1 / 56
1時限目 ダンテ元王都兵
しおりを挟む馬車の窓から見える景色は、小一時間前と様変わりしていた。王都の中心部から離れて、馬車は人里離れた森の中を進んでいた。
「何にもねぇな。ここ」
脚を組んだ短髪の男がぼそりと呟いた。二十年近く住んでいた王都を離れるのがよほどの未練なのか、目の前に座る案内役の女性に愚痴っぽく言った。
「酒場の一つもないのか」
「当然です。貴族のご子息たちが通われる場所です。そのように行儀の悪い姿勢は、教育によろしくないですよ、ダンテ元王都兵」
「はいはい、『元王都兵』ね」
目の前に座る案内人の女性に咎められて、ダンテと呼ばれた男は肩をすくめた。それでも姿勢を崩したままの彼に釘をさすように、その女性は言った。
「あなたがここにあるのも、アイリッシュ卿のご慈悲だということをお忘れなく」
「分かってるよ。しかし慈悲にしても妙な話なんだよ」
手元の紹介状を見ながら、ダンテはため息混じりに言った。まさか自分が学校の教員をやることになるとは、思ってもみなかった。困惑と懸念。彼の脳裏には一ヶ月前の軍事裁判が浮かんでいた。
『王都兵団第三部隊 ダンテ小隊長
任務の際に持ち場を離れて、
護衛対象であるバーンズ卿を負傷させた。
軍の規律を乱す重大違反行為であり、
相応の処分が求められる』
その訴状に嘘はなかった。命令違反を犯したのは事実だった。魔獣に囲まれた仲間を救出するためにダンテは持ち場を離れ、動揺したバーンズ卿は転んですり傷を負った。
そのすり傷を『負傷』とするなら、確かに大問題だった。
「一兵卒が命令を守らんとは何事だ!」
本来であれば些事で済む話を膨らませ、軍上層部に圧力をかけたのは、他ならぬバーンズ卿だった。逆上した彼は、ダンテを厳しく罰するように上層部をけしかけた。
命令違反であることは間違いない。
ダンテが兵団をクビになるのは確実だった。バーンズ卿は王都を司る二八人の賢老院の一人だ。彼が手を回した軍事裁判で、ダンテが無事でいられるはずがない。最悪、牢獄にぶち込まれることも彼は覚悟していた。
「被告人の王都兵団追放を命じる。しかし、その代わりに……」
それに水を差したのは同じく賢老院であるアイリッシュ卿だった。変わり者として知られる女老がダンテに告げた。
「ソード・アカデミア臨時教員の職を命じる」
何を言っているのか理解できなかった。ダンテの頭は真っ白になり、『教員』というこれまでの人生でまったく縁のなかった単語が、頭の中でぐるぐると回り始めた。
思わず被告席から身を乗り出して、彼は叫んだ。
「おい、待ってくれ……アカデミア? 教員? 何を考えているんだ?」
「詳細は追って通達する。以上」
軍事裁判は予想外の判決で閉廷した。
牢獄行きより突拍子もない事態。断ることもできず、ダンテは流されるままに、今現在、青年貴族養成学校『ソード・アカデミア』へと運ばれていた。
「一体、アイリッシュ卿は何を考えているんだ?」
「私には分かりません。どの派閥にも属さない自由な方ですから」
「『必ず全員を卒業させること』か。貴族の坊ちゃん方なんてどうやったって卒業するだろうに」
ダンテはアイリッシュ卿から渡された手紙を見ながら言った。担当するクラスの全員を卒業させれば、王都兵団に復職させると書いてある。やることは子ども相手の実施訓練だ。それくらいなら、片手間で終わらせることができる。
条件としては破格と言って良かった。つまり処罰にしてはぬるすぎる。
何か裏があるのかと考えながらも、検討はつかず、馬車は森の一本道の行き止まりにたどり着いた。
「到着しました。馬車の外へ」
「ここが……」
現れた巨大な建物を見て、ダンテは目を見張った。
巨人のように立ちはだかる黒い正門。荘厳な彫刻が施されている校舎は遥か遠くに立っており、歩くのが嫌になりそうな広々とした庭が広がっていた。
「でかいな。さすが貴族学校だ」
門に手を置いたダンテを、案内人が止めた。
「ダンテ元王都兵。そちらではありません。こちらへ」
「そっち? 校舎はあれだろ?」
「いえ、もう一つあります」
彼女は門を通り過ぎて、薄暗い獣道へと入っていった。
「おいおい。嘘だろ」
