82 / 220
【異端の王(No.11.1)】
しおりを挟む
懐かしい声だった。その呼び方も声色も、何もかもが久しぶりだった。遠い過去から呼びかけてくる優しい声だった。
その声で深い眠りに落ちていた意識が、否応無く引き戻されてしまった。
「お姉ちゃん、起きてよ」
夢だと思った。
弟に最後に会ったのは最後に『あそこ』を出た時だ。もう彼が私を呼びかけることはない。私の知っている弟はもうこの世にはいない。
目を開ける。
私の顔を覗き込んでいたのは、間違いなく彼だった。
「…………」
言葉を失う。
隣で眠るアンクはすやすやと静かな寝息を立てている。よほど疲れていたのだろう、彼は凍ったように眠っていた。
私たちを見下ろす白い髪の弟にも、もちろん気がつくことは無かった。私が視線を返すと、彼はにっこりと笑った。
「あ、やっと起きた。おはよう、お姉ちゃん」
「幽霊……?」
「違う違う。生きているよ、ほら」
自分が生きていることを、証明するように弟はぺたぺたと私の身体に触った。彼の手のひらは冷たかったが、そこには確かに感触があった。
夢じゃない。幽霊でもない。
じゃあ、なぜ。
「どうしてここに?」
「とぼけないでよ。分かっているでしょ。僕はとうとう『異端の王』になったんだ。世界を滅ぼす『異端の王』にね」
何てことはないというように弟は言った。
身体を起こして、弟の身体を改めて見ると、それはやはり14、5歳の男のままだった。
私の知っている弟のままだった。
「変わっていないのね。驚いた」
「そりゃね。ここにいるのは本体の現し身みたいなものだから。山の頂上にいる本体は、もっと醜い怪物のような姿をしているよ。昔読んでくれた絵本みたいに、恐ろしい姿でお姉ちゃんたちを待っている」
「……あなたは沢山の人を殺したのよ」
「知ってる」
「どうして?」
「殺したかったから」
私と同じ、純白の髪をかきあげて弟は言葉を続けた。
「人間が憎いから殺した」
そう言って笑った弟に罪の意識はほとんど感じられなかった。人間を殺すことになんの躊躇もなさそうだった。
「それはあなたの本当の気持ちじゃないわ。ねぇ、お願いだから、目を覚まして」
「やめない。やめられないんだ。もっとたくさんの人間を殺す。この世界から人間なんて生物を全部なくすまで、僕は止まらない」
「私も……殺すの?」
「そうだね。お姉ちゃんも人間だから」
正気ではない。
けれど、彼の瞳は何よりも本気だった。
……この子はもう自分と人間を違うものとして見ている。
魂が歪みきって、もう戻らなくなってしまった。正真正銘の『異端の王』だ。ネジは外れて、どこか見つからない場所へと失われてしまったんだ。
「その前に私があなたを殺すわ」
「そうだろうね。お姉ちゃんたちは僕を殺しにきたんだもんね」
彼がそう言って、私の隣で寝るアンクの方に視線をやったので、私はかばうように手を伸ばした。
「この人は……殺させない」
「……殺さないよ、安心して。彼は女神の使徒だからね、僕に彼は殺せない。彼は間違いなく、僕を殺す力を持っているし、それが運命だって知っている」
「運命……?」
「僕は殺されなきゃいけない。所詮、僕は僕でしかないからね。お姉ちゃんみたいにはなれない」
「何を言っているの」
「僕はお姉ちゃんみたいに強くない」
ランタンの光に照らされた弟の顔は、青白く幽霊のようだった。頬は痩せこけて、髪は無造作に伸びていた。
「殺されるのは仕様がないと思う。今までたくさんの人を殺してきたからね。当然の報いだ。でもそう言う風にしか力をどう使えば良いのか、分からなかった。憎むことでしか自分の欲望を満たすことが出来なかった」
自分の手のひらを見ながらつぶやいた弟は、座り込むと私の方へと寄ってきた。
「僕を殺しにくる人間がお姉ちゃんで良かった」
……これが夢だったらどれほど良かっただろう。
彼が罪を背負わず、『あの時』私と一緒に死んでいればどれだけ良かっただろう。
全ては生きたいと願ってしまったことが間違いだった。生きながらえてしまったことが間違いだった。他の子供達と一緒に私たちも血を吐いて死んでしまった方が良かったんだ。
