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第43話 大英雄、髪留めをプレゼントする
しおりを挟む辺りはすっかり夜になってしまっていて、家の電灯の灯りが遠くからでも確認できていた。見ると、玄関に人影があって、微動だにもせずに立っていることが分かった。
恐る恐るドアノブを回して開ける。
「た、ただいまー」
「あ。お、おかえりなさい」
案の定、玄関の前にいたのはレイナで、夜の風にはたはたとスカートをなびかせながら、帰ってきた俺に向かってお辞儀をした。
顔をあげたレイナの顔はホッとしたようにも、少し怒っているようにも見えた。俺に呼びかけた声はかすれていて、いつもより弱々しかった。
「ごめん、遅くなって」
「いえ……どちらに行っていらしたのですか?」
「それは、ちょっとね。また後で話すよ」
「……そうですか」
レイナはドロハイエナに追いかけられて汚くなってしまった俺たちを、少し不審そうな顔で見た後で、リビングへと迎え入れた。手で服の汚れをはたくと、眉をひそめながら言った。
「先にシャワーを浴びた方が良いと思います。もうお湯は沸かしてありますから、すぐに入って頂いて大丈夫ですよ」
「ありがとう。助かるよ」
「気が効くね」
サティの言葉にレイナは小さく頷いた。
「お2人とも食事はお召し上がりになりますか?」
「うん」
「そちらも準備は出来ておりますので。昨日余った餃子の皮を使ったスープです。サティさんも、どうぞ。昨日たくさん食べていらしたから、少し多めに作っておきました」
「やったー、良く出来たメイドじゃないか」
ドタバタと駆け込んでいくサティに、「ちゃんとシャワー浴びろよ」と言ってコートをかける。
サティが手っ取り早くシャワーを終えたあとで、風呂に浸かる。久しぶりに長く感じる1日を終えた後の風呂はなかなか格別だった。
「あー、今日はいろいろあったなー……」
旧サラダ村まで足を踏み入れることになるとは思わなかった。あの辺りの魔物の残党も、近いうちに蹴りを付けなければならない。ナツのように、あの悲劇から生き残った人からすると、あれはやはり残してはならないものだ。
風呂から出ると、食卓は生姜の良い香りが漂っていて、他にもあまったひき肉を使った料理が並べられていた。
「いただきまーす」
「どうぞ、お召し上がりください」
早回しとも思えるスピードで、むしゃむしゃとサティがご飯を食べていく。道中も何か食べていたはずだが、食欲は収まっていない。
吸引力3倍のように吸い込むサティを尻目に、スープをいただく。香りが強く、味がしっかりしている。
「うまいな。身体が温まる」
「ありがとうございます」
レイナがお辞儀をする。いつもよりどこか……ぎこちない感じだ。
「まだ……何か?」
レイナが空っぽの器を見る、俺に首をかしげる。
……さぁ、どうだろうか。
スープを飲んだ後で、用意して置いたプレゼントを取り出す。果たして喜んでもらえるかどうか。
「レイナ、ちょっと良いか」
「何でしょうか」
「これ……買ってきたんだ」
「……あ」
俺が取り出したプレゼントを見て、レイナはキョトンとした様子でしばらく固まっていた。小さなプレゼントの箱に恐る恐る触れると、彼女は口を開いた。
「もしかして……今日はこれを買いに行っていらしたのですか?」
「あぁ、日頃のお礼にと思ってさ。それと今朝のお詫びもかねて」
「そうだったんですか……てっきり私は……」
レイナは目を細めると、ホッとしたように息をはいた。
「あなたの機嫌を損ねてしまったのではないかと思って。あまりに私が怒ったので、愛想をつかして、てっきり家出しまったと勘違いしてしまいました」
「あ……ひょっとしてずっと家の前で待っていたのか」
「えぇ、いらぬ心配でしたね」
「いらない心配だよ。俺の帰ってくる家はここだから」
包み紙の先に指で触れて、レイナは恥ずかしそうに言った。
「開けてもよろしいですか?」
「もちろん」
リボンを付けられた包み紙を、レイナは丁寧に梱包を解いていく。頬を赤らめて、目をキラキラと輝かせながら、彼女は箱を開けた。
「わぁ……」
中に入っていたオレンジの髪留めを見て、レイナはハッとした表情になった。驚いた顔のまま、プレゼントの髪留めに視線を落としていた。ほどいたリボンを掴みながら、彼女はポツリと小さな声で言った。
「……髪留め、ですね」
「どうかな? 気に入った?」
「……とても気に入りました。はい。実にあなたらしくて」
レイナはオレンジの髪留めを大事そうに取って、両手に載せてジッと見つめていた。壊れやすい陶器でも扱うかのように、レイナはソッと髪留めをテーブルの上に置いた。
もともと付いていた黒い髪留めを取って、レイナは髪をおろした。肩まで伸びた髪を今度は、新しい髪留めでくくった。
「どうですか……?」
そう言って、レイナは横を向いた。
新しい髪留めはナツが言ったように、レイナの白い髪に良く似合っていた。前の黒いものも悪くはなかったが、今日買ったものは華やかな雰囲気で明るい印象になる。
まるで雪原に咲いた花のようだった。まばゆいコントラストで、彼女の髪の美しさも良く分かる。
「うん、とても似合っている」
「嬉しいです。これも……大切にしますね」
そう言って、俺の方を向いたレイナは一筋の涙を流していた。頬に伝った涙を見て、レイナ自身も驚いたように固まった。
「あれ……?」
涙は止まることなくポロポロと落ちていく。声もあげず、ただ涙だけが一粒一粒と落ちていく。
「どうしたんだろう……私……」
「レイナ、大丈夫か?」
「分かりません、どうしたら良いのか」
レイナは困ったようにつぶやいて目を抑えた。溢れ出る涙が指の隙間から、窓を伝う雨粒のように寂しげに流れていった。透明なガラス窓についた残滓のように、すうっと伝っていた。
「アンク、今がチャンスだぞ」
いつの間にか席を立っていたサティは、レイナの背後に立っていた。一言俺に向かって言うと、レイナの机にあったものを掠め取った。
「サティ、お前何を」
サティは、レイナの古い髪留めを持っている。黒いバラのようなデザイン。使い古したもので、ずいぶんと傷が付いている。
髪留めを取られたレイナがハッと顔をあげて叫ぶ。
「さ、サティさん。か、返してください! それはダメです!」
「嫌だね」
手を伸ばすレイナから逃げながら、サティが俺に向かって言った。
「アンク、見覚えないか、この髪留め」
「あるに決まってるだろ。レイナがいつも付けていたんだから」
「いや違うね。もっと……昔のことだ」
興味深げに触ったあとで、レイナはそれを放り投げて俺にパスしてきた。
「これが鍵だ、受け取れ」
「なんだと?」
投げられた黒い髪留めをキャッチする。きちんと手入れされていて綺麗だったが、見るととこどころに傷がある。
「これは……」
その傷に触れた途端、再び頭に強い痛みが走った。
「ぐ……あっっっっ!!」
視界が歪む。
痛みで身体が足元から崩れる。
混濁する意識の中で見えたのは、いつものあの光景。
以前よりも明瞭に見えてきた景色は、俺の知っているもう1人の人物を描き始めた。真っ赤な血を浴びて生きてきた女。生きている意味を感じることが出来ずに、虚ろに生きていきた人間。
これは…………。
『大切に使いますから、ずっと、ずっと』
レイナ?
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