151 / 220
第123話 記憶の奔流
しおりを挟むカップをかたむけながら、シュワラは俺に視線を送り、ソファに座るよう促した。
「長居するつもりはない。今日は文句を言いに来ただけだ」
「奇遇ね、私もよ。あなたに文句が言いたかったの」
俺のことを鋭い目つきで睨んだシュワラは「紅茶でよろしいかしら」と言うと、執事にティーカップを用意させた。
座った俺の前にカップが置かれる。
高い茶葉を使っているのだろう漂う湯気から、良い香りがしたが、安全が確認出来るまで手はつけないでおくことにした。
「では、まずそちらの言い分を聞こうかしら」
一口紅茶を味わった後、シュワラは俺と向き直った。
「何のだ」
「どうして私が送った使いをコテンパンにして送り届けてきたのか。言い分を聞かせてもらえますか?」
「……ナイフを持って奴が急に上がりこんできたら、誰だってそうする。そっちこそどういうつもりだ。あからさまにカタギじゃ無い奴らを送り込むなんて」
「滞納者には当然の対応です。万が一ということがないように、シャラディ家の差し押さえ人は特殊な訓練を積んでいますから」
「……滞納者?」
「何をとぼけていらっしゃるのですか」
シュワラは眉をあげて、俺を見た。
「手紙も散々送っていました。先月中に弁償しなければ、差し押さえに伺うと。私は通告通りに行ったに過ぎないのに、まさか返り討ちにするなんて、非常識にもほどがあります」
「…………手紙? 弁償?」
「……とぼけるのもいい加減にしなさい!」
俺の返答に相当苛立ったのか、シュワラは立ち上がって怒鳴り散らし始めた。
「病院の一件です! 忘れたとはいませんよ! 好意で泊めてやったにも関わらず、ベッドを台無しにするなんて! 朝起きたらベッドはもぬけの殻、シーツは気持ち悪いオイルまみれ、マットレスにも染み込んでいる! さらにはナース服4着も窃盗しましたね、この変態!!!」
「あ、うーん……?」
思い出せない。
オイル? ナース服?
「何のことだ」
「この後に及んで認めないつもりですか!? からかうのにも限度がありますよ!!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。本当に身に覚えがないんだ。俺じゃなくて違うやつなんじゃないのか」
「開業前の病院です。あの部屋に泊まったのはあなたしかいません」
「そんな……」
身に覚えがない。本当に記憶がない。
シュワラの反応が真に迫っていることが恐ろしい。彼女は本気で俺のことを犯人だと思っている。
「俺の偽物……?」
いや、それもない。
カルカットで昏倒したことは事実だ。そのあと、シャラディ家が運営する病院にお世話になったことも間違いない。
しかし、オイルにナース服……?
「どうしてだろう、思い出せない」
「あなたもしかして、無意識で犯罪を……!?」
「そうじゃなくて……、いやそうなのか……?」
やったことを覚えていない。
無意識でナース服を奪って、オイルを撒いたとでも言うのだろうか。
「それじゃあ、ただの変態じゃないか!」
「さっきからそう言っているじゃない。いい加減にしなさいよ、あなた」
「どうして。何が起こっている……?」
「こっちが聞きたいわよ」
深くため息をついたシュワラは「自治軍に引き渡そうかしら」と言って、頭を抱えた。周囲に立つ執事たちも、引きつった顔で俺のことを見ていた。
「まったく、パトレシアもこんな男とつるんでいるだなんて」
「…………何?」
「この変態って言ったのよ。ゲス野郎」
「違う、そうじゃない。誰か人の名前を言わなかったか」
彼女が何かを言った瞬間、電流が走った気がした。
「……パトレシアのこと?」
その名前だ。
身体が裏返ったような感覚。シュワラがその名前を言うと、頭の中身が奇妙な音を立てる。
なんだ、この感覚は。
気持ち悪い。脳みその中に虫が巣食っているように、ガサガサと音がし始めている。
むず痒い。心地悪い。
「名前を言ってくれ。もう1度、言ってくれ!」
「あなた本当に大丈夫?」
「早く!!」
困ったように肩をすくめたシュワラは仕方なさそうに言った。
「パトレシア……って言ったのよ。あの娘の名前。知り合いでしょ?」
何だ。その名前は。
知らない。知らないはずなのに、聞いたことがある。
「ねぇ、あなた本当に大丈夫?」
シュワラの声が遠い。何を言っているか分からない。何も言わないでくれ、いや、何かを言ってくれ。
……俺は何を忘れている?
