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第70話 大英雄、祭りを楽しむ

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 夜が更けていくに連れて、創立祭は盛り上がりを増していった。太陽が沈み、街を月が照らした。星々はありとあらゆる路地裏を輝かせて、その下で人々は幸せそうに舞っていた。

 語り合う人。
 笑いあう人。
 それから踊る人。

 俺たちが踊る中央記念広場は、ますます人が増えていた。
 楽隊はどんどんと曲のテンポを速くしていく。ステージのテンションは最高潮に達して、踊る人々も見ている人々も汗をかきながら、祭りに熱狂していた。

「少し休むか、さすがに踊り疲れた……!」

 5曲ほど踊ったあとで、隅にあるテラス席で休むことにした。
 冷却ボックスを持った売り子から、瓶のビールを買って喉に流し込む。残暑も遠く過ぎ去ろうというのに、冷たい炭酸が身体に染みるほど旨かった。

「やっぱり踊り上手いじゃないか。運動神経が良いだけのことはある」

「そ、そんなことはありません。他の皆さまに比べたらまだまだ……!」

「次はもう少し早いリズムで踊れるかもな。緊張も解けてきたみたいだから」

「はい、緊張はまだしていますが……まだ踊ってみたいです」

「じゃあ、一休みしたら行こう」

 それを聞いたレイナは頬を赤らめ、嬉しそうに微笑んだ。
 照らすに座って少し休んでいると、夜空を切り裂くように一本の線が放たれた。ひゅううううという高い音が辺りに鳴り響いた。空中で一本の線が大輪の花びらとなって散った。

「花火だ」

「わぁ……」

 レイナが顔を輝かせる。
 それからいくつものまぶしく輝く虹色の火の玉が、チカチカと空中で踊リ始めた。音もなく宙を舞う火の玉は、まるで音楽に合わせて踊っているようだった。

 真っ黒なキャンパスを上塗りするように、色とりどりの花火や火の玉が宙を舞っていた。幻想的なその光景は、観客たちを魅了みりょうしていた。

 最初は呆気に取られていたレイナだったが、目の前に浮かぶ火の玉に愛おしげに目を注ぐと、小さな声で言った。

「綺麗、ですね」

「さすがだな。俺もこんな祭りを見たのは久しぶりだよ」

「私は……初めてです」

 目の前で繰り広げる光景を、レイナはどこか夢見心地で見ていた。視線はしっかり捉えていながら、どこか受け止めきれていないという風な表情で見ている。まるで、彼女だけが違う惑星ほしから迷い込んだ異星人のように、ありとあらゆるものを好奇心をもって眺めていた。

「見ていて飽きません。こんな世界があるんですね。知らないことばかりで、珍しいものばかりで、新しいことばかりで、楽しいことばかりで……すごい、すごい、ですね!」

「もう1回、踊るか。きっともっと楽しいはずだ」

「……はい……!」
 
 レイナの手を取って3曲続けて踊る。
 ステップを踏んで、彼女の身体を支えて広場を回る。惑星と衛星のように、出来る限りの距離を保ちながら踊る。目の前の身体にだけ意識を集中させる。

 最近の厄介な悩みごとを忘れて、ただ彼女と一緒に舞うことだけを考える。

「ワン、ツー、スリー」

「ワン、ツー、スリー……!」

 こうやって互いの顔を、長い時間、まともに見合わせるのもあまり無かったように思える。最初は気恥ずかしかったが、一緒に踊るうちに互いの瞳を見られるようになっていた。

 心臓は声高になっている。
 レイナは弾んだ声で言った。

「アンクさまのおかげで踊れるようになりました……!」

 踊るレイナは美しかった。
 こうやって一緒に踊れることが誇らしく思えるほどだった。

「あぁ、それなら、俺も嬉しい」

 2曲終わった後で、鳴っていた打楽器の音がフェードアウトしていく。
 今度は弦楽器がポップなメロディを奏で始めた。そのイントロを聴いた何人かの観衆が、演奏していたバンドに拍手を浴びせた。

