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君は迷う(5)
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修治たちと分断された常ノ梅たちは、笠元がひどく怯えていたこともあって、まず窓からの脱出を試みたという。しかし、釘が打ち付けられているかのように窓は固く、取り乱した笠元が叩き割ろうとしたが失敗。
結局、修治たちと同じように最初の入り口を目指しつつ、他の出口を探すことにした。
二階よりも複雑な迷路を常ノ梅の方向感覚を頼りに進み、一行は女と出会う。青白い顔に、着物姿。さきほど遭遇したのとは違う。
異様な気配に常ノ梅たちはすぐに逃げ出した。
女は、胸にぽっかりと空いた穴から血を滴らせ、ヒッヒッと笑いながら追いかけてくる。
走りながら常ノ梅は気づく。女との距離が縮まらない。日向と笠元は足が速い方ではない。特に笠元は、ときおり足がもつれたりと速度が下がる。それなのに、距離が縮まらない。自分たちを捕まえるつもりがないような気がした。
そしていつの間にか女の姿は消えていて、咄嗟に逃げ込んだ部屋には血塗れの男が倒れていた。またか、と一瞬警戒したが、よく見ればそれは免許証で見た顔だった。
頭部からの出血。側にあった、腰ほどの高さの箪笥の角の血痕。呼吸と心臓は完全に止まっていた。
遺体に縋りついて「和史! 和史!」と泣き叫ぶ笠元を宥めるのに苦労したそうだ。たださえ不安定だったのがついに折れて、魂が抜けたようになって日向に支えられながら立つ有様。
そしてもうひとつ。和史がぶつかったときにでもズレたのか、壁から離れた箪笥の裏に常ノ梅は一冊の日記を見つけた。
「持ち主は、大正頃の鷹田家長男の側仕え。ほぼ看護日誌みたいな内容だったよ」
「看護?」
「当時の鷹田家長男は、ある問題を抱えていて、側仕えはそれを記録していたんだ」
部屋から持ち出しはしなかったが、一通り目を通した内容を移動しながら語る。
「文武両道、器量良し。人望厚く、誇れる鷹田家の後継者。子息を慕い、そんな主人に仕えられることに彼は誇っていた」
自然と修治の頭には、自分が読んだ日記のことが思い浮かぶ。
「でもある日突然、彼の主人は首を括ってしまった」
未遂で終わったものの、彼がとった行動は周囲に大きな衝撃を与えた。なぜそんなことになったのか、当人でさえもわからないという。
その後しばらくは穏やかだった。あれは偶発的な事故だったと思えてきた頃、二度目が起きてしまった。
自傷、飛び降り、薬物。何度も何度も彼は繰り返す。精神疾患と診断され、全て敷地内で起きていたのをいいことに、鷹田家はそのことを表沙汰にはしなかった。世間的には病気を患ったので療養のためと、彼を屋敷に閉じ込めたのだ。
このときには、長男の自殺は月一の頻度で、家人たちが泣こうが乞おうが、彼はやめなかった。
騒動を起こさないときの長男は、以前と変わらず穏やかな気性のままで、なぜこんなことをするのかと問うても、困ったように微笑むだけで答えてくれない。
そしてひと月後にまた、自分を傷つける。
止められないと周りが諦めた始めた頃、屋敷で人が死んだ。
長男ではない。
彼の自殺が失敗した翌日に、使用人の一人が階段から転落した。
使用人の死を、長男は家族のもののように悲しんだ。
残される悲しみを知っているはずの彼は、翌日も自死を図り、そしてまた使用人が事故死した。
二人目の棺桶を見送った長男の顔は青白く、ひどく怯えていた。
「側仕えはある符号に気づいた。死んだ使用人は二人とも、長男の自殺未遂の第一発見者だったんだ」
「あ」
そうか、だから古河は死んだのか。
立ち止まった修治の視界から外れない位置でとどまった猫たちは、普段はやる気のない瞳に気力を宿らせていく飼い主を見上げた。
「松原君?」
「……その二人で終わったわけじゃないんだろ」
「事故については、日記にはあまり書かれていないけど……以前読んだ古新聞に、この日記が書かれたのと同じ頃に鷹田家で多発した連続死亡事故についての記事があってね、これが同じものだとしたら……二十人以上は……日記によれば、即死を狙った方法をとっても長男は奇跡的に生還し、彼の自殺を目撃した誰かが必ず事故にあって亡くなった。そんな偶然の積み重ねは、長男をますます追い詰めることになったんだ」
偶然などと言えるか?
