18 / 56
18時限目 表と裏(3)
しおりを挟む耳元でひそひそ声が聞こえる。その声は鳴り止まずに、頭の中で反響して、彼女の心を締め付けていた。
「ごきげんよう、マキネス(相変わらず陰気な面ね)」
「その服、可愛いわね!(とりあえず、ごきげんとってあげなきゃ。サイレウスの一人娘だものね)」
マキネス・サイレウスの世界には表と裏が存在していた。
朗らかな笑顔。耳に優しい言葉。丁寧なお辞儀。そのどれもが嘘で、マキネスにとっては全てが裏だった。
友人も、教師も。
「良いんですよ、サイレウス。ゆっくりできるようになれば(どうしていつまで経ってもできないのかしら。本当にグズね)」
「優れた治療魔導の守り手ですもの。強い力を持っていることの表れですから、何も心配しなくて良いんですよ(気色の悪い魔導。同年代どころか、年下にも遅れている。サイレウス家の人間とは思えないわね)」
あるいは家族さえも。
「マキネス、本当に可愛い子(どうして、この子はいつまでたっても成長しないんでしょう)」
「サイレウスの魔導は代々受け継がれてきた。お前もその一員になれることを誇りに思うと良い(本当にこの子は私の娘か?)」
年が経つにつれて、その裏は表になり、皆が見せる態度は徐々に辛辣なものになっていた。サイレウスとは思えない落ちこぼれ。貴族学校に入学して、その評価はますます確実なものとなり、辺境の『ナッツ』クラスにまで落とされた。
誰しもに見捨てられ、絶望したマキネスが耳にしたのは今までとは違う裏の言葉だった。
「初めまして! 私はリリア・フラガラッハ!(わぁ、緊張するなぁ)」
「僕はシオン・ルブラン(男だってバレていないよね)」
「ミミはただのミミだニャ(おなかがすいた)」
「……俺はイムドレッド・ブラッド(変な奴らばっかだな)」
この場所は心地が良かった。自分と同じような境遇のクラスメイト。表も裏もなく、ただのマキネスとして接してくれる数少ない友人。彼女は耳元で囁く声を気にすることすらなくなっていた。
「雨……」
マキネスの鼻の頭に水滴がつく。そのあと、すぐにサァアアと音が鳴って、木々の間からスコールが落ちてくる。
フジバナから逃げて森の奥まで駆けたマキネスは、すでに自分でのどこか分からない場所まで入り込んでいた。分厚い雨雲に覆われているせいで、森は夜半のような暗黒に覆われていた。
彼女は近くにあった大樹の幹の隙間に入りこんで、身体を丸めて座った。ほろりと涙が一滴、彼女の瞳から落ちる。
「……くそう……」
悔しかった。
何もできない自分が悔しくて、同時に恐れが湧き上がっていた。マキネスの頭の中には先日のリリアとブラムの決闘のことが浮かんでいた。
(リリア……すごかったな。きっともっと強くなるんだろうな)
あの戦いで彼女は確かに一歩前に進んでいた。フラガラッハとしての力を解放して、ブラムにすら引けを取らない力の片鱗を見せた。
……その点自分はどうなんだろう。彼女がそう不安になるのは当然のことだった。心地の良い場所に慣れすぎてしまって、自分が一歩も進めていないことに気がついてしまった。魔導の腕はもう何年も上達していない。
彼女の頬から再び水滴が伝う。
私は何一つできない落ちこぼれだ。リリアにも、シオンにも、ミミにも劣っている。落ちこぼれの中の落ちこぼれになってしまっている。
「怖い……怖いなぁ……」
このまま落ちて取り残されることが怖かった。
そして何よりも、彼女たちからあのひそひそ声が聞こえてくるかもしれないことが怖かった。いつの日か、そう遠くない未来、彼女たちはきっと私を見下すだろう。そう思うと、マキネスは自分の情けなさに耐えきれなかった。
(いつまでも成長しない……とか)
雨はどんどん激しくなっていた。足元に水たまりがたまり、森は徐々に夜の世界へと変わっていた。ふくろうの鳴き声と、獣がすぐそばを通りかかる音が聞こえてきた。
マキネスは一人、佇み続けた。いつまでこうしているのかは分からなかった。ただ彼女たちに会うのが怖かった。もしあの声を聞いてしまったら、もっともっと孤独になってしまう。マキネスは自分の涙を抑えることができなかった。
「……寒い」
コートの裾をぎゅっと握る。
スコールは止まなかった。葉の隙間から落ちてくる雨が、彼女の服を濡らしていた。黒い髪からつま先までずぶ濡れになって、凍えるような寒さがやってきた。意識がぼんやりとしてきて、やがて眠気がやってきた。
(誰にも見つけられなかったら、私はここで死ぬのかもしれないな)
身体がだるく、考えることすら億劫になってくる。マキネスは足を動かすことができなかった。叫び声をあげることすらしなかった。深い諦めが彼女の心を覆っていた。
目を閉じて、彼女は幸福な夢を見ることを願った。ひそひそ声も、裏も表もない世界。私がみんなと同じところにいられる世界。
それはきっと私にはもう二度と、手に入らないものだ。マキネスの心は暗い方向へと、深く沈んで行こうとしていた。
「……マキネス」
誰かが彼女の肩を叩いた。
彼女の目を覚まさせたのは、呆れたような男の声だった。
「おい、マキネス。起きろ」
彼女は泣きはらした目で男の姿を見た。血の気が引いて青くなった唇が、彼の名前を呼んだ。
「ダンテ……せんせい……?」
「……ったく、こんな奥まで逃げやがって。探したぞ」
ふっと息を吐いたダンテは、彼女にオレンジ色のレインコートを手渡した。
0
お気に入りに追加
71
あなたにおすすめの小説
男子中学生から女子校生になった僕
葵
大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。
普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。
強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!