私たちはこの世に生まれなければ良かったんだ。
そうすれば、こんな気持ちなんて味わなくて良かったのに。
「それで、お姉ちゃんに頼みがあるんだけど」
『異端の王』となった弟、何もない空っぽな場所から現れた彼は、私の前に跪いて言った。
「僕の……最期のお願いだ」
その時の彼は、かつて私に『一緒に連れて行って』と言った弟そのままだった。イザーブの路地裏でわがままを言った頃の彼とほとんど変わらなかった。
「お願い……?」
「うん」
その表情は私の胸を強烈に締め付けた。もし断ったら泣き出してしまうのではないかと思えるほどに、彼は心の底から私に願い、その瞳は私を捉えて離さなかった。
その声で深い眠りに落ちていた意識が、否応無く引き戻されてしまった。
「お姉ちゃん、起きてよ」
夢だと思った。
弟に最後に会ったのは最後に『あそこ』を出た時だ。もう彼が私を呼びかけることはない。私の知っている弟はもうこの世にはいない。
目を開ける。
私の顔を覗き込んでいたのは、間違いなく彼だった。
「…………」
言葉を失う。
隣で眠るアンクはすやすやと静かな寝息を立てている。よほど疲れていたのだろう、彼は凍ったように眠っていた。
私たちを見下ろす白い髪の弟にも、もちろん気がつくことは無かった。私が視線を返すと、彼はにっこりと笑った。
「あ、やっと起きた。おはよう、お姉ちゃん」
「幽霊……?」
「違う違う。生きているよ、ほら」
自分が生きていることを、証明するように弟はぺたぺたと私の身体に触った。彼の手のひらは冷たかったが、そこには確かに感触があった。
夢じゃない。幽霊でもない。
じゃあ、なぜ。
「どうしてここに?」
「とぼけないでよ。分かっているでしょ。僕はとうとう『異端の王』になったんだ。世界を滅ぼす『異端の王』にね」
何てことはないというように弟は言った。
身体を起こして、弟の身体を改めて見ると、それはやはり14、5歳の男のままだった。
私の知っている弟のままだった。
「変わっていないのね。驚いた」
「そりゃね。ここにいるのは本体の現し身みたいなものだから。山の頂上にいる本体は、もっと醜い怪物のような姿をしているよ。昔読んでくれた絵本みたいに、恐ろしい姿でお姉ちゃんたちを待っている」
「……あなたは沢山の人を殺したのよ」
「知ってる」
「どうして?」
「殺したかったから」
私と同じ、純白の髪をかきあげて弟は言葉を続けた。
「人間が憎いから殺した」
そう言って笑った弟に罪の意識はほとんど感じられなかった。人間を殺すことになんの躊躇もなさそうだった。
「それはあなたの本当の気持ちじゃないわ。ねぇ、お願いだから、目を覚まして」
「やめない。やめられないんだ。もっとたくさんの人間を殺す。この世界から人間なんて生物を全部なくすまで、僕は止まらない」
「私も……殺すの?」
「そうだね。お姉ちゃんも人間だから」
正気ではない。
けれど、彼の瞳は何よりも本気だった。
……この子はもう自分と人間を違うものとして見ている。
魂が歪みきって、もう戻らなくなってしまった。正真正銘の『異端の王』だ。ネジは外れて、どこか見つからない場所へと失われてしまったんだ。
「その前に私があなたを殺すわ」
「そうだろうね。お姉ちゃんたちは僕を殺しにきたんだもんね」
彼がそう言って、私の隣で寝るアンクの方に視線をやったので、私はかばうように手を伸ばした。
「この人は……殺させない」
「……殺さないよ、安心して。彼は女神の使徒だからね、僕に彼は殺せない。彼は間違いなく、僕を殺す力を持っているし、それが運命だって知っている」
「運命……?」
「僕は殺されなきゃいけない。所詮、僕は僕でしかないからね。お姉ちゃんみたいにはなれない」
「何を言っているの」
「僕はお姉ちゃんみたいに強くない」
ランタンの光に照らされた弟の顔は、青白く幽霊のようだった。頬は痩せこけて、髪は無造作に伸びていた。
