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【終わりの日(No.03.3)】
しおりを挟む薄々感づいてはいたことだ。
空っぽになった牢獄と、内側から突き破られた扉。あれは外からの侵入者じゃなくて、中から誰かが襲ったという何よりの証拠だった。
執拗に信徒だけを遅い、心臓をくり抜いて殺す手口。抜かれた心臓は見つからず、忽然と消えている。
「殺して、食べたのね……」
「うん、おねえちゃんもいる?」
弟は無邪気な笑みで、自分の周りに積んである心臓の1つを手に取ると、私の方へと差し出した。まるでリンゴでも持つかのように、血まみれの手で彼は心臓を持っていた。
「ダメよ! 捨てなさい!」
「どうして怒るの」
「怒るよ! 本当に……どうしてこんなことをしているの!?」
彼は分からないの、と言った顔で私を見た。
「知らない! 分からない!」
彼の言葉を否定したい。本当は分かっているのに、理解したくない。
「そう……お姉ちゃんは、受け入れなかったんだ」
今の彼はかつての078と同じだ。
教祖の心臓を与えられて、他の子どもたちと同じように受け入れてしまったんだ。憎しみの感情を取り込んで、そして病みつきになってしまった心臓狂いの中毒者だ。
手づかみで心臓を食べる彼は、嬉しそうな顔でそれを噛んだ。愛おしそうに舌の上で転がして、中から溢れ出す血を美味しそうに飲み下している。
「勿体ない。こんなに美味しいのに」
「……早く、降りてきて帰ろう。そんなところに座っていないで、戻っておいで」
「戻る?」
不思議そうな顔で私を見た彼は、口からポタポタと血を滴らせていた。
「どこに戻るの? 僕たちの居場所はもともとどこにも無かったじゃないか」
「居場所なんてまた作れば良い。今度は普通に人として暮らしていこう。お金はお姉ちゃんが稼ぐから、ちゃんとした人間として暮らそう」
「嫌いだよ、人間なんて」
……あぁ、どうもこうして嫌な方向ばかり転がっていくのだろう。
もう彼は昔の彼では無くなっていた。
イザーブで一緒に暮らしていたころの彼では、もう無くなっている。非道な感情が彼の心を閉ざしてしまっている。
足元の死体に、軽蔑したような視線を向けながら、彼は言った。
「僕ね、この人たちの心臓を食べながら、記憶を覗いてきたの。ひどかったなぁ。かぞくを殺されたり、ともだちを殺されたり、悲しかったなぁ……でもさぁ、僕たちには関係ないよね」
彼は死体の1つに、口から血の塊を吐き捨てた。
「僕を使って、街をおそわせるつもりだったんだって。バカみたいだよね、勝手にやれば良いのに、僕たちをまきこむ必要なんてないのに。本当にむかつく。お姉ちゃんも、そう思うよね?」
「うん、だから、もうこんなところ出て、私と一緒に……」
「だから、僕は全部壊すことに決めたんだ」
だめだ。
ねじ曲がってしまっている。歪みきってしまっている。
弟から放たれる魔力は、今まで見たどんなものより黒く、飲み込まれそうなほどに深い色だった。
「その結論は……間違っているよ。壊す必要なんて無いじゃない」
「あるよ。こわせ、こわせって頭の中でだれかが言っているんだ」
「ダメ! それに乗っかったら本当にあなたはこいつらの言う通りの怪物になってしまう! そんな言葉に誘われたらダメ……!」
「もう壊しちゃったよ。こいつらも人間だろ? 2本足で歩いているし、悪いやつはみんな殺すんだよ」
弟はかがみこんで、死体の山から千切れた生首を取り出すと、見せびらかすように掲げた。
その顔はひどく破壊されていたが、間違いなく教祖のそれだった。
「見て見て、じゃーん」
「…………っ!」
「悪の親玉。しかも、こいつ生き返るんだぜ。何回でも殺せる、見ててよ」
弟はバケツでも持つように、片手でぶらりと生首を持って、聖壇の上において魔法をかけた。目を閉じていた教祖の首は、苦しげにゆっくりと目を開けた。
首だけの姿で意識を取り戻した教祖は、私の方を見て言った。
「あぁ……今度は君も来たのか。元気だったか、017」
「許さない。私の弟をこんなにして……絶対に許さない」
「許さない……か」
「弟を……返して」
