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第131話 代償(◆)

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 岩盤の上に真っ赤な血が散った。おびただしい量の血は、俺をかばうように立ちふさがったユーニアの脇腹わきばらから垂れていた。

「……へぇ、まだ死なないんだ」

 白い髪の少年は不思議そうに呟くと、再び手のひらに真っ黒なほこを出現させた。

「見苦しいな」

固定フィックス!」

 彼の手元を停止させる。
 ほこの動きを止められた少年は不思議そうに俺の顔を見た。

「なんだ、これ。初めて見る魔法だな」

「……誰だよ、お前。一体何が目的でこんな……」

「理由を問う暇があるのか。甘いな、お前。殺しに向いて無いんじゃないか?」

 たやすく固定魔法を解除してみせると、彼は鉾の切っ先を俺の顔面に向けた。

「ダメだよ。獲物を認識したら、すぐに殺さないと」

「……っ!!」

 次の発動が間に合わない。
 放たれた鉾は俺のすぐ目前まで来ている。

「火の魔法、拝炎阿遠ガリア!」

 間一髪。
 ユーニアから放たれた炎の槍が、敵の攻撃をかき消す。俺たちを守るように炎の壁が、周囲に展開される。

「こいつは……私の教え子だ。勝手に変なことを吹き込むなよ」

 口から血を垂らしながら、ユーニアは言った。

「今の攻撃でだいたい分かったぞ。お前、可愛いのはその顔だけか。中身は……混ぜ物だな」

「さすが大魔法使いだ。ここで殺しておいて正解だったよ」

「狙いは……私か。こんな女一人殺してどうするんだか……」

「変に結託されて、僕たちの虐殺を邪魔されたら困るんだよ。あなたの影響力を使って同盟なんか作られたら、さすがに手にあまるから、ここで死んでもらうことにした」

「私の行動も筒抜けってわけか……規格外の力だね……占い師の婆さん、全然衰えてい無いじゃないか」

 ユーニアは辛そうにうめくと、口からぼたぼたと血を吐き出した。真紅の血が岩盤の上で、水たまりのようになっていた。

「ユーニア、逃げるぞ!」

「ダメだ。こいつは私が逃げたら、下の港町を人もろとも消滅させてみせる……だから、ここで私を待っていた」

「僕としては逃げても構わないんだけどね。その身体、どのみち長くは持たなかったみたいじゃないか。魔力炉を貫いてみて分かったけれど、だいぶ損傷しているね。どこかで呪いでもかけられたのかな」

「余計なお世話だよ」

 悪態あくたいとともに血に混じった唾を吐くと、ユーニアは魔力炉を発光させた。貫かれた臓器からおびただしい量の血が流れて、地面に落ちるとまばゆく燃え上がり始めた。

 どう見ても、魔力の量が過剰かじょうだ。
 普段の彼女が放つものを遥かに超えている。

「何してんだバカ! 俺がやる! ユーニアは逃げろ!」

「……そうそう。どのみち無駄だよ。さっきの攻撃であなたはもう死んでいる。ここで僕を殺しても、は止まらない」

「……へぇ。じゃあお返しに」

 それから、俺の方を振り向いた彼女は「良く見ておけよ」と荒く呼吸をしながら口を開いた。

解法モーク

 その言葉と同時に彼女の身体が燃え上がる。発火した炎は、ユーニアの身体を包み、天高く立ち上った。バリバリと皮膚が焼き尽くす音すら聞こえる、極限の炎が出現していた。

「何を……しているんだ」

「……これは魔力炉解封式法モーク・システム。魔力炉を体内から融解させて……そんで、体内エネルギーをもろとも魔法に流し込むんだ」

「体内エネルギー……死にたいのか、ユーニア……!?」

「うん、術者は間違いなく死ぬ。だから、とっておきの魔法なのさ」

 腹から漏れ出る血を抑えながら、ユーニアは前を向いた。見ると身体のところどころが輪郭りんかくを失い、融解し始めている。彼女の身体はまるで溶けていくように、形を失っていた。

「バカやろう!!」

 こんな姿を見て、耐えられる訳がなかった。

「止めるぞ! 固定フィックス!」

 ユーニアに固定魔法をかける。
 時間を停止しようとありったけの魔力を注ぎ込むが、身体の崩壊は止まらない。むしろ、過剰な魔力の露出がユーニアの身体を壊していく。

「くそっ……! くそっ、くそっ! なんで停止しないんだ!」

「……アンクの魔法じゃ概念までは届かないよ。良いの。私に後悔はないし。どのみち長く生きられるような身体じゃなかった」

「そんな……こんな死に方……」

「ありだよあり。終わりなんて、だいたい唐突だからね。覚悟はいつだってできていた」

 1歩敵がいる方向へと踏み出すと、ユーニアはニヤリと笑った。

「おい少年」

「あぁ……その魔法は知っているぞ。俺には届かない」

「それはちょっと私を甘く見過ぎだ。あんた、自分で言った通り、獲物を見つけたらすぐに殺さなきゃいけないよ」

 そう言うと、ユーニアは自分の手のひらに炎を集めて、ろうそくの火でも吹き消すように優しく息を吐いた。

「解法、業火アグニ

 人魂のようにふわりと舞った炎は、敵の間近で激しく燃え上がった。

「……これは……!」

 敵の顔色が変わる。
 さっきまで余裕の表情を崩さなかった彼が、顔色を変えて自分の右眼を抑えた。指の間から濁った色の血液が漏れていた。

「……て、めぇ……!!」

「熱いだろ?」

「女……! 貴様、俺の眼に触れたな!」

 叫ぶ彼の目から、どす黒い血が落ちていく。苦痛に呻きながら、頭を激しく振っていた。

「知ってるよ。『世界の眼ビジョン』には一過言あるもんだからね。腹の傷のお返しにはちょうど良いだろ。気持ちよすぎて……自我が蕩けてきたか?」

「貴様! 貴様! 貴様ぁあああ!!」

 彼の顔は憤怒そのものだった。
 充血した眼で俺たちのことを睨み付けると、彼の身体は泥のように溶けて、消えてなくなってしまった。

「ユーニア!」

 残されたのは死にかけの彼女のみだった。
 彼女の身体を覆っていた魔力はすでに消え失せて、身体の右半分が真っ赤な液体となって地面に滴り落ちていた。ポタポタと身体が崩れるたびに、彼女は苦痛に顔を歪めていた。

「早く治療を……!」

「もう助からない」

 ユーニアは首を横に振った。

「そういう魔法だ」

「……嘘だろ……」

「仕方がない……だから、覚えておけよ。この魔法を使うのはもっとも大切だと思うものを守る時だ」

 俺の腕に抱きかかられながら、彼女は手を伸ばした。小さな声で「あんたなら大丈夫」と言って頬に触れた彼女の手は、いつものように温かかった。

「私が心配しているのはね……あんたが自分の欲望を見失わないかどうかってこと……アンクは少し、真面目なところがあるからね」

「俺の……欲望……」

「そう、それだけ……大事にしな、さい」

 全てを言いつくしたというように、彼女は眼を閉じて、小さく息を吐いた。

「ユーニア……?」

 いつの間にか自分が抱えていたものが、水のような液体になっていることに気がつく。ぽとりと地面に落ちるその水を、何とか掴もうと手を伸ばしたが、あっさりと手のひらを抜けて行った。

 もう、彼女はどこにも居なかった。

「……あ、あぁあ゛……!」

 この時初めて、俺は自分の無力がねたましいと思った。ただ守られるだけだった自分を、初めて自覚した。

「ち、くしょう……! ちくしょう、ちくしょう!!」

 ユーニアが残した血だまりは周囲に広がり、ポタポタと地上に向けて垂れていた。

「……どうして……」 
 
 誰に言うとでもなく、そう呟いて、俺は彼女が残したものが花のように広がっていくのをほうけたように見ていた。
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