上 下
1 / 18
本編

前編

しおりを挟む
 
 八歳の夏。
 酷く病弱だった僕は、療養の為に辺境の地で過ごしていた。元気になるまでのほんの半年程度のことだ。

 華やかで活気に満ちた帝都の雰囲気を苦手としていた僕にとって、辺境の自然豊かな空気は至上の治療薬となった。緑の生い茂る森や花々に触れる度、心が清らかに浄化されるような心地を抱くのが堪らなかった。

 そんな環境の中、療養を始めて一月程経ったある日。僕は散歩をしていた森の中で一人の少年と出会った。いや、少年というには成熟した…青年との狭間にいるような男の子と。
 彼の美しい藍色の髪と、銀色に輝く切れ長の瞳がとても印象的だった。ラフな服装を着こなしながらも高貴なオーラを隠し切れていないことから、その時は何処かの令息がお忍びにでも来ているのだろうかと深く考えなかったのだが。

 道ですれ違ったその少年とは、何故か翌日もその翌日も、さらにその次の日も毎回のようにすれ違うようになった。

 四日目でようやく決心のついた僕はすれ違いざま、その日思い切って彼に話しかけてみた。
 初対面で『何だか気が合いますね』と開口一番話してしまったのは許して欲しい。当時は病弱で友人を作る時間もなく、人との交流の仕方を知らなかったのだ。
 兄と同じくらいの年上の男性。子供の僕にとっては年上というだけで皆立派な大人に見えていたものだから、話しかけた瞬間は心臓がバクバクだった。
 無表情の彼がほんの一瞬唇を引き結んで、やがて低い声を返してくれたのを今でも鮮明に覚えている。


『……あぁ』


 たったそれだけ。それだけの返答が、なぜだか嬉しくて嬉しくて堪らなくて。
 子供特有の遠慮の無さを発揮した僕は、高揚する気持ちのままに彼を散歩に誘った。一緒に歩きませんか、という言葉に迷いは無かった。
 返った言葉が『あぁ』であることにデジャブを感じて吹き出した僕を、彼が不思議そうな目で見下ろしていたことも鮮明に。


 その日以降、彼とはすれ違う度に一緒に散歩をするようになった。
 都暮らしだと言う彼に、草花の名や満天の星空がよく見える穴場スポットを教えたり。交流が深まった何度目かの散歩では、見るからに貴族の僕が何故辺境にいるのかと、彼も踏み込んだ質問をしてくるまでになった。


『僕、病気に弱いんだ。自然が豊かな場所だと元気になれるから、よくなるまでここで過ごしなさいって』


 生まれつきの病気だから、完全によくなることはないんだけどね。そう言うと彼はほんの少しだけ眉を顰めて、何やら悩み込むような仕草を見せた。


『…病の原因は何だ?』

『魔物の瘴気だよ。肌や内臓が人より過敏だから、瘴気に当てられると体が弱っちゃうんだ』

『辺境では余計に悪化するのではないか』

『うーん、そうなんだけどね。原因は魔物だけじゃなくて、人の瘴気も同じなんだ。魔物は少ないけれど、人はどこに行ったって存在するものでしょ?』


 それなら、魔物の瘴気が届かない場所ではなく、人の瘴気が届かない場所を選んだ方がいい。
 僕の言わんとするが理解出来たらしい彼は、見るからに落ち込んだ様子で肩を落とした。無表情だし無愛想だし、冷徹な人に見えるけれど…本当はとても優しい人なのだなと胸が暖かくなった。

 強い瘴気を受けない限り症状が悪化することは無いから、あまり心配しなくてもいい。そう伝えても彼は黙り込んだままで、その日は静寂の空間で散歩を終えた。

 その次もそのまた次も変わらず彼は来てくれたが、僕の病気のことを聞いてからは心なしか雰囲気が変わったような気がした。
 何かを覚悟したような、そんな決意の籠った表情。一体どうしたのか、その変化の理由を知らないまま時が流れ、半年経った療養生活最後の日。
 いつも通り同じ場所で出会った彼に、僕は療養を終えて帝都へ戻ることを告げた。


『…帰るのか』

『うん。もうだいぶ元気になったし、そろそろ貴族としての教育も受けないと』

『また症状が出たらどうする』

『どうもしないよ。僕は貴族だから帝都にいないと。それに…最近魔物の数も増えてきているし、どの道もうここで療養することはできないから』


 眉を下げて笑う。彼は目を細めて『…そうか』と頷くだけだった。
 その淡白さが彼らしい。おかしくてくすくす笑ったのが、暖かな夢の最後だった気がする。

 現実へ戻ると待っていたのは無機質な毎日だけで、僕は大勢の人の瘴気に苦しむことになった。
 両親も兄も心配してくれていたけれど、魔物が増えた辺境へはやはり療養に戻ることは出来なくて。最近衝突の増えた周辺の他国へ、仮にも貴族の立場で渡ることも出来ず。