「殺されるのは仕様がないと思う。今までたくさんの人を殺してきたからね。当然の報いだ。でもそう言う風にしか力をどう使えば良いのか、分からなかった。憎むことでしか自分の欲望を満たすことが出来なかった」
自分の手のひらを見ながらつぶやいた弟は、座り込むと私の方へと寄ってきた。
「僕を殺しにくる人間がお姉ちゃんで良かった」
……これが夢だったらどれほど良かっただろう。
彼が罪を背負わず、『あの時』私と一緒に死んでいればどれだけ良かっただろう。
全ては生きたいと願ってしまったことが間違いだった。生きながらえてしまったことが間違いだった。他の子供達と一緒に私たちも血を吐いて死んでしまった方が良かったんだ。
私たちはこの世に生まれなければ良かったんだ。
そうすれば、こんな気持ちなんて味わなくて良かったのに。
「それで、お姉ちゃんに頼みがあるんだけど」
『異端の王』となった弟、何もない空っぽな場所から現れた彼は、私の前に跪いて言った。
「僕の……最期のお願いだ」
その時の彼は、かつて私に『一緒に連れて行って』と言った弟そのままだった。イザーブの路地裏でわがままを言った頃の彼とほとんど変わらなかった。
「お願い……?」
「うん」
その表情は私の胸を強烈に締め付けた。もし断ったら泣き出してしまうのではないかと思えるほどに、彼は心の底から私に願い、その瞳は私を捉えて離さなかった。
0
お気に入りに追加
367
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
漫画の寝取り竿役に転生して真面目に生きようとしたのに、なぜかエッチな巨乳ヒロインがぐいぐい攻めてくるんだけど?
みずがめ
恋愛
目が覚めたら読んだことのあるエロ漫画の最低寝取り野郎になっていた。
なんでよりによってこんな悪役に転生してしまったんだ。最初はそう落ち込んだが、よく考えれば若いチートボディを手に入れて学生時代をやり直せる。
身体の持ち主が悪人なら意識を乗っ取ったことに心を痛める必要はない。俺がヒロインを寝取りさえしなければ、主人公は精神崩壊することなくハッピーエンドを迎えるだろう。
一時の快楽に身を委ねて他人の人生を狂わせるだなんて、そんな責任を負いたくはない。ここが現実である以上、NTRする気にはなれなかった。メインヒロインとは適切な距離を保っていこう。俺自身がお天道様の下で青春を送るために、そう固く決意した。
……なのになぜ、俺はヒロインに誘惑されているんだ?
※他サイトでも掲載しています。
※表紙や作中イラストは、AIイラストレーターのおしつじさん(https://twitter.com/your_shitsuji)に外注契約を通して作成していただきました。おしつじさんのAIイラストはすべて商用利用が認められたものを使用しており、また「小説活動に関する利用許諾」を許可していただいています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
もし学園のアイドルが俺のメイドになったら
みずがめ
恋愛
もしも、憧れの女子が絶対服従のメイドになったら……。そんなの普通の男子ならやることは決まっているよな?
これは不幸な陰キャが、学園一の美少女をメイドという名の性奴隷として扱い、欲望の限りを尽くしまくるお話である。
※【挿絵あり】にはいただいたイラストを載せています。
「小説家になろう」ノクターンノベルズにも掲載しています。表紙はあっきコタロウさんに描いていただきました。
[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件
森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。
学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。
そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる