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【異端の王(No.11.1)】

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 懐かしい声だった。その呼び方も声色も、何もかもが久しぶりだった。遠い過去から呼びかけてくる優しい声だった。

 その声で深い眠りに落ちていた意識が、否応無く引き戻されてしまった。

「お姉ちゃん、起きてよ」

 夢だと思った。
 弟に最後に会ったのは最後に『あそこ』を出た時だ。もう彼が私を呼びかけることはない。私の知っている弟はもうこの世にはいない。

 目を開ける。
 私の顔を覗き込んでいたのは、間違いなく彼だった。

「…………」

 言葉を失う。
 隣で眠るアンクはすやすやと静かな寝息を立てている。よほど疲れていたのだろう、彼は凍ったように眠っていた。

 私たちを見下ろす白い髪の弟にも、もちろん気がつくことは無かった。私が視線を返すと、彼はにっこりと笑った。

「あ、やっと起きた。おはよう、お姉ちゃん」

「幽霊……?」

「違う違う。生きているよ、ほら」

 自分が生きていることを、証明するように弟はぺたぺたと私の身体に触った。彼の手のひらは冷たかったが、そこには確かに感触があった。

 夢じゃない。幽霊でもない。
 じゃあ、なぜ。

「どうしてここに?」

「とぼけないでよ。分かっているでしょ。僕はとうとう『異端の王』になったんだ。世界を滅ぼす『異端の王』にね」

 何てことはないというように弟は言った。
 身体を起こして、弟の身体を改めて見ると、それはやはり14、5歳の男のままだった。

 私の知っている弟のままだった。

「変わっていないのね。驚いた」

「そりゃね。ここにいるのは本体のうつし身みたいなものだから。山の頂上にいる本体は、もっと醜い怪物のような姿をしているよ。昔読んでくれた絵本みたいに、恐ろしい姿でお姉ちゃんたちを待っている」

「……あなたは沢山の人を殺したのよ」

「知ってる」

「どうして?」

「殺したかったから」

 私と同じ、純白の髪をかきあげて弟は言葉を続けた。

「人間が憎いから殺した」

 そう言って笑った弟に罪の意識はほとんど感じられなかった。人間を殺すことになんの躊躇ちゅうちょもなさそうだった。

「それはあなたの本当の気持ちじゃないわ。ねぇ、お願いだから、目を覚まして」

「やめない。やめられないんだ。もっとたくさんの人間を殺す。この世界から人間なんて生物を全部なくすまで、僕は止まらない」

「私も……殺すの?」

「そうだね。お姉ちゃんも人間だから」
 
 正気ではない。
 けれど、彼の瞳は何よりも本気だった。

 ……この子はもう自分と人間を違うものとして見ている。
 魂が歪みきって、もう戻らなくなってしまった。正真正銘の『異端の王』だ。ネジは外れて、どこか見つからない場所へと失われてしまったんだ。

「その前に私があなたを殺すわ」

「そうだろうね。お姉ちゃんたちは僕を殺しにきたんだもんね」

 彼がそう言って、私の隣で寝るアンクの方に視線をやったので、私はかばうように手を伸ばした。

「この人は……殺させない」

「……殺さないよ、安心して。彼は女神の使徒だからね、僕に彼は殺せない。彼は間違いなく、僕を殺す力を持っているし、それが運命だって知っている」

「運命……?」
 
「僕は殺されなきゃいけない。所詮、僕は僕でしかないからね。お姉ちゃんみたいにはなれない」

「何を言っているの」

「僕はお姉ちゃんみたいに強くない」

 ランタンの光に照らされた弟の顔は、青白く幽霊のようだった。頬は痩せこけて、髪は無造作に伸びていた。
 
「殺されるのは仕様がないと思う。今までたくさんの人を殺してきたからね。当然の報いだ。でもそう言う風にしか力をどう使えば良いのか、分からなかった。憎むことでしか自分の欲望を満たすことが出来なかった」

 自分の手のひらを見ながらつぶやいた弟は、座り込むと私の方へと寄ってきた。

「僕を殺しにくる人間がお姉ちゃんで良かった」

 ……これが夢だったらどれほど良かっただろう。
 彼が罪を背負わず、『あの時』私と一緒に死んでいればどれだけ良かっただろう。

 全ては生きたいと願ってしまったことが間違いだった。生きながらえてしまったことが間違いだった。他の子供達と一緒に私たちも血を吐いて死んでしまった方が良かったんだ。

 私たちはこの世に生まれなければ良かったんだ。
 そうすれば、こんな気持ちなんて味わなくて良かったのに。

「それで、お姉ちゃんに頼みがあるんだけど」

 『異端の王』となった弟、何もない空っぽな場所から現れた彼は、私の前にひざまずいて言った。

「僕の……最期のお願いだ」

 その時の彼は、かつて私に『一緒に連れて行って』と言った弟そのままだった。イザーブの路地裏でわがままを言った頃の彼とほとんど変わらなかった。

「お願い……?」

「うん」

 その表情は私の胸を強烈に締め付けた。もし断ったら泣き出してしまうのではないかと思えるほどに、彼は心の底から私に願い、その瞳は私を捉えて離さなかった。

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