「残念ながらそれは出来ない。君の弟はすでに『異端の王』として成ってしまっている。もう後戻りすることは出来ないんだ」
「知らない! なんなの、その『異端の王』って……!」
「『異端の王』とは人間を超えた器の俗称だ。ただそこにあるだけで世界を乱し、周囲に影響を与える力を持つ者を『異端の王』と呼ぶ。古代の儀式によって生み出された魔法だよ」
「どうして……そんなものが存在するの」
「君はこの世界の外側に世界があることを信じるか?」
私の言葉に教祖は疲れ切った顔で返答した。
「プルシャマナの外側には、またプルシャマナのような世界がある。私たちと同じような人間が暮らし、生活する世界だ。海の向こうではなく、星の果てでもない。もっと、遠くに見果てぬ世界がある。古き人間たちは、その世界を夢見て、世界そのものに風穴を空けようと目論んだ。その苦心の結果が『異端の王』と呼ばれるものだ」
「あなたたちも、それを目指していたっていうこと……?」
「違う。私は人間を殺すことが出来れば、それで良かった。必要なのは単純な力だ」
虚ろな視線を、教祖は私に向けていた。
「私たちの心臓を食べたことで、その正しさは証明された。私たちの憎しみを汲んで、彼の魔力炉は一段と強いものへと昇華したんだ。君たちの魔力炉の可塑性は私の思った以上だった。周囲に憎しみを撒き散らし、同調させる。人間を殺し尽くすには最上級の者が出来た」
「もう……元には戻らないの?」
「あぁ、この子は世界を破壊尽くすまでとまらない」
「そんなの……」
ひどい。
許せない。
何も悪くないのに、この男は私の弟を壊してしまった。自分たちの目的のために、私の弟を殺人鬼にしてしまった。
「ふざけ……ないで……!」
私の言葉に老いた教祖はフッと笑って言った
「残念だが、君の弟は……ji**Mn;a……!」
言葉の途中で、教祖の頭が弾け飛ぶ。飛びっちった教祖の返り血が、子供のような笑みを浮かべる弟の顔にかかった。
「話、長いんだよ。ばぁか、死ね」
口の周りについた血を舐めた弟は、蒸気のよう湧き上がる黒い魔力で教祖の残骸を包んだ。
「もう生き返らないように、魂ごと喰ってやる」
肉塊となった教祖を黒い魔力が包んでいく。めきめき、ごきごきと気色の悪い音がしばらく鳴り響いたあとで、魔力が消える。
後には何も残っていなかった。
「ジジイはまずいな」
血まみれの弟は身体の一部が変化し始めていた。
腕に鱗のようにギラギラと輝くものが生え始めていて、白目が真っ黒に染まって、眼球がぽっかりと空いた穴のようになってしまっていた。
「あは、あはははは、あははは、あはははっははあはははあはは」
祭壇中に響く大きな笑い声をあげる彼は、もうすでに私の知っている彼ではなくなってしまっていた。
「身体拡張……!」
高笑いする弟の身体に向けて跳ぶ。
どうにもならない。力づくで説得するしかない。持っていた魔力を使い、死体の山に立つ弟に向かって全力の拳を突き出す。
わずか数10メートルにも満たない距離。時間にしても1秒も満たない一瞬。
懐に向けて一気に拳を突き出せば、全てが終わるはずだった。完全な不意打ちを喰らわせたはずだった。
「お……ね……」
彼が私を見て何かを言った。
……私の間違いはここで彼の顔を見てしまったことだった。
白い髪、くったくの無い笑顔、イザーブの路地裏で過ごした日々、ささやかで何物にも変えがたい日々。
私が何年もの間願って止まなかった日々のことを、この時、私は思ってしまった。
「…………あ」
拳は弟から外れて、空振りのまま終わっていた。
「だめだめ、そんなじゃ、ぼくを殺せないよ」
黒い魔力が私の身体を包んでいく。視界が真っ黒に染まって、何も見えなくなっていく。光が閉ざされて、世界は闇で包まれていく。
「……なんだか、長い夢でも見ているみたいだなぁ」
独り言のように言った彼の言葉が忘れられない。
涙も出ない。悲しみが私の心をボロボロに壊していく。切れないナイフで何度も殴打されているみたい。
削られていく。削られて何も無くなっていく。
「おやすみなさい」
あぁ、本当に…………全部夢だったら良いのになぁ。
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