[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件
森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。
学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。
そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……
幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話
妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』
『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』
『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』
大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。
ずっと女の子になりたかった 男の娘の私
ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。
ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。
そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。
無能テイマーと追放されたが、無生物をテイムしたら擬人化した世界最強のヒロインたちに愛されてるので幸せです
青空あかな
ファンタジー
テイマーのアイトは、ある日突然パーティーを追放されてしまう。
その理由は、スライム一匹テイムできないから。
しかしリーダーたちはアイトをボコボコにした後、雇った本当の理由を告げた。
それは、単なるストレス解消のため。
置き去りにされたアイトは襲いくるモンスターを倒そうと、拾った石に渾身の魔力を込めた。
そのとき、アイトの真の力が明らかとなる。
アイトのテイム対象は、【無生物】だった。
さらに、アイトがテイムした物は女の子になることも判明する。
小石は石でできた美少女。
Sランクダンジョンはヤンデレ黒髪美少女。
伝説の聖剣はクーデレ銀髪長身美人。
アイトの周りには最強の美女たちが集まり、愛され幸せ生活が始まってしまう。
やがてアイトは、ギルドの危機を救ったり、捕らわれの冒険者たちを助けたりと、救世主や英雄と呼ばれるまでになる。
これは無能テイマーだったアイトが真の力に目覚め、最強の冒険者へと成り上がる物語である。
※HOTランキング6位
S級スキル【竜化】持ちの俺、トカゲと間違われて実家を追放されるが、覚醒し竜王に見初められる。今さら戻れと言われてももう遅い
猪木洋平@【コミカライズ連載中】
ファンタジー
主人公ライルはブリケード王国の第一王子である。
しかし、ある日――
「ライル。お前を我がブリケード王家から追放する!」
父であるバリオス・ブリケード国王から、そう宣言されてしまう。
「お、俺のスキルが真の力を発揮すれば、きっとこの国の役に立てます」
ライルは必死にそうすがりつく。
「はっ! ライルが本当に授かったスキルは、【トカゲ化】か何かだろ? いくら隠したいからって、【竜化】だなんて嘘をつくなんてよ」
弟である第二王子のガルドから、そう突き放されてしまう。
失意のまま辺境に逃げたライルは、かつて親しくしていた少女ルーシーに匿われる。
「苦労したんだな。とりあえずは、この村でゆっくりしてくれよ」
ライルの辺境での慎ましくも幸せな生活が始まる。
だが、それを脅かす者たちが近づきつつあった……。
【書籍化】パーティー追放から始まる収納無双!~姪っ子パーティといく最強ハーレム成り上がり~
くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
【24年11月5日発売】
その攻撃、収納する――――ッ!
【収納】のギフトを賜り、冒険者として活躍していたアベルは、ある日、一方的にパーティから追放されてしまう。
理由は、マジックバッグを手に入れたから。
マジックバッグの性能は、全てにおいてアベルの【収納】のギフトを上回っていたのだ。
これは、3度にも及ぶパーティ追放で、すっかり自信を見失った男の再生譚である。
うちのメイドがウザかわいい! 転生特典ステータスがチートじゃなくて【新偉人(ニート)】だったので最強の引きこもりスローライフを目指します。
田中ケケ
ファンタジー
ニート生活を送っていた俺、石川誠道は、バスガス爆発という早口言葉が死因で異世界に転生することになってしまう。
女神さまは転生特典として固有ステータス(しかもカンスト済み)とサポートアイテムを与えてくれたのだが、誠道が与えられた固有ステータスの名前は紆余曲折あって『新偉人(ニート)』に……って、は?
意味わかんないんだけど?
女神さまが明らかにふざけていることはわかりますけどね。
しかもサポートアイテムに至っては、俺の優雅で快適な引きこもり生活を支援してくれる美少女メイドときた。
うん、美少女っていうのは嬉しいけどさ、異世界での冒険を支援しないあたり、やっぱり絶対これ女神さまに「引きこもり乙w」ってからかわれてるよね?
これは、石川誠道がメイドのミライとともに異世界で最強の引きこもりを目指すお話。
ちなみに、美少女メイドのミライの他に、金の亡者系お姉さんや魔物を〇〇する系ロリっ子、反面教師系メンタリスト等も出てきます。
個性豊かなキャラクターたちが繰り広げる、引きこもり系異世界コメディ!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる