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第159話 パトレシアの選択

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 ◆◆◆


 なんでもない日のなんでもない会話だった。
 ユーニアとリタが買い物に出かけている間、俺とパトレシアは魚釣りがてら、水浴びをしていた。

 晴れやかな日差しが、川に降り注ぐ、気持ちの良い初夏の午後だった。

「私ね、今ちょっと迷っているんだ」

 小川のゆるやかな流れを見ながら、パトレシアは言った。

「やろうとしていることが正しいのか、どうなのか、分からなくなっているの。やった後で後悔するのが怖くて踏み出せずにいる」

 出会った時から、数年の時を経て、パトレシアはだんだんと心を許すようになっていた。けれど、改まって悩みを打ち明けられたのは、この時が初めてだった。

「パトレシアは後悔するのが怖いのか?」

「そうだね。誰かを傷つけてしまうのが怖い。私の行動で誰かが損をするのは知っているから、どうすれば良いのか分からない」

「……けれど、やらなくても誰かが傷つく」

「そういうこと」

 パトレシアは頷いた。

「やってもやらなくても、後悔しそうで……私はどっちが良いか分からなくなっている」

 遠くの方で魚が跳ねる。
 あっ、と声を出したパトレシアが追いついた時には、その魚は影も形もなかった。

「逃しちゃった……」

「また来るさ」

「そうだね……」

 肩を落とすパトレシアに語りかける。

「迷っているとしたら、今はあまり考えない方が良い。そう言う場合に最良の選択が出来るはずない。自分が選んだ方がいつも最悪だと想定していた方が、気が楽だ」

「何それ、変なの。アンクってずいぶんと悲観的なんだね」

「悲観的かもしれないな。でも実際そんなもんだよ。俺たちは結局、何をやっても後悔するように出来ているんだ」

 ……彼女が言っていた『覚悟を決めた』時があったというのなら、たぶんここだった。今の俺なら分かる。

 家族を裏切り、そして友人を裏切ろうと彼女が決めたのはきっとこの言葉だった。

「何をやっても後悔する……ね」

 少女から大人へと成長しようとしていたパトレシアは、その傷1つない綺麗な脚を小川の冷たい水に付けながら言った。

「すっぱり切り捨てた方が楽ってことが言いたいんだよね」

「それもあくまで選択の1つだ。思い悩むのも自由。結局、切り捨てたものほど輝いて見える。俺たちの人生は残酷な選択の連続で、切り捨てたものとか諦めたものの残骸で出来ているんだ」

「なんか、アンクってたまにすごく大人びたこと言うよね。でも、切り捨てたものほど……かぁ。ちょっと分かるかも」

 パトレシアは透き通った水の中で、ちゃぷちゃぷと脚を動かしながら言った。太陽に照らされた水面が白く輝いていた。

「やるべきなのか、やらないべきなのか。アンクの言うところの残酷な選択っていうやつの分かれ道に私はいるんだね。ねぇ、私はどっちを切り捨てるべきだと思う?」

「……それは、自分が今、大切だと思うものを選べば良い。結局、どっちを選んでもっとどこかで後悔するんだから」

 そう言うと、パトレシアは嬉しそうに笑った。

「大切なものか、うん、それなら分かりやすい。私には大切なものがちゃんとある」

「リタか」

「そうだね、私のかわいい妹。あとそれから……」

 パトレシアは山並みの方に視線を向けて言った。新緑に影が差し込んでいて、すっきりと割れた陰影を眺めながら、彼女は言葉を続けた。

「友達と約束したんだ。大人になったら、私たちはずっと仲良くしていようって。だから、そういう世界を私は作りたいんだ」

 そこまで話したところで、遠くの方からリタが俺たちを呼ぶ声が聞こえた。3年間に及ぶイザーブへの逗留とうりょうはもうすぐ終わろうとしていた。これから俺とユーニアはさらに西へと脚を進める。

「出来ると良いな」

「……うん」

 俺がパトレシアと2人きりで話した最後のことだ。きっと、これも何かの選択の一部だったのかもしれない。

 切り捨てたものの方が輝かしく見える。
 もし俺があの時、あんなことを言わなかったら。「やらないべきだ」と彼女を説得していたら。

「全ては後の祭り……か」

 俺はイザーブを去ることを選択して、パトレシアは故郷を壊すことを選択した。

 それから俺たちは当たり前のように、この時の選択を後悔することになった。



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