四匹の猫と君

花見川港

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君は迷う(4)

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 ページを捲ると、前の見開きの存在はなかったように前々ページの翌日の日付で日記は続いていた。

 家族に愛され、学友たちと遊び、女性から美しい恋文を貰う。そんな日常が綴られている。何不自由なく、悩みもなく、人生を謳歌している。丁寧な文面に、まるで常ノ梅のような男だと思った。

 けれどあの言葉を目にしたせいか、どこか空虚に感じる。

 数日分が過ぎ、唐突に内容ががらりと変わった。

『失敗した』

『私のせゐで』

『すまない すまない』

 後悔のこもった文面の中で、この三つの言葉が目を引いた。

 次のページから日常に戻ったが、ページを捲るごとに行数が減っていき、また『失敗した』『すまない』の繰り返し。

 段々と追い詰められていく様を表すように、筆跡は勢いをつけ、読み取れる部分が日に日に減っていく。

『私のせゐで』

『私が失敗したから』

『また』

『失敗したから』

『代はりに』

『駄目だ』

『早く 早く』

『また人が』

『私のせゐで』

『早く』

『終はらせなければ』

『また』

『死ななければ』



『私が死ななければまた人が死ぬ』



 後半からは同じような内容ばかり。後ろの数ページを空白のまま残して、日記は途絶えた。

 日記を閉じて、ふぅ、と息をつく。少しざらつく表紙を指でなぞった。

 持ち主は、願いを叶えられたのだろうか。

 羨みながら、内容の違和感について考える。書き手の精神の不安定さを表すように乱れた文字から読み取れた部分は少ない。わかるのは、彼は何度も繰り返しては失敗した。回数が増えるごとに後悔に苛まれ、そしてなぜだか最後には、責任感のようなものを持って彼を死を望んでいた。

 自分が死ななければ人が死ぬ。繰り返される『また』は、代わりになった数だろうか。だとしたら、一年にも満たない間に、この屋敷では十人以上が亡くなっている。

 修治の足元に座っていた一匹が扉の方をじっと見ていることに気づいて「シャオリン?」と呼びかける。他の三匹も同じように扉を見ていた。

 猫が何もないように見えるところに目を向けるのは珍しいことではない。一説では、人には感知できない何かを捉えているのだとか。

 虫や埃、あるいは……。

 何もせず、猫のようにじっと扉を見つめていると、

「キャァアアア!!」

「うわぁあああ!!」

 向こう側から聞こえた悲鳴に驚き、修治はドアノブに手を伸ばした。

「いってッ!?」

 バチッ、とはっきり聞こえるほどの静電気に弾かれ、手のひらをひっくり返して確認した。電流が流れ込んだような衝撃だったが、火傷はしていない。

 扉の向こうは静かになっている。

 袖口を伸ばして手を隠し、もう一度ドアノブを掴む。今度は弾かれなかった。

「夢原? 新井?」

 廊下には誰もいない。

「……置いてかれた?」

 ポツンと廊下に一人立ち尽くす修治の足に尻尾を絡めながら、猫たちは全身を擦り付けた。黒地のズボンは、もうすっかり毛だらけである。

 叫んだということは、何かあったのだろう。逃げたのか、攫われたのか。

 まずい、よな。

 常ノ梅に頼まれて、自分はそれを引き受けてしまったのだ。修治は眉間に皺寄せ、頭を掻いて「探すべきだよなぁ」と呟く。見つからないならそれまで、とやや後ろ向きに考え、気怠げに歩き出す。

 本気で人を探す気があるのかと疑わしくなるほどゆったりとした足取りで、ときどき思い出したように名前を呼びかける。

 階段を見つけ、階下をスマホで照らした。

「ヒッ」

「っ」

「あ、いた」

 一階でへたり込んでいた二人はひどく怯えていた。夢原は膝をついたまま逃げようとして手を滑らせ肘を打ち、新井は声も出せず、今にも意識が飛んでいきそうだった。

「大丈夫か?」

 声をかけてようやく、修治がお化けではないと気づいたようだ。

「あ、あ、あんたねぇ! どこいってたのよ!?」

 修治が階段を降りると、夢原は涙を浮かべて怒鳴った。

「急にいなくならないでよ! びっくりするでしょ! なんであとから来てるの!?」

「あー……悪かった?」

 修治からすれば、勝手にいなくなったのは二人の方だが、まさか物置に入り込んでいるとは思わなかったようで、さすがに申し訳ないと思った。

「クソッ、こんなとこ、さっさと出てってやる!」

 新井は立ち上がり、窓に向かって足を振り上げる。怪我を恐れることなく、ただここから逃げ出したいという気持ちが勝った蹴りは、しかし窓ガラスにヒビ一つ入れることはかなわなかった。

「ってぇ!!」

 勢いは鈍痛で跳ね返り、新井は片足を抱えて跳ねながら後退する。

 それでも諦めず、端に転がっていた棒を見つけると、拾って振りかぶった。

 けれどやはり、窓は割れない。それどころか棒のほうが折れて、離れた先端が修治のもとに落ちた。目の前に飛び込んできたおもちゃに、リンとククが飛びつく。

「なんでだ……どうなってんだ」

 全力でぶつけたというのに、びくともしない窓を前にして新井は呆然と立ち尽くす。

 入るのは容易く、脱出は困難。

 よくあるパターンだ。

 解決するにしろ、逃げるにしろ、法則を見つけて則らなければならないだろう。儀式か、除霊か。どれも現実的じゃないなと修治は苦笑い。

 これじゃ、夢原の妄想と変わらない。

「とりあえず、入ってきたところを目指してみないか?」

 そのまま出れるとは思っていないけれど。

 まだ屋敷の中を歩くのが怖いのか、二人は躊躇していた。しかし、ここから出られないのだから、他を探すしかないのもわかっている。

 渋々と、今度は修治を先頭に歩き出す。

「ところで、逃げたのはまた女が現れたからか?」

「ううん……男、だった。頭が半分潰れた……」

 夢原は今にも吐きそうな顔で言った。

 幽霊は一人ではない。日記の内容を思えばは、当たり前かもしれない。

 夢原たちにも日記のことを話すべきか悩んだ。己の背中にくっつくほど詰めて歩く二人を見て、修治は余計なことを言うのはやめておくことにした。

 屋敷の一階は入り組んでいた。部屋と部屋がつながり、いつの間にか窓のない空間に入り込んでいて方向がわからなくなる。

 廊下の突き当たりに扉が三つ。普通なら迷うところを、修治はすぐに猫たちが近づいた左の扉を選んだ。そうして迷いのない足取りで、いくつかの部屋を通過する。

「あんた、なんで道がわかるの」

「……なんとなく」

 夢原は訝しむ。

 本当に、修治はなんとなく導かれているような気分で猫に従っているだけだった。

 次の部屋に入った瞬間、ライトに照らされた美貌が修治に向かって頬笑んだ。

「松原君」

「うつみちゃん! 新井くん!」

「みく!」

 修治の背後から飛び出して、夢原は友人を抱きしめた。お互いの無事にようやく安堵の表情を見せる。新井も二人の側でほっとした顔をしていた。

 常ノ梅の後ろでは、笠元が生気の失せた青い顔で壁に寄りかかっていた。霞のように薄くなった存在感に、修治が「あれは?」と訊ねると、常ノ梅は憐憫を浮かべて、彼女の耳に入らないようにか、ひそめた声で答えた。

「彼女の連れが亡くなっていたんだ」
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