二度までなら偶然ですませられても、三度続くとなればそれはもはや必然じゃないだろうか。
首を吊った人影を見たと言った古河が、階段の崩落事故にあった。
この一連は、かつてこの屋敷で頻繁に起きていたという事例と同じだ。
「自分は他人の命を犠牲に生きている。自分が死ねないから人が死ぬ。そんな罪悪感に蝕まれた彼はいよいよ正気を保てなくなっていった。睡眠薬を常用するようになり、ほとんど寝て過ごすことが多くなった」
「そいつの望みは叶ったのか」
答えを急かす修治を見て、常ノ梅は顎に手をあて考える素振りをする。
「望みは叶ったといえる。彼は、殺された」
沈黙が降りる。
「……和史も」
それまで言葉を忘れていた笠元が口を動かした。
「和史も見たって……二階から飛び降りた人影を。でも私は見てなくて、だから何かの見間違いって……確認しようって屋敷に入って……そしたら人が、たくさんの人が追いかけてきてッ」
「彩芽さん」
泣き出して膝から崩れ落ちそうになる笠元を日向と夢原が寄り添い支える。
「先にここから出ようか」
「……ああ」
人間たちが話している間、退屈そうに欠伸をしていた猫たちは、修治が動き出したのを見て、尻を上げってグッと上半身を伸ばす。
道案内するようにアリスが先頭になり、それに従う人間。よく考えればちょっと不思議だが、今はそれが最善のように思えて、きっと屋敷を出られると信じて、誰も何も言わない。
屋敷を出る……。
「松原君?」
「なんでもない」
常ノ梅に顔を覗き込まれ、一歩距離を置く。何かもやもやとしたものが胸の中でとぐろを巻いていた。
ククはそっと修治の足に寄り添う。
「あ、ここ」
片側に窓が並ぶ廊下に出て、見えた外の光景に日向が声を上げる。最初に入り込んだ裏庭だ。入り口に使った扉を修治が押すと、簡単に開いた。
「やった!」
日向と夢原、新井の歓声が遠い。
一歩踏み出せば外。
笠元の手を引き、駆け出す三人。
猫たちは修治のもとにぴったりと身を寄せる。
屋敷を出る。日常に帰る……帰って、どうする?
俺は、帰りたくない。
「松原君?」
外の世界から、常ノ梅が振り返る。修治がついてくるのが当然というような顔で。
――ミャア
外界から切り離すように扉が勢いよく閉まった。
「松原君!」
信じられない、どうして、とガラスの向こうから手を伸ばす常ノ梅の姿が暗闇に呑まれていく。
結局、修治たちと同じように最初の入り口を目指しつつ、他の出口を探すことにした。
二階よりも複雑な迷路を常ノ梅の方向感覚を頼りに進み、一行は女と出会う。青白い顔に、着物姿。さきほど遭遇したのとは違う。
異様な気配に常ノ梅たちはすぐに逃げ出した。
女は、胸にぽっかりと空いた穴から血を滴らせ、ヒッヒッと笑いながら追いかけてくる。
走りながら常ノ梅は気づく。女との距離が縮まらない。日向と笠元は足が速い方ではない。特に笠元は、ときおり足がもつれたりと速度が下がる。それなのに、距離が縮まらない。自分たちを捕まえるつもりがないような気がした。
そしていつの間にか女の姿は消えていて、咄嗟に逃げ込んだ部屋には血塗れの男が倒れていた。またか、と一瞬警戒したが、よく見ればそれは免許証で見た顔だった。
頭部からの出血。側にあった、腰ほどの高さの箪笥の角の血痕。呼吸と心臓は完全に止まっていた。
遺体に縋りついて「和史! 和史!」と泣き叫ぶ笠元を宥めるのに苦労したそうだ。たださえ不安定だったのがついに折れて、魂が抜けたようになって日向に支えられながら立つ有様。
そしてもうひとつ。和史がぶつかったときにでもズレたのか、壁から離れた箪笥の裏に常ノ梅は一冊の日記を見つけた。
「持ち主は、大正頃の鷹田家長男の側仕え。ほぼ看護日誌みたいな内容だったよ」
「看護?」
「当時の鷹田家長男は、ある問題を抱えていて、側仕えはそれを記録していたんだ」
部屋から持ち出しはしなかったが、一通り目を通した内容を移動しながら語る。
「文武両道、器量良し。人望厚く、誇れる鷹田家の後継者。子息を慕い、そんな主人に仕えられることに彼は誇っていた」
自然と修治の頭には、自分が読んだ日記のことが思い浮かぶ。
「でもある日突然、彼の主人は首を括ってしまった」
未遂で終わったものの、彼がとった行動は周囲に大きな衝撃を与えた。なぜそんなことになったのか、当人でさえもわからないという。