 そんな日々を必死に生き続け、気付くと十年が経っていた。




 * * *




「ヘルツ公爵、今日にも帝都へ帰還するらしいぜ。すげぇよな、まさか魔物だけじゃなく魔王まで倒しちまうなんて」

「うん。すごい」

「ホントに思ってんのかぁ…?お前な、これはお前にとってもビッグニュースだろ!魔王が倒されたってことは、魔物の瘴気も殆ど消えたってことなんだからよ!」


 今日も今日とて邸に訪れた友人、バージルの世間話を聞き流す。視線は本に向いたまま、僕はいつも通り適当に言葉を返した。

 僕の部屋は本館から少し離れた別館にあるから、世間の噂話や流行が届くことは殆どない。使用人や家族との会話で知るくらいの浅い知識しか持っていない。
 それを知っているからか、バージルはこうしてかなりの頻度で会いに来てくれる。正しく言うと、僕に世間の常識を教える為に。口は少し悪いけれど、世話焼きの優しい友人なのだ。

 僕が別館で暮らしているのは、少しでも僕の症状を和らげる為にと家族が泣く泣く許しをくれた結果だ。
 なるべく瘴気に触れないようにと人との接触も制限して、ようやく生を長引かせている状態だったのだが。

 世間を知らない僕の中でも、かなりの衝撃を受けた重大ニュース。初めにそれが耳に飛び込んできたのは約四年ほど前のことだ。



 "ヘルツ公爵が軍を率いて魔物討伐へ向かった"



 国の片隅にまで届くほどの一大ニュース。仮にも帝都で暮らしている僕の耳にも届かないはずがなく。


 国で最も繁栄しているヘルツ公爵家は、主に軍事面で強い影響力を持つ貴族だ。何でも当主は騎士団長を務めてるのだとか。

 現公爵の名はギルバート・ヘルツ。
 幼い頃に両親を事故で亡くし、僅か十歳にして当主の座を継いだらしいその人。生まれつき後継として相応しい才能を持っていたらしく、爵位を継いだ当時も大した問題には襲われなかったらしい。
 しかしその人間離れした冷静な精神力と実力を持つ公爵を、人々は恐ろしい化け物を見るような目で遠ざけた。子供にしては達観し過ぎている姿が周囲には不気味に映ったのだろう。

 そんな何事にも興味を持たない冷徹無慈悲なヘルツ公爵は、何やらある日を境に様子が変わったと言われている。バージルの話によると、それはどうやら十年ほど前の青年期らしいが…。


「何でもヘルツ公爵が魔物討伐を決意した理由は、皇女殿下の為らしいぜ」

「へぇ。公爵と皇女様は恋人同士なのかな」

「かもな。公爵が近々結婚するなんて噂も立ってるし、魔物討伐…それどころか魔王討伐を成し遂げたこの機会だ。皇女殿下と公爵の婚姻が発表されるのかもしれない」

「それはまたロマンチックだね」


 肩をすくめる。そんな絵本の物語のような恋が実際に存在するなんて、現実も案外侮れないものだな。

 皇女様が魔物嫌いであることは周知の事実。気味の悪い邪悪な姿を絵本で読んでから、魔物と聞く度拒否反応を引き起こすようになったのだとか。
 ヘルツ公爵は皇女様に恋をして、それ故に魔物討伐を決意した。それが国民の共通認識らしい。


「…うーん…公爵が帰還するのは今日なんだよね?」

「あぁ。それがどうかしたか?」

「行ってみようかな。きっとかっこいい凱旋を見られるだろうし」


 思い立ったら止まらない。別に僕のためにしてくれたことではないけれど、以前より体が軽くなったような気がするのはきっと公爵のお陰だろう。
 魔王が倒されて魔物も減って、この機会に人々の負の感情も改善された。間違いなく瘴気そのものが減少している証拠。
 他人だけれど、恩を抱くのは勝手だよねと言い聞かせながら立ち上がる。

 ベッドから降りて直ぐに「……は??」という困惑の滲んだ声が聞こえてきたけれど、それは今は無視だ。早く準備して出なければ間に合わなくなってしまう。
 どうにか公爵を一目見て、感謝を伝える為に拝むのだ。


