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第44話 大英雄、その記憶
しおりを挟む目を開けるとサティが俺を見下ろしていた。屈み込んだサティはニンマリと笑って言った。
「ほら、やっぱり鍵だった」
「何が……起きたんだ」
「髪留めを通して、君の幻覚とやらを覗かせてもらった。おかげで少し分かってきたよ」
サティはレイナの方へと視線をやった。
「これで確信したよ。さっきのは幻覚ではない。君が見てきた映像は、全て実際に起こったもの……だろ?」
視線をあげると、青ざめた顔のレイナがそこにいた。頬に汗をかいて、レイナは顔をそらした。
「おいレイナ、大丈夫か?」
「アンクさま、私は……」
ワナワナと口を震わせながら、レイナは口を開いた。だが、その言葉を遮ってサティは俺の肩を叩いた。
「ほら、君が見た映像をレイナに話してごらん」
頭の奥がズキズキと痛む。
そこに潜むものが違和感、としか言いようがないものだということに、俺は気がついてしまっていた。
確実にレイナは嘘をついている。
「俺は……何を見た。いや、あれはレイナだった。俺はずっと君の記憶を……」
「アンクさま、違います。それは!」
「それは……なんだ」
「それは……」
レイナは何かを言おうとしたが、言葉にすることもなく、口をつぐんでしまった。その様子を見て、サティは俺に向き直った。
「アンク、君の記憶には抜け落ちている点がある。今まで、君はそれが欠落していることにすら気がつかなかったんだ」
「欠落……か。確かにこれは欠落だ」
どうしてこんなことに気がつかなかったんだ。
俺はレイナとの最初の出会いを忘れている。住み込みで働いてくれていることに対して、何の違和感も感じていなかった。給料を払ってすらいないことにすら、何の疑問も湧かなかった。
そこがおかしい。
当たり前過ぎていて、疑うことすら忘れていた。
「端的に言えば、記憶の改ざんだよ。さっきの髪留めのこともそうだけれど、その改ざんにも少しづつ綻びが出始めている。君の頭痛はつまり記憶改ざんの魔法が解ける合図だ」
「記憶の改ざんか……こんなものが、かけられていたなんて、気がつかなかった」
「強い魔法だ。改ざんされていることにすら気がつかない。強いが故に1度綻びが見つかってしまうと、あっさりと解けてしまうのが弱点と言ったところかな。君が触れてきた……そうだな『記憶のピース』とでも名付けようか。それが証明している。今回はそれが髪留めだったということだ」
確かにあれに触れた途端、あの映像は一気に頭の中に流れ込んできた。堰を切った濁流のように、記憶のピースはそれをせき止める役目も果たしていたということになる。
「じゃあ、知らず知らずのうちに、俺はそのピースに触れてしまっていたのか」
「そうだ。記憶の改ざんは並の魔法じゃない。過去が変われば現実も変わる。君の日常はそういう改ざんの基に作られた偽物なんだよ」
「偽物……か。また頭が痛くなってきた」
「もちろん全部が全部嘘とは言わない。君がここで産まれ過ごし、旅をしたという事実は変わらない。そこまで改ざんすると、他の人間が気がつかないはずがないだろ。あくまで上辺の部分。おそらく彼女に関する記憶が消されている」
「……どうして」
それは、当然の疑問だった。
今までの頭痛が魔法だったとすると、どうして俺にそんなものをかける必要があったのか。
彼女がその理由を知っているのは、ほぼ明らかだ。
サティは後ずさるレイナに向かって言った。
「さて、理由を聞かせてもらおうか。君がやったにしても、そうじゃなくても、何か知っていることがあるはずだ」
レイナは顔を伏せ、強く唇を噛んでいた。狼狽した彼女の様子こそが、事態の異常さを物語っていた。
「レイナ、何を隠している?」
俺の問いかけに、レイナは小さく首を横に振った。
「言いたくないってことか……」
「随分と強情だね。どうする? 化けの皮でも剥がしてみるかい?」
一歩前に出たサティは、手から三叉に分かれた光の鉾を出現させた。光輝く鋭い鉾の先端が、部屋の隅で立ちすくむレイナに向いた。
レイナが息を呑み、目を閉じた。
「サティ、やめろ!!」
「どうして? 彼女が何か知っていることは確かなんだ。君だって記憶を貪られて良い気分はしていないだろう」
「それでもだ。俺の家で血を流すことは許さない。鉾を下ろすんだ」
俺の言葉にサティは肩をすくめて、光の武器を霧散させた。
だが、緊迫した空気は未だに変わっていなかった。サティはピリピリとした視線を、レイナに対して向けていた。
「別に場所はここじゃなくても良い。君が話す気が起きるまで、私は何だってしよう」
「サティ、やめろって言っているだろ」
「……君も悠長だな。『世界の眼』の不在は世界の秩序を乱す大問題だ。これは君の記憶の欠落だけに留まっている話じゃないんだよ。彼女のわがままと引き換えに、世界が滅びたって構わないっていうのか? 馬鹿らしい」
レイナの口を割るまで、サティは引いてくれそうにない。女神の殺気立った魔力は、これでも随分と抑えているはずだが、人間には毒だ。
「世界が滅びても……か」
……この場に飲み込まれてはいけない。
自分に言い聞かせて、頭の中を整理させる。何も焦ることはないんだ。たとえ、記憶を失おうとも、俺はレイナのことを知っている。
「サティ、あの映像は現実に起こったことなんだな」
「あぁ。あれは過去の映像だ。君が見たのはそう遠くない昔の光景だ」
「じゃあ、なおさらだ。レイナが喋りたくないのならば、これ以上は聞かない」
「……それは甘すぎじゃないか」
サティは呆れたような眼差しを俺に向けてきた。
「答えがそこにあるっていうのに、手をこまねいていろと? 私がわざわざ出張ってきたっていうのに」
「レイナは俺の仲間で、俺を陥れるようなやつじゃない。それだけは確かだ。意味もなく隠し事をするとは思えない。きっと何か言えない理由があるんだろう?」
たとえ記憶が改ざんされようとも、それだけは変わらない。レイナは信じるに値する人間だ。たとえどんな立場に置かれようと、彼女は俺を裏切らない。
そう、確信している。
「わ、わたし……」
レイナは頷いて、絞りだしたような小さな声で言葉を続けた。
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