羅刹伝 雪華

こうた

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断章-愛と誇り-

第269話「瑠璃の誇り」

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 瑠璃が仕事もせず研究室に寝泊まりするようになって一週間以上経った。
 いつまでこんな生活を続けるのか。
 自分でもどうやって立ち直ればいいか分からなかった。
 今日も今日とて、みなが実験やら書類の整理やらをやっている中、一人だけデスクに突っ伏している。
 こうしていれば颯斗が癒してくれるので、それを待っているのだ。
 それが日々の糧。ぜいたくな糧を与えられているわりに活動していないが。
(神崎君……今日は遅いな……)
 なんとなく、研究室全体の人が少ない気がする。
 主要メンバーがなんらかの会議に出席しているのだったか。
(じゃあ、神崎君来ないのか……。残念だな……)
 いつの間にか、瑠璃は颯斗に依存している。
 あるいは以前から依存していたのかもしれない。
 自尊心を保つために彼を利用していたのだから。
「この機材の処分どうする?」
「あー、今は判断できる奴がいないな。颯斗たちがいないし、副室長はあれだし」
 やはり高い役職に就いている者が出払っているようだ。
 本来なら瑠璃も行かなければならないのだが、話を聞かされていなかった。
 颯斗以外の研究員は瑠璃を信頼していないから。颯斗は瑠璃に負担をかけたくなかったから、といったところか。
「まあ、もうしばらくしたら――」
 突如、大きな警報音が鳴り響いた。
「この音……警戒レベル最大か!?」
 研究室の敷地内に侵入者が現れたことを知らせる警報。
 音の種類で、その者の危険度が分かるようになっている。
 最大レベルということは、断劾会得者かそれに準ずる実力者の侵入だ。
「まずいな……。退避だ!」
 沙菜が管理している第四研究室もそうだが、惟月が設立したこの霊子学研究所は基本的に構成員の安全が優先だ。戦前の騎士団のように、命を捨てて職務を全うしろとは命令されていない。
「副室長が寝たままなんだけど!?」
「そんな奴ほっとけ!」
 研究員たちは重要なデータのバックアップを取って裏口から研究室を出た。
 ここには、悪意ある者の手に渡ると非常に危険なデータもある。最悪の場合、侵入者もろとも爆破だ。
(研究室と一緒に私も死ぬのか……。それならそれで――)
 生をあきらめかけたところで、自分一人の問題ではないと気付いた。
(ここが破壊されたら、神崎君の研究成果も……)
 瑠璃も研究者の端くれだ。自らの成果物には愛着がある。
 颯斗にしてもそれは同じのはず。
 爆破はあくまで最終手段。それに、敵が爆破を阻止してデータを奪うかもしれない。
 ここを襲撃者に明け渡してしまえば、颯斗たちの研究成果が、無駄になるどころか悪用される可能性すらあるのだ。
 それだけは耐えられない。
 瑠璃は一人、正面玄関から出て侵入者と対峙した。
「全員逃げたかと思ったら、逃げ遅れた者がいたか」
 侵入者は一人だけ。長身で体格のいい男だ。いわゆるコソ泥ではなく、戦士としての風格がある。
「…………」
 憔悴したままの瑠璃が、侵入者をにらみつける。
 その目に余裕はまるでない。
「……誰かと思えば準霊極の八条瑠璃か。貴様のような実力者が不在の時を狙ったつもりだったが、いないのではなく力が衰えたのか」
 侵入者は冷静に状況を見極める。
 守りが手薄なところを狙うだけあって、万全の霊力を持った瑠璃が倒せないほどの敵ではない。
 しかし、警戒レベル最大となるだけあって並の羅刹ではない。おそらく普段の瑠璃でも極致霊法を出さなければならない相手だ。
「弱っている者に剣を向けるのはためらわれるが……通してもらうぞ!」
 敵が抜刀する。
 瑠璃も携帯霊子端末を手に応戦する。
「霊法三十式・斬光ざんこう……!」
 携帯端末の画面から光の刃を飛ばす。
 これは特別大きくもなければ速くもない。
「中級霊法か。消耗した精神とわずかな霊気ではその程度が限界か」
 戦技を用いるまでもなく簡単に斬り払われてしまった。
(霊子転送で敵の懐に直接爆発を起こせれば……)
 次の術を発動しようとしたが、全体的に動作が緩慢になっていたようだ。
 距離を詰められ、肩を斬り裂かれた。
 後方に飛び退いたことで致命傷は避けたが、組み上げた霊子が霧散してしまった。
「八条瑠璃の霊子転送。いかに消耗しているとしても一瞬の油断が命取りだ」
 こちらの狙いは読まれている。
 言葉通り、敵は油断をしていない。
 積極的に攻めてはこない代わり、自身の間近に術が送られてこないよう巧みに立ち位置を変えながらこちらの隙をうかがっている。
(せめて……誰かが駆けつけるまで時間を稼げれば……)
 研究室が無事なら、自分は死んでも構わない。
 そう考えたが、敵も同じことに気付いた。
