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物語の欠片
ここからはじまる物語(カフェ)
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「いらっしゃいませ」
降りしきる雨のなか辿り着いたカフェには、優しそうな紳士がひとり立っていた。
「あの…僕、午後に来るのは初めてなんです。おすすめはありますか?」
「そうですね…当店では珈琲を召しあがられる方が多いですが、特に決まったメニューはございません」
「そう、ですか」
お客様の姿をひと目見たマスターは、穏やかな笑みを浮かべながら持っていたグラスを見せた。
「もしアイスがお好きなようでしたらアフォガードをご用意させていただきます。おすすめの温かい紅茶もお淹れしましょうか?」
「それでお願いします」
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
フードからは水が滴り、腰掛けた椅子を濡らす。
「ごめんなさい。汚してしまって…」
「お気になさらず。それより、いつもこんな夜遅くにお出かけしていらっしゃるんですか?」
「はい。…僕、夜の静かな町が好きなんです」
アンティーク調のスカートをひらひらさせながら、いつも一緒に連れているうさぎのぬいぐるみをテーブルに座らせる。
「この子が相棒で、誰もいない場所で空を眺めるのが好きなんです」
「天体観測ですか?」
「それほど本格的なものではないんですけど、とにかく楽しくて…」
夜なら心無い言葉も聞こえてこない。
そんな独り言を耳にしたマスターはアイスとエスプレッソをワンショットサーブした。
「こちらがアフォガードになります。そちらのエスプレッソをお好みでかけてお召し上がりください」
「ありがとうございます。…いただきます」
ふわふわした甘いアイスと、ほろ苦いエスプレッソ。
それはまるで、今の少女の心を表しているようだった。
「どうかされましたか?」
「すみません。すごく美味しいなって思ったんです。それと、なんだか心が落ち着くような気がして……」
「そうでしたか。…差し出がましいようですが、私でよければ話を聞かせていただけませんか?」
少女は迷ったものの、マスターの真っ直ぐな目を見て抱えていた想いを吐き出した。
「周りから言われるんです。もっと女の子らしくしろって」
「今の格好も素敵だと思いますが…」
「格好じゃなくて口調です。一人称が僕じゃおかしいってよく言われます。親からはデザイナーになる夢を否定されて…。
条件として提示されていた専門学校への合格とコンテストでの優勝もしたのに、おまえじゃ無理だって言うんです。…僕は自分らしくいたいだけなのに、難しいですね」
からんと音をたててスプーンを持つ手が止まり、少女は絶望した瞳でマスターを見つめる。
どうせ返ってくるのは親は心配しているだけだという話だ…そう思っていたのに、マスターの答えは違った。
「お客様、軽食は作れますか?」
「料理なら人並みにはできると思いますけど…」
「実は今人手不足で、新しい方を募集しております。あなたがあなたらしくあるために必要なものがあるのなら、ここで揃えてみるというのは如何でしょうか?」
あまりに突然の提案に少女は固まってしまった。
「僕、人と話すの苦手ですよ?」
「うちは未経験者歓迎です。あなたの心にある夢は、そう簡単になくなるものではない。ならばとことん挑戦してみるべきだと私は思います。
ですが、親御さんの呪縛から解き放たれると金銭的な問題が発生するでしょう?こうしてお客様がやってきたのも何かの縁、私が力になります」
「どうして、今会ったばかりの僕にそんなに優しくしてくれるんですか?」
涙目の少女に紅茶をサーブして、マスターは微笑んだ。
「私も似たような境遇で親から逃げ出した身だからです。そのとき大変お世話になった方がいまして…。
ですから、次は私が誰かの力になれればと思っただけです。…いかがでしょう?」
少女の答えは決まっていた。
「僕が僕でいてもいいなら、このお店で働かせてください」
「交渉成立です。…初対面なはずなのに、不思議ですね」
「そうですね」
ふたりは頬を緩ませ、夜の孤独と一緒に紅茶を飲み干す。
「ごちそうさまでした。あと少しで卒業するので、バイトの話はそれからでもいいですか?