その後しばらくは穏やかだった。あれは偶発的な事故だったと思えてきた頃、二度目が起きてしまった。
自傷、飛び降り、薬物。何度も何度も彼は繰り返す。精神疾患と診断され、全て敷地内で起きていたのをいいことに、鷹田家はそのことを表沙汰にはしなかった。世間的には病気を患ったので療養のためと、彼を屋敷に閉じ込めたのだ。
このときには、長男の自殺は月一の頻度で、家人たちが泣こうが乞おうが、彼はやめなかった。
騒動を起こさないときの長男は、以前と変わらず穏やかな気性のままで、なぜこんなことをするのかと問うても、困ったように微笑むだけで答えてくれない。
そしてひと月後にまた、自分を傷つける。
止められないと周りが諦めた始めた頃、屋敷で人が死んだ。
長男ではない。
彼の自殺が失敗した翌日に、使用人の一人が階段から転落した。
使用人の死を、長男は家族のもののように悲しんだ。
残される悲しみを知っているはずの彼は、翌日も自死を図り、そしてまた使用人が事故死した。
二人目の棺桶を見送った長男の顔は青白く、ひどく怯えていた。
「側仕えはある符号に気づいた。死んだ使用人は二人とも、長男の自殺未遂の第一発見者だったんだ」
「あ」
そうか、だから古河は死んだのか。
立ち止まった修治の視界から外れない位置でとどまった猫たちは、普段はやる気のない瞳に気力を宿らせていく飼い主を見上げた。
「松原君?」
「……その二人で終わったわけじゃないんだろ」
「事故については、日記にはあまり書かれていないけど……以前読んだ古新聞に、この日記が書かれたのと同じ頃に鷹田家で多発した連続死亡事故についての記事があってね、これが同じものだとしたら……二十人以上は……日記によれば、即死を狙った方法をとっても長男は奇跡的に生還し、彼の自殺を目撃した誰かが必ず事故にあって亡くなった。そんな偶然の積み重ねは、長男をますます追い詰めることになったんだ」
偶然などと言えるか?
二度までなら偶然ですませられても、三度続くとなればそれはもはや必然じゃないだろうか。
首を吊った人影を見たと言った古河が、階段の崩落事故にあった。
この一連は、かつてこの屋敷で頻繁に起きていたという事例と同じだ。
「自分は他人の命を犠牲に生きている。自分が死ねないから人が死ぬ。そんな罪悪感に蝕まれた彼はいよいよ正気を保てなくなっていった。睡眠薬を常用するようになり、ほとんど寝て過ごすことが多くなった」
「そいつの望みは叶ったのか」
答えを急かす修治を見て、常ノ梅は顎に手をあて考える素振りをする。
「望みは叶ったといえる。彼は、殺された」
沈黙が降りる。
「……和史も」
それまで言葉を忘れていた笠元が口を動かした。
「和史も見たって……二階から飛び降りた人影を。でも私は見てなくて、だから何かの見間違いって……確認しようって屋敷に入って……そしたら人が、たくさんの人が追いかけてきてッ」
「彩芽さん」
泣き出して膝から崩れ落ちそうになる笠元を日向と夢原が寄り添い支える。
「先にここから出ようか」
「……ああ」
人間たちが話している間、退屈そうに欠伸をしていた猫たちは、修治が動き出したのを見て、尻を上げってグッと上半身を伸ばす。
道案内するようにアリスが先頭になり、それに従う人間。よく考えればちょっと不思議だが、今はそれが最善のように思えて、きっと屋敷を出られると信じて、誰も何も言わない。
屋敷を出る……。
「松原君?」
「なんでもない」
常ノ梅に顔を覗き込まれ、一歩距離を置く。何かもやもやとしたものが胸の中でとぐろを巻いていた。
ククはそっと修治の足に寄り添う。
「あ、ここ」
片側に窓が並ぶ廊下に出て、見えた外の光景に日向が声を上げる。最初に入り込んだ裏庭だ。入り口に使った扉を修治が押すと、簡単に開いた。
「やった!」
日向と夢原、新井の歓声が遠い。
一歩踏み出せば外。
笠元の手を引き、駆け出す三人。
猫たちは修治のもとにぴったりと身を寄せる。
屋敷を出る。日常に帰る……帰って、どうする?
俺は、帰りたくない。
「松原君?」
外の世界から、常ノ梅が振り返る。修治がついてくるのが当然というような顔で。
――ミャア
外界から切り離すように扉が勢いよく閉まった。
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