「……貴様は時間稼ぎか? 天下の霊子学研究所に守り手が一人しかいない訳がない。少々急がせてもらう」
 敵の刀が強力な霊気を帯びた。
 断劾を放つ気だ。
 こちらにとっても霊子転送を使うチャンスだが、おそらくこれが最後だ。
剛竜覇刃ごうりゅうはじん
 本人の佇まいにふさわしい剛毅さを感じさせる一撃。
 巨大かつ強固な霊気の刃が瑠璃に迫る。
(霊子転送……!)
 瑠璃は防御も回避もせず、一心で霊法を敵の元へ移動させた。
 結果、瑠璃の身体は袈裟斬りにされると共に吹き飛ばされて研究室の壁に激突した。
 敵は――。
「やはり念を入れておいて正解だったな」
 着物の中に防弾チョッキらしきものをつけていたようだ。これには羅刹装束の一部ではないような異質さがある。
 瑠璃が起こした爆発で破れたものの、捨て身の攻撃を防がれてしまった。
 もう瑠璃に霊気は残っていない。
「うっ……くっ……」
 動くだけで痛みが走る身体で、なおも敵の前に立ち塞がる瑠璃。
「決着はついた。我々の目的は人を痛めつけることではない。素直に情報を渡してもらえないか」
「『我々』ということは、背後になんらかの組織があるということ……?」
 悪あがきだと分かっていても、会話で時を稼ごうとする。
 瑠璃の勘が正しければ、あの防弾チョッキ風の防具は別の誰かが用意したものだ。
「それは拒絶の返答と取ってよいか?」
 敵が瑠璃にトドメを刺そうとしている。
 このまま死ぬぐらいなら。
(今の私でも……)
 まだできることがあった。
 左腕を前に突き出し右手を添える。
「なにをする気だ……?」
「代償霊法・紅蓮ぐれん怪腕かいわん‼」
 瑠璃のさけびに呼応して左腕を構成していた霊子が変化する。
 霊子は灼熱のマグマとなり、袖を破って天に昇る。
「これは――!」
 戦闘経験が豊富そうなこの侵入者も、実際に見たことはなかったのだろう。
 代償霊法――羅刹が持つ身体の一部、もしくは能力を犠牲にして放つ究極の術だ。
 その威力は断劾をも凌駕するとされる。
 巨大な腕の形を成したマグマが上空からすさまじい速度で落下し、敵に叩きつけられた。
(やった……)
 いくらなんでも、これを受けて倒れないはずはない。
 敵の霊気はどんどん弱まって――。
「――霊魂回帰」
(しまった――!)
 自分こそ失念していた。敵の霊魂回帰のことを。
 消えかけていた敵の霊気が戻っていき、元以上になった。
 傷は残っているものの再び立ち上がっている。
「命懸けはこちらも同じだ。寿命など気にしてはいられない」
 復活した敵がじりじりと迫ってくる。
「くっ……」
「右腕を犠牲にしたとしても、次はかわす。終わりだ」
 万策尽きた。
 あきらめるしかない。
 せめて颯斗の身に危害が加わらないことを願って。
「心意気は大したものだ。貴様の力が消耗していたことに感謝し――ッ!?」
 斬りかかってくる敵の頭上から巨大な光の球が降ってきた。
「あ……」
 瑠璃がもはや希望として求めることすらなくなっていた英雄だ。
「雷斗……様……」
 白銀の髪をなびかせ、霊剣・月下を片手に月詠雷斗が空に浮かんでいる。
「研究所の情報を狙う者がいると聞いたが、貴様がそうか」
 雷斗は敵の前に降下してくる。
 雷斗は光を司る大霊極。霊魂回帰だの代償霊法だので、やすやすと覆せる力の差ではない。
「ええ。しかし、劣血れっけつと侮られたあなたが至上の守護者とは……」
 余裕はないが、完全にあきらめてもいない。今度は敵が、先ほどまでの瑠璃のような姿勢で戦いに臨む。
「劣血か。懐かしい名だ」
 自らの蔑称を出されても雷斗が怒りで心を乱すことはなかった。
 これが彼の器だ。
「ふっ」
 雷斗が素早く剣を振るう。
 瞬きをした後にはもう敵が地に倒れていた。
 文字通りの瞬殺だ。
(なにが伴侶としてふさわしいよ……。格が違うじゃない……)
 瑠璃は自分の妄言を恥じた。
 そんな瑠璃の横を通って、雷斗が研究室に入っていく。中の状況を確認するのだろう。
 もはや瑠璃のことなど眼中にもないかと思ったが。
「八条瑠璃。副室長としての誇りは見せてもらった」
 予想もしていなかった言葉をかけられた。
 雷斗の姿はすぐ室内に消えたが、その言葉は瑠璃の胸に響いた。
(私にも……誇りが残っていると……)
 瑠璃の戦いにも意味はあったのだ。
 すべてを失くしたからこそ、己を省みることができた。
 自惚れを捨てて、本当の誇りを持てる生き方を探そう。
 そう思い直した矢先、研究室から少し離れたところで爆発が起こった。
(この方向は――)
 いざという時の避難場所に指定されている酒場だ。
 おそらくここから退避した研究員たちはそちらに向かったと思われる。
 まだ敵がいたということか。
(私は副室長……彼らは私の部下……)
 戦える。心が奮い立ったことで、急激に力がみなぎってきた。
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