もう少しこのお店の客として、他のメニューも楽しみたいんです」
「勿論です。またのご来店をお待ちしております」
少女は一礼して、持っていたかばんからスケッチブックを取り出す。
「お店に合うものがあれば教えてください。制服として着ちゃいます」
「お預かりします。次回のご来店までにじっくり見させていただきますね」
少女は覚悟を決め、一旦家に戻る。
自分を偽らずに生きられる場所へ行くため、話をつけることにしたのだ。
空はすっかり晴れていて、星の瞬きが声援をおくっていた。
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pixivのカフェタイム小説コンテストに応募した作品です。
降りしきる雨のなか辿り着いたカフェには、優しそうな紳士がひとり立っていた。
「あの…僕、午後に来るのは初めてなんです。おすすめはありますか?」
「そうですね…当店では珈琲を召しあがられる方が多いですが、特に決まったメニューはございません」
「そう、ですか」
お客様の姿をひと目見たマスターは、穏やかな笑みを浮かべながら持っていたグラスを見せた。
「もしアイスがお好きなようでしたらアフォガードをご用意させていただきます。おすすめの温かい紅茶もお淹れしましょうか?」
「それでお願いします」
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
フードからは水が滴り、腰掛けた椅子を濡らす。
「ごめんなさい。汚してしまって…」
「お気になさらず。それより、いつもこんな夜遅くにお出かけしていらっしゃるんですか?」
「はい。…僕、夜の静かな町が好きなんです」
アンティーク調のスカートをひらひらさせながら、いつも一緒に連れているうさぎのぬいぐるみをテーブルに座らせる。
「この子が相棒で、誰もいない場所で空を眺めるのが好きなんです」
「天体観測ですか?」
「それほど本格的なものではないんですけど、とにかく楽しくて…」
夜なら心無い言葉も聞こえてこない。
そんな独り言を耳にしたマスターはアイスとエスプレッソをワンショットサーブした。
「こちらがアフォガードになります。そちらのエスプレッソをお好みでかけてお召し上がりください」
「ありがとうございます。…いただきます」
ふわふわした甘いアイスと、ほろ苦いエスプレッソ。
それはまるで、今の少女の心を表しているようだった。
「どうかされましたか?」
「すみません。すごく美味しいなって思ったんです。それと、なんだか心が落ち着くような気がして……」
「そうでしたか。…差し出がましいようですが、私でよければ話を聞かせていただけませんか?」
少女は迷ったものの、マスターの真っ直ぐな目を見て抱えていた想いを吐き出した。
「周りから言われるんです。もっと女の子らしくしろって」
「今の格好も素敵だと思いますが…」
「格好じゃなくて口調です。一人称が僕じゃおかしいってよく言われます。親からはデザイナーになる夢を否定されて…。
条件として提示されていた専門学校への合格とコンテストでの優勝もしたのに、おまえじゃ無理だって言うんです。…僕は自分らしくいたいだけなのに、難しいですね」
からんと音をたててスプーンを持つ手が止まり、少女は絶望した瞳でマスターを見つめる。
どうせ返ってくるのは親は心配しているだけだという話だ…そう思っていたのに、マスターの答えは違った。
「お客様、軽食は作れますか?」
「料理なら人並みにはできると思いますけど…」
「実は今人手不足で、新しい方を募集しております。あなたがあなたらしくあるために必要なものがあるのなら、ここで揃えてみるというのは如何でしょうか?」
あまりに突然の提案に少女は固まってしまった。
「僕、人と話すの苦手ですよ?」
「うちは未経験者歓迎です。あなたの心にある夢は、そう簡単になくなるものではない。ならばとことん挑戦してみるべきだと私は思います。
ですが、親御さんの呪縛から解き放たれると金銭的な問題が発生するでしょう?こうしてお客様がやってきたのも何かの縁、私が力になります」
「どうして、今会ったばかりの僕にそんなに優しくしてくれるんですか?」
涙目の少女に紅茶をサーブして、マスターは微笑んだ。
「私も似たような境遇で親から逃げ出した身だからです。そのとき大変お世話になった方がいまして…。
ですから、次は私が誰かの力になれればと思っただけです。…いかがでしょう?」
少女の答えは決まっていた。
「僕が僕でいてもいいなら、このお店で働かせてください」
「交渉成立です。…初対面なはずなのに、不思議ですね」
「そうですね」
ふたりは頬を緩ませ、夜の孤独と一緒に紅茶を飲み干す。
「ごちそうさまでした。あと少しで卒業するので、バイトの話はそれからでもいいですか?
もう少しこのお店の客として、他のメニューも楽しみたいんです」
「勿論です。またのご来店をお待ちしております」
少女は一礼して、持っていたかばんからスケッチブックを取り出す。
「お店に合うものがあれば教えてください。制服として着ちゃいます」
「お預かりします。次回のご来店までにじっくり見させていただきますね」
少女は覚悟を決め、一旦家に戻る。
自分を偽らずに生きられる場所へ行くため、話をつけることにしたのだ。
空はすっかり晴れていて、星の瞬きが声援をおくっていた。
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pixivのカフェタイム小説コンテストに応募した作品です。
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