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第118話 欲するもの(◆)
しおりを挟む貸し切り風呂の割には広い湯船で、2人が入っても十分スペースがあった。思い切り足を伸ばして浸かると、日々の疲れが取れていくのが分かった。
「はー、極楽極楽」
ちゃぷんと音を立ててユーニアは心底リラックスした様子で、湯船につかった。真っ赤な髪を結い上げて、ぼんやりとした視線を天井に送るユーニアは、気だるげに言った。
「……なぁ、アンク」
唐突に声をかけられて、自分が彼女のことをジッと見てしまっていたことに気がついた。
「なんだよ」
彼女の顔から視線を逸らす。見つかれば、また茶化されるに違いないと思って、天井のシミに視線を送る。
だが俺の様子に気がつくこともなく、ユーニアは言葉を続けた。
「おまえ、故郷に帰りたいって思ったことはないのか」
「どうした、藪から棒に」
「いや、な……」
ちゃぷちゃぷとお湯の中で手を動かしながら、ユーニアは自分の腕を撫でていた。いつもの3分の1ほどに声のトーンを落として、彼女は言った。
「思えば、お前とも子供の頃からずっと一緒にいるわけだ。ただ何にも親らしいこと、優しくしてあげられなかったとふと感じて……お前は私を恨んでないかなと……」
「なんだそんなことか。恨んでるよ。修行辛かったし」
「だよねぇ」
「逃げようと思ったことは何度もあるけれど……な」
熱いお湯は頭をぼうっとさせるようだった。頭の中が心地よく解けていて、かける言葉がいつもより素直に出てくるようだった。
「感謝してる。俺はあんたに連れ出さられて良かったと思っている」
「どうしてそう思うんだ?」
「……あんたが正しい人間だったからだ。ユーニアとずっと一緒にいて、その背中を見てきて、俺はいままで自分が何から逃げてきたのか気づくことが出来た」
「正しい……? 私、そんな立派なじゃないよ。アンクの知らないところで、悪いこともいっぱいしてるし」
裏賭博とかスパイまがいのこととか、と言ってユーニアは笑った。
「買いかぶり過ぎだよ。分かるだろ? 私が世間で言っているような聖人じゃないってこと」
「違うよ。俺が言っているのはそういう正しさじゃなくて……ユーニアは自分の中にある正しさを守れる人間なんだ」
ユーニアは道徳的に正しい人間ではない。むしろ目的のためには手段を選ばない。裏社会の人間とも平気で取引をするし、毒を使った戦いも厭わない。
逆に言えば、彼女は自分の目的のためなら、自分のことをちっとも疑わない。
「ブレないんだよ、ユーニアは。自分が正しいということを信じきっている。周りに何を言われようが屁とも思わない。強くて正しい。俺は、そんなあんたを羨ましく思っているんだ」
「……ふうん、そんなことを言われたのは初めて」
「俺が憧れてやまないものだから。なおさら羨ましく見える」
これは今までずっと、魂に刻まれたものだと言ったら良いだろうか。バカは死んでも治らないというか、俺の性根は死んでも変わってくれなかったらしい。
『おまえはさ……』
いつの間にか諦めることが癖になってしまった。文句をいうよりは、決まったレールの上を進んだ方が楽だ。声を上げるよりは、命令を聞いた方がずっと楽だ。
『つまり生きるのが下手なんだよ。利用されて、使い倒されて、それで残るものなんて何もないだろ?』
そうして俺は自分の立っている場所が崖だと気づくこともなく、いつの間にか落ちてしまっていた。俺はそういう人間だった。
「もっと自由になれば良かったのにな」
何がしたかったのかと問われると、別に何がしたかった訳でもなかった。命をかけるに値する何かがあったと言われると、そういう訳でもなかった。
守りたいものも欲しいものもなかった。
「お前、好きな子とかいないのか」
俺の独白を聞いたあと、出し抜けにユーニアは質問した。彼女は屈託のない笑みで俺に問いかけた。
「なぁ、いるだろ」
「いる訳ないだろ、出会いもないし」
「……じゃあ、今度かわいい女弟子でも取ろうかね」
「余計なことはしなくて良い」
俺の返答に「あはは」と楽しそうに笑ったユーニアは、俺の肩を叩きながら励ますように言った。
「もしアンクに好きなことが出来たら、自分が今なんて言ったのかをしっかり覚えておけよ」
「自分が言ったこと?」
「正しいって思うことを信じる人間になるってことだ。あんたにはそういう人間になれる可能性がある。諦めるな」
彼女はいつものようによく通る声で言った。
「好きな子が出来たら、あんたも変わるよ」
「それは……綺麗ごとにしか聞こえない」
「いや、汚いことだよ。欲望というのは汚くて醜いものなんだ。だからこそ価値がある。人間は汚い欲望のままに生きるもんだ」
「そんなもんかねぇ……」
この時の俺にはまだ何も分からなかった。
ゆらゆらと揺れる湯気はいつまでも不定形のままで、空に浮かんでは消えていった。まるで自分の気持ちを代弁するかのように、形を持たず何にもならなかった。
……果たして、この世界で俺は何を欲しているのだろうか。
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