「良いぞー!」

「分かってるじゃないかー!」

 この地域では有名な曲らしく、打楽器が刻む独特なリズムに観衆が一層盛り上がった。
 俺は詳しくなかったが、意外にもレイナがこの曲を聴いて、ハッと反応した。

「あ……この曲」

 弦楽器が奏でるイントロを聞いて、レイナが演奏の方へと意識をらした。その時のレイナの表情は嬉しそうな、それでいて切なそうな何とも言えない表情だった。

 懐かしい思い出に意識を向けたのだろうか。もう戻らないと知っている過去に、思いをせているのだろうか。

 ただ流れる音楽に耳を傾けていたレイナは、ポツリと呟いた。

「知っています。私、この曲を知っています」
 
「この曲、知っているのか? 有名な曲なんだな……俺は聴いたことがないが」

「私は幼い頃に、これを、ずっと聴いていました」

 どこかノスタルジックさを感じる曲だった。
 小さな笛が主旋律しゅせんりつを奏でていた。他の楽器隊の和音をバックに、高音の笛が静かなメロディを鳴らしている。

 ミドルテンポのステップで、ゆったりと足を運びながら、レイナは夢見心地でその曲を聴いていた。

「……ずっとオルゴールが欲しかったんです」

「オルゴール? この曲のか?」

「はい。宝石箱のように綺麗なオルゴールでした。ずっと玩具おもちゃ屋のショーケースに飾られていて、満足にお金を持たない私は、結局それを手に入れることが出来ませんでした」

「……そのオルゴールは、他ではどこも売っていなかったのか?」

「いえ、大人になって見たことがあります。全く違う街の古物店で、全く同じオルゴールに私は出会うことが出来ました。しかし、私はそれを買いませんでした」

「どうして」

「……もう、その時はそのオルゴールを欲しいとは思わなかったのです」

 思い出とは風化するものだ。すべからくして、消滅するものだ。
 でも、レイナが言いたいことはそういうことでは無いということは分かった。
 
「結局のところ、私はそれを本当に欲しかったのでは無かったのだと思います」

 そう呟いたレイナは寂しそうな表情をしていた。
 何かに眼をせて、目を閉じたレイナは緩やかなメロディーに合わせて、俺の方へと身体を寄せた。

「アンクさま」

 彼女の香りがした。
 抱き寄せた彼女からは心が安らぐような幸福の香りがした。

「なんだ?」

 そっとレイナの身体を支えて、俺はレイナの声に応えた。

「1つ質問があるのです。聞いてもよろしいですか?」

 ……思い返せば、俺に選択肢があるとしたら、この瞬間だったのかもしれない。

「良いぞ」

 ……いや、それも嘘だ。
 ずっと前から歯車は回っていた。俺とレイナが出会った時から、あるいはそのずっと前から歯車は回り始めていた。

 レイナは1度思いとどまったかのように、視線を伏せたあと、小さく息を吸って言った。

「アンクさまは『ずっとこんな時が続けば良いのに』とおっしゃいました。その気持ちは本当ですか」

「本当だ」

「これからも変わりませんか」

「もちろん、変わらない。俺はレイナとずっと一緒にいたいと思っている。これからもこの先も、ずっとだ」

「……そうですか」

 何と言えば良いのだろう。
 この気持ちは本当だ。嘘ではない。混じり気の無い本当だ。

 なのにどうして、こんなに嫌な予感しかしないんだろう。

「……レイナ?」

「……どうかお許しください」

 さっきとは違う感情で、心臓がドキリと音を立てる。
 悪寒を止められない。最悪な方向に事は進もうとしている。それはもうすぐそこまで来ている。

 いやだ。
 やめろ。

 彼女の手をつかもうとした時には、すでに全ては遅かった。

「っ……あ!!」

 全身を電流が走る。
 唐突に楽隊の音が鳴り止んだ。ざわめきが消える。熱気が嘘みたいに冷え切っていく。ステップの音もしない。

 やがて、衣擦れや息遣いさえも聞こえなくなった。動いているものはなくなった。動くという概念がいねんがなくなった。
 
 世界が……止まっている。

固定フィックス

 そう遠くは無いところから声が聞こえた。
 俺ではない。別の誰かが、固定魔法を行使した。広場中、いやカルカット全体を固定するほどの大規模で強力な魔法だ。

 動いているものは俺とレイナ、そして……、

「やあ、久しぶりだね。大英雄」

 止まった世界の中で、1人の青年が歩み寄ってきていた。
 魔法を使用した声と同じ、抑揚よくようの無い落ち着いた声だった。足音すら聞こえない静かな歩みで、さらりと白い髪をなびかせて、その青年は近づいてきていた。

「おまえは……誰だ?」

「覚えていないのかい。君は僕を殺したじゃないか。ほら、僕は君がかつて『異端の王』と呼んでいたものだよ」

 白い髪の青年はそう言って、俺とレイナを見た。
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