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第162話 パトレシアと暗闇

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 目を開けても、世界は闇に閉ざされたままだった。身体の感覚はあるのに、周りの光景が何も分からない。
 
 今、自分がどこにいるのかも分からない。

「ここにいるよ」

 すぐそばで声が聞こえる。触れるほどが出来る近い距離から、パトレシアの声が聞こえた。

「パトレシア……ここはどこなんだ」

「アンクの家だよ。さっきまでずっと寝ていたんだ」

「寝ていた……? 今は……夜か?」

「ううん夜じゃなくて昼。……そっか、やっぱり見えていないんだね」

 頬を触れる柔らかく温かな手の感触。その手に優しく撫でられた時に、俺は寝る前の記憶を思い出した。

 イザーブで意識を失って、戻ってきたのか。
 俺はベッドの上に寝ていて、日常の風景の中にいる。変わったのは世界じゃなくて、俺自身の方だ。

「目……治らないか」

「うん、魔力炉を酷使しすぎた影響みたい。視界がシャットアウトされている」

「……他のみんなはどこに行ったんだ?」

「自分の心配より他人の心配。まったく、こんな状況でもアンクは変わらないんだね」

 パトレシアは呆れたように大きくため息をついた。

「みんな無事だよ。戦闘で力を使い尽くした私たちを、ナツのゴーレムたちがここまで運んでくれたの。誰1人欠けていないし、後に引くくらいの大怪我をしたのはアンクだけ」

「そうか……良かった」

「良かったじゃないわよ。自分がどれだけ無理をしたか分かっているの?」

 ぎゅーっと強い力で頬をつねられる。痛みでれそうなほどに、パトリシアは手に力を入れた。

「痛い痛い」

「どう? これで諦める気になった? もう、あなたは戦えない。リタとシュワラも私との戦いでもうほとんど動けない。めい世の魔法はもうすぐ完成する。ここが引き時よ。大人しく降参しなさい」

「いててててて、なんなんだ、負けて改心したんじゃないのか」

「負けた? そうね私は負けた。でも、は負けていない」

「ぐ……分かった、分かった、降参だ」

 頬から手が離れていく。じんじんと痛みが残るほどに頬が痛かった。
 そして今度は腹の方にずしんと重いものが乗っかる。どうやらパトリシアが俺の上にまたがったようだ。

「降参って……本気?」

「嘘だ」

「まったく……」

「当たり前だろ。ここまで来て、俺が諦める訳にはいかない。最後の記憶を取り戻すまで、戦わなきゃいけないんだ」

 俺の上でパトレシアがもぞもぞと動く。額に髪の毛がかかるような、くすぐったい感触。それから背中に手を回して抱きとめられるような感覚。

「本当にバカなんだから」

「バカはお互い様だろ。全てにおいて無茶しやがって」

「全てにおいてって……ちょっとひどい。でも、そうね。私はきっとそのせいで負けた。いつの間にか自分以外を信じられずにここまで歩いてきちゃった」

「反省したか?」

「少し……」

 パトレシアは俺の身体を強く抱きしめた。全身から彼女の身体の凹凸おうとつ、柔らかいところや温かいところを感じた。

「結局、あなたの言った通りだ。私はやっぱり後悔した。守ることも壊すことも間に合わなかった。逃げ出すことさえ……間に合わなかった。私は嫌いな人間すら見捨てることが出来なかった」

「そうだな、パトレシアは優しいから」

「何もかも中途半端だった。大切な友だちの気持ちだって分からなかった。うまく伝えることが出来なかった。すれ違って、嫌になって、恨まれていると思っていた。彼女の気持ちから逃げていたのは私の方だったんだ」

「後で謝れば良い。謝るチャンスなら沢山ある」

「私……」

 パトレシアは俺に身体を押し当てた。彼女の声が近くに聞こえる。心臓の音も、身体中に響くくらいに大きく聞こえる。

 どくんどくんと確かに動く彼女の身体に手を置く。見えなくても、確かにそこにある身体を実感する。

 パトレシアは消えそうなくらい小さな声で囁いた。

「私、アンクに消えて欲しくない。ずっとこのままでいて欲しい」

「でも、俺にやらなくちゃいけないことがある。残念だけど、これは保証出来ない。もう1人の記憶を俺は取り戻さなくちゃいけない。それは失っちゃいけないものなんだ」

「……きっと勝てないよ。勝っても、その先は地獄だよ」

「それでもだ。結局、何をやっても後悔するんだから」

「私たちの人生は切り捨てたものの残骸の上に立っている……ね。本当にアンクは変わらないな……」

 パトレシアは小さく息を吐いた。

「分かった、良いよ。あなたが戦うのを許す」

 途端に心地の良い匂いに包まれる。太陽の匂いのような、穏やかで恍惚こうこつとなる香り。口の中にパトレシアの舌が入ってくる。ねっとりとした温かな舌が、口の中で触れ合う。

「ん……」

 それに応じるとパトレシアが小さく声を漏らした。彼女の中に舌を入れると、押し返すように動く。頬と頬が触れ合ってくすぐったい。

 魔力炉がほのかに熱くなっている。手を伸ばして、パトレシアが俺の魔力炉に触れている。

「……私の魔力分けてあげる。一緒には戦えないけれど、これがせめてものの私からのご褒美ほうび

 彼女の魔力を感じる。水色で鮮やかな魔力をまぶたの裏で認識する。流れ込んでくる魔力は、俺の中で曲がったりうねったりしながら、不思議な模様を作っていた。

「あ……」

 魔力炉をこすりあわせると、パトリシアが高い声を出して反応した。下腹部が燃えるように熱い。自分の魔力炉が激しく呼応しているのが分かる。

 それでも、まだ視界が開くことはない。
 抱きしめたパトリシアの身体を強く抱きしめる。汗ばむ彼女の身体を感じる。柔らかい彼女の身体を触覚で認識する。

「……ぁあ」

 荒く呼吸をするパトレシアは、泣き出しそうな声で鳴いた。俺の身体を強く抱き返して、何度も身体を動かした。
 魔力が頭の中で何度も跳ねる。パトレシアから俺の中へと流れ込んでくる。
 
 怒りとか悲しみとか、それからそれ以上の嬉しさとか。様々なものが渦巻いて、俺の中で1つになる。

「ん……!」

 ビクンと彼女の身体が跳ねる。
 膨れ上がった魔力が煙のように立ち上って、そして霧のように落ちてくるのが分かる。快感と共に、身体の中で魔力が回り始める。

「はぁ……はぁ……」

 疲れ切ったようにパトリシアは、俺の上で荒く呼吸をしていた。もう1度キスをすると、彼女はハッと思い出したように言った。

「ごめん、そういえば……すっかり忘れてた」

「何を?」

「お礼言うの忘れてた。アンク、私を救ってくれてありがとう」

「……どういたしまして」

 身体に生命力が戻ってくるのが分かる。
 目はまだ見えない。視界は暗闇に閉ざされたままだった。

 それでも今は、この手の平が触れる範囲の世界で十分だった。彼女の身体を感じることが出来るこの感覚だけで、俺は報われていた。
 
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