「おい馬鹿!瘴気に当てられたらどうすんだ!!」

「大丈夫だよ。人の瘴気も良くなってるし、魔物はここらにはいない。そんなに心配することないから」


 それに、苦しいのは慣れてる。

 そう言うとバージルは僕より苦しそうに顔を歪めて、ぎゅっと拳を握り締めたのち俯いてしまった。落ち込ませてしまったようで申し訳ない。
 気分を上げるために「さぁ行こう」と手を引くと、バージルは仕方なさそうに眉を下げて笑った。



 渋っていた両親や兄から何とか許可を貰い、城へ続く長い大通りへと向かう。人の数も半端じゃないくらい多くて、それぞれ花びらの入った籠を持っていたり駄べったりと様々だった。
 彼らの間を上手く縫い歩き、表がよく見える場所まで前に出る。するとちょうど人々の歓声が大きくなって、視線の先には討伐軍の列が遠目で見えた。


「なんかすごいね。絵本で読んだ光景と同じだ」

「お前は世間を知らな過ぎなんだよ。デカイ作戦を終えた時は普通によくある。まぁ、魔王討伐くらいの規模は流石に初めてだけどな」


 そう言いながら背伸びをするバージル。冷静なフリをしているけれど、バージルも実は興味津々らしい。

 同じようなことを二人で喋っていると、ようやく討伐軍がすぐ近くに近付いてきた。公爵はどの人だろう…と目を向けてハッとする。
 明らかに彼がこの軍を纏め上げるトップなのだと一目でわかった。その威圧感も、美しい容姿も。何もかもが判断材料となって。

 だが、それだけではない。


「―――うそ…」


 彼の…公爵の姿には見覚えがあった。
 藍色の短髪に銀色の瞳。全ての者を圧倒させるような絶対的なオーラ。
 全てが記憶の中の彼に、初恋の青年にそっくりだった。


「ギル……」


 ギルってギルバートの愛称だったのか、と今更に。いや、今気にすべきことはそんなことじゃない。そんなことじゃなくて。
 分かっているのに、僕はただぼーっとその姿に見蕩れるだけ。あの時よりも明らかに成長した彼を見て、胸を高鳴らせてしまうだけで。


「おいセディ、大丈夫か…?」

「っ…!」

「なッ、セディ…!?」


 ぐわん、と視界が揺れる。突然弱った体が周囲の瘴気を取り込んで、一気に眩暈に襲われたのだ。
 こういうことは稀にあるから、直ぐにぐっと力を込めて瘴気を押し出す。倒れ込んだ体をバージルに抱き止められながら、一瞬で荒くなった呼吸を「はぁ、はぁ…」と整えた。

 瘴気を振り切る為にバージルの胸に顔を埋め、隙間が無くなるくらいまでぎゅっと抱きつく。僕が持つ症状の、所謂応急処置のようなもので、バージルもこれには慣れているから対応が自然だ。


「…。…セディ、少し場所を移そう。歩けるか?」

「……うん」


 バージルに抱きついたままこくこくと頷く。どうしてバージルの声に焦燥が混じっているのかとか、そういうことを考える余裕はなかった。

 邸に篭り切りで、外の世界を知らないからこその常識外れな行動。それをしでかしたことを自覚しないまま、僕はバージルに身を寄せてその場を離れた。


 公衆の面前で抱き合うことがどれほど注目を集めるか、そしてどういう意味と捉えられるか。それを考えもせず。



 近くを通ったギルたち討伐軍が騒ぎを聞き付け、僕とバージルの行動の一部始終を見ていたことすら、僕は気付かなかった。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

婚約者の義妹に結婚を大反対されています

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:46,548pt お気に入り:4,993

女装令息と性癖を歪められた王子

BL / 連載中 24h.ポイント:660pt お気に入り:207

9番と呼ばれていた妻は執着してくる夫に別れを告げる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,508pt お気に入り:2,836

余りモノ異世界人の自由生活~勇者じゃないので勝手にやらせてもらいます~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:37,594pt お気に入り:30,002

 だから奥方様は巣から出ない 〜出なくて良い〜

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:40,508pt お気に入り:2,586

【完結】前世の記憶があっても役に立たないんですが!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:284pt お気に入り:2,264

あなたが1から始める2度目の恋

恋愛 / 完結 24h.ポイント:946pt お気に入り:1,657

あの空の向こう

青春 / 連載中 24h.ポイント:255pt お気に入り:20

【完結】姉に婚約者を寝取られた私は家出して一人で生きていきます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:759pt お気に入り:5,572

【完結】絵師の嫁取り

歴史・時代 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:80

処理中です...