「本当です。馬車はここから先へは入れません。あなたの担当は旧校舎のクラス。道が入り組んでいますので、迷わないように注意してください」
「……嫌な予感がしてきた」
清潔な校舎。利口で礼儀正しい生徒。ダンテが描いていた穏やかなイメージが崩れていく。
(どうもきな臭い)
その予感は獣道を抜けて、今にも崩れそうな木造の校舎を見て、さらに確信に近づいた。傾いた入り口は人気がなく薄暗かった。校舎というよりお化け屋敷と言った方が良かった。
「こちらになります」
「ここは……貴族学校じゃなかったのか」
「こちらは以前使われていた旧校舎です。生徒たちは中で待っているとのことです。私は仕事がありますので、それでは」
「もう行くのか」
「これ以上は勤務外です」
言うや否や案内人は来た道を戻っていった。関わり合いになりたくないというのが、その背中から伝わってきている。去っていく彼女を見送って、ダンテは改めて旧校舎に視線を送った。
「こんなボロ校舎に本当に生徒がいるのか……?」
ダンテは恐る恐る校舎の中に入っていた。その足元を、ネズミがサッと走り抜けていく。半開きのロッカーには蜘蛛の巣も貼っていて、ますます幽霊屋敷のようだった。
一階の廊下を覗くと、ひとつだけ明かりが灯っている教室があった。話し声も聞こえた。扉の前に立ち、一つ息をついて覚悟を決めて、ダンテは扉を開いた。
「あ、新しい先生だ! おはよーございまーす!」
明るい声が彼を出迎えた。
金髪のツインテールの少女。
長くサラサラとした髪は、彼女が寝転んでいる長机から、床の方まで伸びている。仕立ての良さそうなドレスの上には、巨大な灰色の毛玉のようなものが乗っかっていた。
ダンテに挨拶をした少女は、チョコレート菓子を口に放り込みながら言った。
「初めまして僕はシオンです。ねぇ、新しい先生ですよね」
「そうだ。おい、他の生徒はどこに行った?」
「ここにいますよ。一人」
シオンが毛玉をポンポンと叩くと、毛玉だと思っていたものがムクリと起き上がった。
「なんだニャ。もう朝ごはんかニャ?」
「違うよ、ミミ。新しい先生だよ」
「ニャ?」
大きな琥珀色の瞳がダンテを見た。
頭からぴょこんと突き出した猫耳。灰色のふさふさとした毛は、頭からつま先までを覆っている。顔をグシグシとこすりながら、ミミと呼ばれた少女は「おはようございますニャ」とお辞儀をした。
「亜人……」
「そうです、ミミは特待生なんですよ」
「驚いた。貴族学校だと聞いていたんだが」
亜人種の貴族は存在しない。当然のようにこの学校に入学するものは純潔の人間に限られると、ダンテは思っていた。
「アイリッシュ卿さまのお陰で、特別に入れてもらったニャ」
「そうか。そうなのか……」
理解が追いつかない。
この教室には見渡す限り二人しかいない。一人は長机の上でだらしなく、お菓子を食べていて、もう一人は亜人だった。思い描いていた貴族学校と違う。
「他の生徒は?」
「うーん、どこかにいるんじゃないですか」
「……顔合わせの日だと聞いたんだが。どこにも見当たらないぞ。そもそもこの教室はなんなんだ」
「あれ、もしかして先生、僕たちのこと何も知らない?」
「あぁ、何も」
「そうなんだぁ」
ふふと悪戯っぽくシオンは微笑んだ。ミミと顔を合わせて「どうしようね」と首をかしげた。
「なんなんだ。教えてくれ。いったいここはどういう場所なんだ。貴族の集うアカデミアじゃないのか?」
「合ってますよ。でも僕たちはクラス『ナッツ』。最底辺の四個目のクラスです」
「ナッツ……?」
シオンは頷いて、言った。
「退学寸前の落ちこぼれ集団です」
あぁ、嫌な予感はこれだったのか。
ダンテは思わず紹介状を握りつぶした。
0
お気に入りに追加
71
あなたにおすすめの小説
男子中学生から女子校生になった僕
葵
大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。
普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。
強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!
[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件
森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。
学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。
そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……
幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話
妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』
『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』
『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』
大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。
ずっと女の子になりたかった 男の娘の私
ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。
ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。
そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。
【書籍化】パーティー追放から始まる収納無双!~姪っ子パーティといく最強ハーレム成り上がり~
くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
【24年11月5日発売】
その攻撃、収納する――――ッ!
【収納】のギフトを賜り、冒険者として活躍していたアベルは、ある日、一方的にパーティから追放されてしまう。
理由は、マジックバッグを手に入れたから。
マジックバッグの性能は、全てにおいてアベルの【収納】のギフトを上回っていたのだ。
これは、3度にも及ぶパーティ追放で、すっかり自信を見失った男の再生譚である。
どうも、命中率0%の最弱村人です 〜隠しダンジョンを周回してたらレベル∞になったので、種族進化して『半神』目指そうと思います〜
サイダーボウイ
ファンタジー
この世界では15歳になって成人を迎えると『天恵の儀式』でジョブを授かる。
〈村人〉のジョブを授かったティムは、勇者一行が訪れるのを待つ村で妹とともに仲良く暮らしていた。
だがちょっとした出来事をきっかけにティムは村から追放を言い渡され、モンスターが棲息する森へと放り出されてしまう。
〈村人〉の固有スキルは【命中率0%】というデメリットしかない最弱スキルのため、ティムはスライムすらまともに倒せない。
危うく死にかけたティムは森の中をさまよっているうちにある隠しダンジョンを発見する。
『【煌世主の意志】を感知しました。EXスキル【オートスキップ】が覚醒します』
いきなり現れたウィンドウに驚きつつもティムは試しに【オートスキップ】を使ってみることに。
すると、いつの間にか自分のレベルが∞になって……。
これは、やがて【種族の支配者(キング・オブ・オーバーロード)】と呼ばれる男が、最弱の村人から最強種族の『半神』へと至り、世界を救ってしまうお話である。
無能テイマーと追放されたが、無生物をテイムしたら擬人化した世界最強のヒロインたちに愛されてるので幸せです
青空あかな
ファンタジー
テイマーのアイトは、ある日突然パーティーを追放されてしまう。
その理由は、スライム一匹テイムできないから。
しかしリーダーたちはアイトをボコボコにした後、雇った本当の理由を告げた。
それは、単なるストレス解消のため。
置き去りにされたアイトは襲いくるモンスターを倒そうと、拾った石に渾身の魔力を込めた。
そのとき、アイトの真の力が明らかとなる。
アイトのテイム対象は、【無生物】だった。
さらに、アイトがテイムした物は女の子になることも判明する。
小石は石でできた美少女。
Sランクダンジョンはヤンデレ黒髪美少女。
伝説の聖剣はクーデレ銀髪長身美人。
アイトの周りには最強の美女たちが集まり、愛され幸せ生活が始まってしまう。
やがてアイトは、ギルドの危機を救ったり、捕らわれの冒険者たちを助けたりと、救世主や英雄と呼ばれるまでになる。
これは無能テイマーだったアイトが真の力に目覚め、最強の冒険者へと成り上がる物語である。
※HOTランキング6位
3年F組クラス転移 帝国VS28人のユニークスキル~召喚された高校生は人類の危機に団結チートで国を相手に無双する~
代々木夜々一
ファンタジー
高校生3年F組28人が全員、召喚魔法に捕まった!
放り出されたのは闘技場。武器は一人に一つだけ与えられた特殊スキルがあるのみ!何万人もの観衆が見つめる中、召喚した魔法使いにざまぁし、王都から大脱出!
3年F組は一年から同じメンバーで結束力は固い。中心は陰で「キングとプリンス」と呼ばれる二人の男子と、家業のスーパーを経営する計算高きJK姫野美姫。
逃げた深い森の中で見つけたエルフの廃墟。そこには太古の樹「菩提樹の精霊」が今にも枯れ果てそうになっていた。追いかけてくる魔法使いを退け、のんびりスローライフをするつもりが古代ローマを滅ぼした疫病「天然痘」が異世界でも流行りだした!
原住民「森の民」とともに立ち上がる28人。圧政の帝国を打ち破ることができるのか?
ちょっぴり淡い恋愛と友情で切り開く、異世界冒険サバイバル群像劇、ここに開幕!
※カクヨムにも掲載あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる