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第5話 転生の記憶
しおりを挟む20年以上昔の話。
俺は1度死んで、このプルシャマナへとやってきた。
年に数百人いる過労死のうちの1人。
その時も気が付けば1ヶ月間もまともに寝ていなかった。
「終わんねぇ……」
誰もいない深夜のオフィスで遅々として進まない仕事に頭を抱えていると、同僚の言葉がふいに頭をよぎった。
『おまえはさ、つまり生きるのが下手なんだよ。利用されて、使い倒されて、それで残るものなんて何もないだろ?』
何も言い返せなかった。
タスクはどんどんと増えて、生活は擦り切れて身体はボロボロになっていた。しかし、月々の奨学金を返さなければ生活が成り立たない。
眠い。
すさまじく眠い。
ディスプレイの明かりが目に痛い。何本目かの缶コーヒーとエナジードリンクを胃の中に入れて、机に突っ伏す。
あとには何も残らない……か。
本当にそうなのかもな。走って走って、走り続けたあとで、手のひらに残っているものは、この眠りのような空虚な真っ暗闇なんだろう。
……。
「やぁ、これは使いやすそうな魂だ。これにしよう」
聞きなれない声で目を覚ます。
子どものような、女のような声を聞いて、俺はまぶたを開けた。
「誰……だ?」
目を開けて飛び込んできた光景に、俺は思わず言葉を失った。
オフィスではない。
どこかの西洋の城の大広間みたいな豪奢な空間。
壁面には虹色に輝くステンドグラスがはめ込まれていて、壁面には天使や悪魔の彫刻が施されていた。
「え? は?」
身を起こすと寝ていた場所は真っ赤な絨毯だということに気がついた。書類の山で潰れそうだったデスクが跡形もなく消えている。
「夢……?」
これが明晰夢というやつか。
自分の肉体の感覚が妙にはっきりしている。起きている時と変わらない。むしろ起きているよりハッキリとした意識で、周囲を認識することが出来ていた。
立ち上がろうと視線をあげる。
目に飛び込んできたのは、さっきまでいなかったはずの女の子だった。まるで最初からそこにいたかのように、彼女は体育座りをして俺を見ていた。
「や、おはよう」
さっきの声の主だ。
真っ白なドレスに身を包んで、彼女は俺に向かって微笑みかけていた。海のように真っ青な髪を肩の下まで伸ばしている。
その外見は現実離れし過ぎて、いてとうていこの世のものとは思えない存在だった。
「……これは夢だ」
「おはようって言ったじゃないか。君はたった今、目覚めたんだよ」
「早く起きて仕事の続きをやらないと……明日、会議なんだ……」
「大丈夫、会議は君が死んだから中止になるよ。さすがにオフィスで死者が出たら、それどころじゃなくなるからね」
ははは、と少女は可笑しそうに笑った。言っていることが理解出来ない。
「悪夢か、悪夢なのか」
頬をつねろうと手をあげると、少女は突然、俺の頬を平手で殴ってきた。
「痛ぁ!!」
「ほら、痛いだろ。夢じゃない」
「夢……じゃない?」
「物分かりの悪い人間だな。もう1回殴ってみる? それとも実際に見た方が早いかな」
少女はどこからともなくテレビリモコンを出すと、壁に向かってスイッチを押した。
「見るって、何をだよ」
「君が死んだという証拠だよ」
壁から巨大なテレビモニターがせり出してくる。さらにもう1回ボタンを押すと、モニターに映像が映し出された。オフィス全体を見渡すような映像で、中央にくしゃくしゃでシワだらけのスーツ姿の男が突っ伏して倒れている。
「なんだあいつ、だらしないな」
「お前だよ」
「…………」
無言で返すと、彼女は何も言わずに再生ボタンを押した。
「これが今の君の姿。簡単に言えば心臓発作かな。完全に死んでいる」
「俺って……思っていたよりみすぼらしいんだな」
「そしてその3時間後の映像。君の上司が出社してくるね。ポットにお湯を沸かして、席についた」
「……見て見ぬ振りをしている」
「それから更に1時間後だ。週初めの朝礼が始まる。それまで誰も声をかけなかったが、さすがにおかしいと思ったのか、隣の席の同僚が君を叩くけれど、当然起きることはない」
「あ、倒れた」
激しく揺さぶられた俺はオフィスの床に倒れた。顔は青ざめていて、血の気がない。同僚の1人が俺の肌を触って、叫び声をあげて腰を抜かした。
「ようやくここで救急車が呼ばれる。でも時すでに遅し。死後硬直が始まっている。本当に呼ぶべきは霊柩車だったんだね」
「……いろんな意味でひどい映像だ」
「納得出来た?」
「分からん。もう1回殴ってくれるか」
「良いよ、このマゾヒストめ」
パチンと平手で叩かれる。痛い、やっぱり痛い。
「納得した?」
「オッケー、納得した。これは夢じゃない。あと俺はマゾヒストじゃない。……ここはどこだ? 天国か?」
「天国とは少し違う。天国へと向かう中間地点のようなものと考えてもらえば良いかな」
広間を見回す。俺たちの他に人はいなかった。改めて見ると、ずいぶんと寂しい場所だ。
「あんた死神か?」
「失礼だな、あんな下等生物と一緒にするなよ。私は女神だよ、女神」
「女神?」
「私の名前はサティ・プルシャマナ。君が住んでいた世界とは違う世界の神だ」
中学生かそこらの娘にしか見えないくらい幼い。髪が異質に思えるほど綺麗なブルーであることを除いては、サティはただの少女にしか見えなかった。
「まぁ、座りなよ」
彼女がそう言うと、俺の足元にいつの間にか座布団のようなものがあった。ご丁寧にちゃぶ台と粗茶まで用意してある。
「グリーンティーだよ。砂糖は入っていない」
「ありがとう。その……違う世界ってなんなんだ?」
「次元が違うって考えてもらえれば良い。『プルシャマナ』と呼ばれる世界を管理している神だ。今回は他の神様にお願いして『特別に』君に来てもらった」
特別に、という言葉をことさら強調して、サティと名乗った神は言った。
「記臆付きでの転生の許可を取るために、役所を行ったり来たり、たらい回しにされながらなんとか書類をもらったんだ。いやぁ久しぶりに仕事した気分」
「……まー、苦労は分かったから、そのいったいなんなんだプルシャマナって」
「異次元世界だ。世界そのものを構成するルールすら異なる場所だ。もちろん君の住んでいた世界とは仕組みもルールも違う」
座布団の上であぐらをかいたサティは、リモコンを向けた。映し出されたのはどこか知らない国の映像だった。
歩いている人の洋服が、現代とは明らかに異なっていた。ファンタジーの映画でも見ているみたいに、鎧や長いローブを羽織った人間がいた。
「これがプルシャマナの一般的な都市。ごらんのように君たちほど科学は発達していなくて、大量生産の基盤も出来ていない。代わりに発展しているものが1つ。見ててごらん」
サティに言われて映像を注視する。
映像に映った1人の女が、ブツブツと見知らぬ言葉を放っている。天に向かって手をかざすとボウっと燃え上がる炎が出現した。
「これは……なんだ、魔法?」
「その通り。プルシャマナはいわゆる魔法が中心の世界。魔力を操る力がこの世界の人間にはあるんだ。ほぼ全ての人間が魔法を使えて、それによって生活が成り立っている」
映像には水を発生させて田畑を潤すもの、土を動かして家を建てるもの、さらには電気を発生させて小さな器具を動かすものまでいた。
「へぇ……!」
「興味は湧いたかな。彼らの魔法体系は何千年とかけて受け継がれてきた。知生体の餓死率も少なく、環境汚染も少ない。君の住む世界より発展していると言えるかもしれないね」
「……それで、俺にこの映像を見せてどういう意味があるんだ?」
「察しが悪いな。つまり緊急事態なんだよ、さっき言ったじゃないか」
サティは再びリモコンでチャンネルを切り替えた。映し出されたのは、さっきよりも遠くから映したと見られる映像だった。広大な海と大地が見える。
「これがプルシャマナと呼ばれる世界全体だ。正しくは知生体が暮らす惑星の全体図。これ、見ててごらん」
目をこらすと、上空には白い雲にまぎれて雨雲のようなものが浮かんでいた。1つや2つではない。数え切れないくらい点在している。
「黒い霧……?」
「マナと呼ばれるエネルギー物質だ。白が正常で、黒が異常を指し示す」
「黒いものが多いように見えるが」
「そう、このプルシャマナには未だかつてない危機が迫っている。危機の名前は『異端の王』。君にはこの『異端の王』を殺して欲しいんだ」
サティという女神は、真剣な表情でそう言った。
「『異端の王』……?」
聞きなれない言葉にただポカンと口を開けるしかなかった。
画面に映し出された黒い霧は、ゆっくりと不気味に動いていて、徐々に広がっているように見えた。
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