「ちょっと、ねぇ、ねぇってば!!」
パトレ……なんだっけ。大事な誰かを見つけた気がした。ようやく出会うことができた。
見失いたくない。
行かないでくれ、と声を出す。叫ぶように出した声は、深い森に吸い込まれていく。影すらも残さずになくなっていく。残像すらない、残響すらない。記憶というのはなんて脆いんだろう。
「起きて!! ねぇ、息をしなさい!!」
しがみつく。
チカチカと光が見える。崩壊した城が見える。割れたステンドグラスが見える。白い霧のようなもので真っ白な空が見える。
その空を見上げる3つの影が見える。
……パトレ◼︎◼︎◼︎
……◼︎ツ
……レ◼︎◼︎
もう少しで思い出せそうだ。もう少し、もう少し。戻れなくなっても良い。2度と会えないくらいなら、ここで思い出せないくらいなら。
—————たとえ死んだとしても良い。
「アンク、そこまでだ。もう良いよ」
ぽんぽんと肩を優しく叩かれて目を覚ます。さまよっていた森から引き上げられて、明瞭な意識の世界へと帰還する。
さっきまで見ていたはずの光景は嘘のように消えていた。
今は誰かの膝の上にいる。優しくて暖かな2つの目が俺のことを見ていた。
「リ……タ?」
俺の顔を覗き込んだ彼女は小さく頷いた。安心したような、嬉しそうな笑みをリタは浮かべていた。いつもと変わらない彼女の姿がそこにあった。
「ただいま、ほら起きて」
リタはそう言うと、俺の頬を平手でペチペチと軽く叩いた。
0
お気に入りに追加
367
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
漫画の寝取り竿役に転生して真面目に生きようとしたのに、なぜかエッチな巨乳ヒロインがぐいぐい攻めてくるんだけど?
みずがめ
恋愛
目が覚めたら読んだことのあるエロ漫画の最低寝取り野郎になっていた。
なんでよりによってこんな悪役に転生してしまったんだ。最初はそう落ち込んだが、よく考えれば若いチートボディを手に入れて学生時代をやり直せる。
身体の持ち主が悪人なら意識を乗っ取ったことに心を痛める必要はない。俺がヒロインを寝取りさえしなければ、主人公は精神崩壊することなくハッピーエンドを迎えるだろう。
一時の快楽に身を委ねて他人の人生を狂わせるだなんて、そんな責任を負いたくはない。ここが現実である以上、NTRする気にはなれなかった。メインヒロインとは適切な距離を保っていこう。俺自身がお天道様の下で青春を送るために、そう固く決意した。
……なのになぜ、俺はヒロインに誘惑されているんだ?
※他サイトでも掲載しています。
※表紙や作中イラストは、AIイラストレーターのおしつじさん(https://twitter.com/your_shitsuji)に外注契約を通して作成していただきました。おしつじさんのAIイラストはすべて商用利用が認められたものを使用しており、また「小説活動に関する利用許諾」を許可していただいています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
もし学園のアイドルが俺のメイドになったら
みずがめ
恋愛
もしも、憧れの女子が絶対服従のメイドになったら……。そんなの普通の男子ならやることは決まっているよな?
これは不幸な陰キャが、学園一の美少女をメイドという名の性奴隷として扱い、欲望の限りを尽くしまくるお話である。
※【挿絵あり】にはいただいたイラストを載せています。
「小説家になろう」ノクターンノベルズにも掲載しています。表紙はあっきコタロウさんに描いていただきました。
[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件
森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。
学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。
そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる