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キスのバリエーション
1【微】
しおりを挟む「ん」
首筋をなぞるような指の動きに思わず身じろぐ。
打ち合わせブースの壁際に私を追い込んでいた神尾君が、いたずらを仕掛けた子どものように小さく笑った。
倒れた日から、数日後。
給湯室で耳打ちしたのは神尾君の方だった。
『篠瀬さん、取引しましょう』
とっさに何を言われたのか分からなくて、私は首を傾げて神尾君を見上げた。
想定内の反応だったのか、神尾君が笑って人差し指を自分の唇に当ててみせる。
そこでようやく、私は彼が取引をしたがっていることに気づいたのだ。
取り決めは「どちらかが相手に要求したい時」。
だけどまさか本当に神尾君の方から持ちかけてくるとは。
あっけにとられている間に、別の人が給湯室に入ってきてしまった。
フロアに一つしかない給湯室は人の出入りが頻繁にある。
当然そのことも見越した様子で、神尾君がにこやかに続けたのだ。
『では、打ち合わせの場所についてはメールで送りますので』
打ち合わせ。
それが隠語であることはさすがの私にも理解できた。
そうして指定されたのが、昼休みの打ち合わせブース、というわけだ。
打ち合わせブースは顧客との面談や部内指導、簡単な打ち合わせなどに使うための小さな部屋で、パーテーションで区切っただけの部屋が廊下を挟んで左右に六つ並んでいる。
鍵はかけられるがその気になれば隣の話も聞こえてしまうくらい壁が薄い。
それでもキスとモフくらい問題ない、と。そう思っていたのだが……。
首筋を撫ぜていた神尾君の指先が、耳の裏を通って髪をかき分ける。
「っ」
再び勝手に体が跳ねて、私は恥ずかしさに真っ赤になった。
ひそめた息遣いや漏れる声がやたらに大きく聞こえて耳に響く。
外に聞こえてしまうのではないか、と不安になって両手で口をふさいでいると、大丈夫ですよ、と神尾君が笑った。
「変に騒がなければ、中で何をしているかなんて分かりませんよ」
囁くような声を残して、神尾君があらわになった首筋に顔を寄せる。
ついで押し付けられた唇の感触に驚いて、私は小さく震えた。
そ、そんなとこにキスするなんて……!
確かに、唇以外のどこに口付けるかまでの指定はない。
だけど普通、キスって言ったらおでことか頰とか……とにかく顔周りのどこかだと思うじゃないか。
意表をつかれた体が、次の動きを予測しようと全身で神尾君の動きに集中している。
わずかに位置を変えながら何度も口付ける神尾君の唇に、神経が過敏になって変になりそうだった。
「──神尾君、もう」
恥ずかしさに耐えられなくなって、神尾君の体を突っぱねようとした、その時。
「ひ」
はむ、と唇で耳を挟まれて、私は思わず両手の間から声を漏らした。
びくびくと大きく震えた私の体を神尾君が空いた腕で抱きしめる。
「あ、や、やだ」
はみ、はみ、と耳を責められるたび、腰のあたりからぞくぞくした感覚が這い上がる。
なに、これ。
こんなのキスじゃない。
壁と神尾君の腕に阻まれて、身動きひとつできずに与えられる感覚に耐えていると、ピピピ、と軽快な電子音が鳴った。
一分経ったのだ。
「はい、おしまい」
最後にちゅ、とリップ音を立てて首筋にキスすると、神尾君の体が離れていく。
机に置いていたスマホのアラームを切る姿を目で追いながら、私はその場にずるずるとしゃがみこんでしまった。
「大丈夫ですか」
振り返って私を見た神尾君が、眉を下げて私を見下ろす。
大丈夫じゃない。
体に力が入らなくて、立ち上がれなかった。
動揺している私を眺めて、神尾君が私に合わせてしゃがみ込む。
反射で体を固くすると、「もうしませんよ」と神尾君が苦笑した。
そしてみるみるうちに目の前で、白い獣に変わっていく。
いつものように頭をすり寄せてくる神尾君にほっとして、私はその首筋に抱きついた。
「嫌でしたか」
モフモフの毛玉が神尾君の声で問う。
小さく首を振って、私はぎゅう、と腕に力を込めた。
嫌じゃない。嫌だったわけじゃない。
ただ、怖かったのだ。
自分が自分でなくなるような感覚が。それに押しつぶされそうになりながら、キモチイイ、と思ってしまった自分が。
こんな自分は知らない。
震える心を隠すように、私は神尾君の美しい毛並みに顔を埋め続けた。
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