羅刹伝 雪華

こうた

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第一章-守るべきものの選択-

第9話「喰人種・赤烏」

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「わざわざ人気のないとこに入ってくれて助かったぜ。――いい奴だなお前」
 指輪に変化していた霊刀・雪華の呼びかけに続いて背後から聞こえてきた声におそるおそる振り向くと、猛火のごとき赤毛を持つ青年がそこにいた。
 服装は着物。ただし六年前に見た風花のものと違い、布地の随所が破れてボロボロになっている。
 幾多の修羅場をくぐり抜けてきたのであろうことは容易に想像できる風貌だ。
「こ、この人が……喰人種……?」
 やや荒々しい雰囲気は感じられるが、姿形は人間のそれと大差ない。
「今まで遭遇しませんでしたが、変異が終わっていない喰人種は基本的には元の姿を保っています。普段退治していたのは、元々獣型だった羅刹が喰人種化したもの。風花が倒したのは、元々は人型だった羅刹が異形へと変異しきったもの。――喰人種に限らず、人型の羅刹が持つ力は獣型の比ではありません!」
 話として聞かされてはいた。人の姿をした、人の言葉を話す喰人種がいるということは。
 しかし、考えたくもなかった。対人恐怖症の自分が純然たる『敵』と相対することなど。
「その刀――魂装霊倶か? ってことはこっちの世界にも羅刹が……。ちっ、騙しやがったなあの女」
 苦々しそうに舌打ちしているが、窮地に陥っているのはこちらだ。
 現に相手は左手に提げていた太刀を抜き始めている。
「用件は分かってるよな。オレの名は赤烏せきう、いわゆる喰人種って奴だ。お前の魂を喰らいにきた」
 妙な言い方だ。自らを『羅刹』ではなく、わざわざ『喰人種』と表現した。
 だが今は言葉尻を気にしている場合ではない。
「せ、雪華さんっ……!」
 自分と喰人種・赤烏の間に氷で壁を作って後方へ跳ぶ。
「大気中の水分だけじゃねえな、刀からも水を――。人間にしちゃ随分霊気が使えてるみたいだな」
 霊気で氷を生み出しただけではなく、氷自体に霊気を込めており、通常のものとは段違いの強度を持っているのだが――。
「でも、わりぃ。こっちも遊びにきてる訳じゃねえんだ」
 太刀で斬りつけられた氷の壁は一瞬にして昇華した。融解ではない昇華だ。
(そん……な……)
 赤烏の刃から凄まじい熱気が伝わってくる。
(こんなの……一回斬られたら……)
 到底耐えられるはずがない。逃れる為には、斬られる前に斬るしかない。
 分かってはいる。だが、心と身体がその行為を拒否していた。
「どうした、こんなもんか?」
 距離を詰めてきた赤烏は片手で軽々と太刀を振るう。
 一方の優月は、両手で雪華を構えてどうにか攻撃を受け止めた。
「へえ、いい刀だな」
 確かに霊刀・雪華は赤烏の苛烈な一撃を受けても刃こぼれ一つしていない。しかし、優月の腕は痺れ、刀を落とさないのがやっとだ。
「――とはいえ、さすがに人間の力じゃ――なッ!」
 赤烏は、太刀を握る腕に力を込め、優月を刀ごと弾き飛ばす。
 空き地の塀に叩きつけられる優月。
 霊刀・雪華自体は強力な刀だ。もしかしたら、敵の胸を貫くことも、そうすることで敵を倒すこともできるのかもしれない。
 それをしなければ確実に死ぬ。可能性にかけるならそうするべきなのだ。
(人を……斬る……、殺すなんて……、そんなこと……)
 勝機も見出ださないうちから、既に斬った時の心配をしている。
 誰かに嫌われることを怖れる優月にとって、相手を傷つけるのは途轍もない恐怖。ましてや、殺すつもりで刀を向けるなど。
 当然、喰人種が『先に手を出したのは自分だから』といって許してくれることなど期待できない。
 何をどうしていいか全く分からないまま地に伏していると――。
「まともに戦えない奴を殺すのも忍びないが……」
 詰め寄ってくる喰人種・赤烏。
「しゃあねえ、死んでもら――ッ!?」
 傍らまで迫ってきた敵は、優月に刃を突き立てる直前で何者かに蹴り飛ばされた。
「優月さん! 大丈夫!?」
 今度の呼びかけは龍次のものだ。
「りゅ……龍次さん……」
 九死に一生を得たといっても、この状況はさらにまずい。
 これまでも迷惑をかけ続けてきたが、今回は命がかかっている。
(龍次さんをこんなことにまで巻き込むなんて……)
 最早、取り返しのつかないことになってしまった。
「やっぱオレの張る結界なんてこんなもんか」
 赤烏が体勢を立て直す。
 人を寄せ付けない為の術を使っていたようだが、その方面の適性が乏しく、優月を探していた龍次の侵入を許したらしい。
「なんなんだ、あんたは……」
 赤烏を睨みつける龍次の表情は、今まで見たこともないほど険しいものだ。
 喰人種の存在は知らずとも、優月を殺そうしていたことは間違いなく理解している。
「訊いてどうする? 少なくとも普通の人間には見えねえだろ。どうせ死ぬんだったら知ったところで意味はねえ」
「…………」
 龍次は正面から赤烏と対峙していた。『普通の人間』であるにも関わらず。
「――オレに勝った場合は、そっちの女に訊きゃあいい」
 またしても妙な発言。何故、自分が負けた場合の話をするのか。
「優月さん……?」
 赤烏の視線の先――優月の方を不思議そうに見る龍次。
 引っ込み思案なクラスメイトが、日本刀らしきものを持っていて、人ならざるものについて何か知っているというのだ。混乱するのも無理はない。
「あ、あの……!」
 身を起こしながら必死に呼びかける。
 巻き込んではいけない。これは龍次が関わる必要などない問題だ。
「優月さん、早く逃げて。ここは俺がなんとかするから」
「――っ!?」
 龍次は未知の存在であるはずの喰人種に向かって歩き出す。
 刀など持っていたところで、気の弱い優月が襲われて身を守れるとは思っていないのだろう。
 しかし、駄目だ。どう足掻いても、霊力を持っていない以上龍次に羅刹を倒すことはできない。
「おー、すげえなお前。素手でオレとやり合うつもりか?」
 素手で戦うことになる。魂装霊俱は使い手にも霊力がなければ、その力を引き出せない。刀だけでも渡しておく、という訳にはいかなかった。
「――ッ!」
 表情の険しさを増した龍次は、質問に対して行動で答える。
 素早く相手の懐に飛び込み、その顔面を打撃。――羅刹であり、喰人種である赤烏を殴り飛ばした。
「――ぐッ!」
 不意打ちでなかったにも関わらず、龍次の攻撃が赤烏に当たった。
 だが、ことはそううまく運ばない。
 赤烏を殴りつけた龍次の拳は火傷を負っている。
「くっ……」
 赤烏の魂装霊俱である太刀から熱が放たれていたということは、赤烏本人も炎熱の力を宿しているということだ。
「やってくれたな……」
 赤烏はすぐに起き上がる。やはり、腕力で殴打したところで羅刹にとっての痛手とはならない。
「つっても、ただの人間が直接オレに触れたらこうなる訳だよ。お前が武術の達人だったとこで、お前にオレは殺せねえ!」
 赤烏の反撃が龍次を襲う。
 対抗意識があるのかは分からないが、太刀を使わずに素手で殴りかかった。
 紙一重で躱す龍次だが、もし当たればひとたまりもないはず。
(わ……わたしが、なんとかしないと……。このままじゃ龍次さんが……)
 霊力のない龍次が戦っているのに、喰人種を倒す能力も、それを強化する刀も与えられている自分が手をこまねいていていいはずがない。
「チィッ!」
 驚くべきことに体術では龍次が上をいっている。赤烏の攻撃を躱し、機を見て反撃を加える。
 しかし、決して致命傷を与えることはできない。
 龍次の火傷は増えていき、反撃に使える身体の部位もなくなっていった。
「そんな状態でよく戦い続けられるな……。しかも、人間が身体能力で羅刹を……」
 言いながら飛び退いて蹴りを避ける。羅刹の力を考えれば、正面から受け止めることもできそうなものだが――。
「まさか、ここまで消耗してるとはな……」
 そのあと、深刻そうに呟いた。
「――いや、オレの意思で使える霊力の割合が下がってるのか……?」
 龍次から受ける攻撃は一切決定打にならないはずなのだが、何故か余裕をなくしているように見える。
 そして、先ほどまでは使わずにいた魂装霊倶を構えた。
「わりぃ。こっちも後がないんだわ」
 構えたその太刀が炎を纏う。
「な……!? なんだこれ……!?」
 龍次は驚愕の色を浮かべている。
 触れただけで火傷を負うような肉体もそうだが、人間界の常識では刀から突然炎や氷が出てくることなど予想できない。当然の反応だ。
「霊刀・烈火れっか!」
 赤烏が太刀を振るうと、火炎が宙に広がり龍次へと襲いかかった。
「――くっ! ――ッ!」
 声にならないような声を漏らし、炎から逃れるべく後退する。
(龍次さん……! わたしが……わたしがやらないと……)
 手で払おうとしても、放たれたのは霊気を帯びた炎。龍次の火傷はひどくなる一方だ。
 まして、直撃を受ければひとたまりもないだろう。
 この場で対抗できるのは、霊刀・雪華を持つ自分しかいない。
 手足が震えたまま、どうにか刀を構えようとする。自分が龍次を守らなければ――。
「できればこんなことはしたくねえんだけどな……」
 嘆息する赤烏。嫌味を言っている風ではない。
「見えるだろ、この黒い線。まともな奴の魂で変異を食い止めなけりゃ、オレはこの黒に飲み込まれて消える」
 赤烏が指差したその頬にはタトゥーのような文様が浮かんでいる。
「お前にはまだ言ってなかったか。オレはお前らの魂を喰いにきてんだ。そうしなきゃ生きていけないからな」
「そんなこと、優月さんには関係ないだろ……!」
 龍次の面持ちは怒りに満ちている。
 確かに、喰人種の為に自分たちが死ぬ義理などない。
「そうだ。お前らにはなんの関係もない。関係ない他人を殺して自分だけ生き残ろうとしてんだ。所詮、悪党だとか化物だとかはそんなもんだろ?」
 自嘲気味に笑う赤烏を見て、ようやく違和感の理由が分かった。
 自らをわざわざ『喰人種』と呼んだ。自分が負けることも想定した上で話をしていた。
 赤烏は――、他人を犠牲にしなければ生きられない自分自身を卑下しているのだ。
 その気持ちは痛いほどよく分かる。
(この人も……好きで戦ってる訳じゃない……。そんな人を殺すなんて……)
 そこにいるだけでいとわれ、排除される。――優月がずっと嘆き続けてきた境遇だった。
 彼を斬るということは、まさしく自分が排除する側に回るということだ。
 皆がそうでなくなることを望んでいたのではないのか。そのようなことをしない龍次が好きだったのではないのか。
 ――もう何が正しいのかすら分からない。
「優月さん、あなたにとって本当に怖いのはなんですか?」
 声が聞こえてきた。
 最早、手放しかけていた羅刹の刀から。
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