉に、大公妃は驚いたように瞬いた。
 僕自身も半ば無意識に発したものだったから、口に出してしまったことにピタリと固まる。けれど言葉にしてしまったものは仕方ないからと、躊躇しながらも続きを紡いだ。


「でも…だからって、伝えないままでいるのも…怖いと思う。いつか、伝えたくても伝えられない日が…来るかもしれないから」


 そのいつかが必ず来ると分かっていれば、尚更。
 相手を大切に想うほど、恐怖は段々増していく。伝えなきゃ、伝えなきゃって、焦りばかりが空回る。けれど気持ちを伝えること自体が難しいことだから、焦ったところで勇気が出ないと意味が無い。
 想いを伝えても、伝えられなくても。きっと後悔は変わらず残る。伝えておけばよかった、伝えなければよかったって。

 結局伝えられない日が来るなら、ずっと伝わらないままで構わないって、そう思う人もいるだろう。それはきっと、大公妃のように。


「…いいえ、何も伝えない方が良いわ。どうせ届いたところで意味が無いもの」


 眉間の皺を消して、寂しそうな表情で呟く大公妃。
 ふとテーブルに置かれたワイングラスに気付いて一瞥する。大公妃の赤い目元は酔いによるものなのか、それとも心情によるものなのか。震えた声が何よりの答えだとそっと視線を逸らした。


「…原因不明の病を患って数年…あの人はもう長くない」


 あの人…大公妃の夫である大公フレデリックのことだろうか。
 気持ちを伝えたい相手。この話の中で当然のように大公を浮かべる辺り、大公妃は本当に心から、大公のことを愛しているのだろう。ゲーム内では二人共故人だったから深く考えていなかったけれど、現実でこうして実際に接すると感じるものが全然違う。

 確かに存在している、生きている人間だ。その二人の人間の死に、僕は向き合っているんだ。決して軽い覚悟で挑んだわけでは無いけれど、実際に前にすると怯んでしまう。


「…ごめんなさい…幼い子供にする話では無かったわね」


 酔っている所為で理性の境目が分からなくなっているのだと、大公妃は消え入りそうな声で語る。酔っているのだとはっきり話してしまう辺りが、その言葉の信憑性を大きく高めていた。

 何を伝えるべきだろうか。何と言えば、大公妃の沈んだ心を掬い上げることが出来るだろうか。そんなことを考えて、何を言ったって意味が無いことに気が付いた。
 きっと、大公妃の心を救えるのは大公だけだ。

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