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後日談

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「奥様。今日は噴水には向かわないのですか?」


 いつも噴水の花を見に行く僕が、今日だけ逆方向へ歩いていることに疑問を抱いたのだろう。ケイトが不思議そうに問い掛けてきた。
 それにギクッと肩を揺らして振り返り、にこっと笑顔を作りながら「うん、今日はちょっとね」と返して正面を向き直る。曖昧な返事を怪訝に思われないか心配だったけれど、ケイトの「そうですか」という納得したような声が返ってきてほっとした。

 あの花を見ると公爵様を思い出してしまうから、なんて言えない。
 この一週間公爵様が手の届く距離に居るせいか、捨てたはずの恋心が戻ってきているような気がするのだ。これはマズいということで花を見ないようにしようと決めたけれど…こんなことを考えてしまっている時点で、花はあまり関係無さそう…。


「この先は何があるんだっけ」

「確か湖があったはずです。庭園から遠く敷地外に近いので、あまり手入れはされていないようですが…」


 暗に、本当に行くのかと聞いているらしい。
 僕としては公爵様のことを頭から消すことが出来ればそれでいいから、構わず行こうと足を進めた。
 それに、手入れのされていない自然なんて十年前に経験済みだ。辺境の森に慣れている僕にとっては手入れのされていない庭園なんて森とも呼べない。


「ケイトは虫とか大丈夫?」

「虫程度に恐怖を抱いていて護衛が務まりますか」

「だ、だよね…」


 呆れたように返されて苦笑した。確かにその通りだ。


「バージルなんかは虫が大嫌いだったから、こういうところに来る時は誰にでも聞くっていう癖が出来ちゃったんだ」


 幼い頃の記憶が蘇る。
 伯爵邸の庭園を歩いている時、バージルの肩に虫がとまって…虫嫌いのバージルにとっては地獄みたいなものだったらしく、あの後号泣が止まらなくて苦労したものだ。主に兄様が。
 あれ以来植物のある場所に人を連れて行く時は、事前に虫嫌いの度合いを誰に対しても聞くようになった。

 懐かしくて小さく笑みを零すと、ケイトがふとトーンの落ちた声で問い掛けてきた。


「…バージルというのは、フロスト伯爵家の…?」

「うん。兄様の婚約者…いや、もうすぐ伴侶か。一番仲のいい友人でね。昔からの付き合いなんだ」


 にこやかに答えたはずなのに、ケイトは何故か気落ちした表情で視線を逸らした。
 どうしたんだろうと首を傾げると、ボソッとした声がケイトの口から零れ落ちる。


「…令息に、好意を寄せていたんですよね」

「………え?」

「……?」


 聞き間違いかな?と思いながらも間の抜けた声が漏れ出てしまう。思わず足を止めて振り返り、目を見開いてケイトを見つめた。
 ぱちぱちと瞬く僕を見て、ケイトは何やらとんでもないことに気が付いてしまったかのような表情で硬直した。あんぐりと開きっぱなしだった口を直すと、まさか…と震えた声で小さく語る。


「あの噂はデマだったんですか!?」

「いや、どの噂…!?」


 さっきから何を言っているんだ彼は。
 困惑を顕にする僕のことは完全無視で、ケイトが物凄い勢いで問いを飛ばしてくる。


「で、では奥様はっ…何故旦那様にチャンスをお与えにならないのですか…!?今想いを寄せる方はいらっしゃらないのですよね!?」

「え…いやいや、僕は公爵様のことを想ってるよ。だから結婚したんでしょ?」

「え?」

「うん…?」


 再び困惑の空気が流れる。沈黙が止んだ時、その困惑は途切れた。

 わなわなと体を震わせたケイトが青褪めた顔で息を吞む。本当にどうしたのだろう、大丈夫かなと本気で心配し始めた時、ケイトは「そんな…」と呆然とした声を上げた。


「まさか奥様…旦那様のことを…?」

「…!」


 ハッとする。もしかしてケイトは、僕が求婚を受けた理由を知らなかったのかもしれない。たぶん契約結婚とか、そういうものだと思っていたのだろう。
 僕が始めから公爵様からの条件を…つまり、皇女様への気持ちを消せないがそれでもいいかという条件を呑んで、その上で結婚したと思われている…?いやいや、公爵様は条件すら口にせずに問答無用で結婚を進めた鬼畜だよ、なんて言えない。

 この邸の人達はてっきり僕が、自分が想われていると誤解した…浮かれた気持ちで求婚を受けた間抜けな人間であることを知っていたのだとばかり。
 なんだ、知らなかったのか。それは予想外だった。


「僕は公爵様のことが好き…だったよ。公爵様は違うけど」

「待ってください!旦那様は違うって、どういう…?」

「どういうって…だって、公爵様は皇女様のことを愛しているでしょ?」

「はい…??」

「うん…?」


 あれ…何かがおかしい。何かが、通じていないような…?


「…?…っ!!」


 喉元まで出掛かった違和感の正体。それを掴む直前、体の内側からドクン…と嫌な衝動が湧き上がった。それは心臓を中心とした内側を圧迫して、徐々に全身に広がっていく。
 この感覚は知っている。知り過ぎているほど、知っている。


 これは…魔物の瘴気だ。


「奥様!!」


 数歩先に立っているケイトが不意に焦燥を纏って手を伸ばした。
 反応が遅れる。ケイトの視線が僕の背後に向いていることに気付いて、呆然としたまま振り返った。




「――は…っ」




 道端に咲いているような、普通の花。
 そのうち一輪が高く伸びて、花弁を口みたいに大きく開いた。これは…邸の書斎にある本で見たことがある。
 マズい。そう思って後退りした瞬間、花は突然素早く動き出した。

 ケイトの声が遠くに聞こえる。
 抵抗する間も無く、大きく開いた口に全身が飲み込まれた。


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