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物語の欠片
ブラッディローズの約束(秘密を抱えた女性の話)
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春日野陽和は走っていた。
「あいつを捕まえろ!」
「贄を逃がすな!」
周囲を確認せず走り続け、気づいたときには森の奥にいた。
村人たちが絶対に近寄らない場所ではあるが、真夜中独りで過ごすには適していない。
立ちあがろうとしたものの、疲労と恐怖で動けなかった。
近くの草むらで音がした瞬間耳を塞ぐ。
肩に手をおかれて顔をあげると、そこには女性がひとり立っていた。
「こんばんは。あなたは、」
「た、助けてください…」
この森にいる時点で村の人間ではないことは明白だ。誰でもいい、自分に自由をくれる人なら…陽和の手は無意識のうちに女性の服の袖を掴んでいた。
「…うちに来て。立てる?」
「え……」
ただの女の子として扱われたのは初めてに近かった。
差し出された手をとり、そのままゆっくり歩きだす。
前にこんな会話をしたことがあった気がしたが、その答えに辿り着けなかった。
「まずはお風呂に入って。それから夜食にしよう」
「は、はい」
「洋服はここにあるものを好きに使って。泥だらけだし、これから洗濯するから」
「ありがとうございます」
陽和が知る世界は決して広くないが、早く家に帰るように言われるんだと思っていた。
女性は何も訊かず、黙々と食事の準備をしてくれている。
それをありがたく思いながら、傷や痣だらけの体を洗った。
「洋服、サイズがぴったりでよかったわ」
「ありがとうございます。えっと…」
「ああ、ごめんなさい。名乗ってなかった」
ビスクドールのような容姿に陽和は息を呑む。
「私はリーゼ。この森で暮らしているの。行くところがないならここにいてくれて構わない」
「いいん、ですか?」
「苦しそうにしている人に出て行けなんて言わない」
リーゼと名乗った女性は陽和に優しく接した。
壊れ物でも扱うように、そっと頭を撫でる。
「よろしく、陽和」
「よろしくお願いします」
握手をしながら陽和は気づく。…いつ名乗っただろうかと。
「怪我の手当てをした方がいい」
「あ、やめ…見ないで!」
ズボンの裾を捲ったリーゼの手を思わず払いのけてしまい、陽和は真っ青な顔で後退る。
「ご、ごめんなさ…そんなつもりじゃ、」
「…構わない。その痣を見ても私はなんとも思わないから」
陽和の体には村人の暴行によってできたもの以外で、生まれつきある蔦のような模様の痣がある。
それは村に伝わる、生まれながら生贄になる宿命を背負った証だった。
「そこに座って。…動かれたらちゃんと手当てできない」
「…ごめんなさい」
陽和の手当てを手早くすませたリーゼだったが、指先だけ何も処置していなかったことに気づいて口にくわえた。
「あ、あの…」
「……ごめんなさい。こうするのが癖なの。手当てが終わったから、夜食をどうぞ」
「ありがとうございます」
村ではこんなふうに人の優しさに触れたことはなかった。
常に暴力をふるわれてきた陽和からすれば、今の状況は天国だ。
「少し出かけてくる。心配しなくても村の人間に知らせたりしないから、安心して休んでいて」
「分かりました。あ、あの」
「どうかした?」
「いってらっしゃい」
陽和の温かい言葉に、リーゼは柔らかい笑みをみせる。
「…いってきます」
いってらっしゃいという姿は、相変わらず変わっていない。
そんなことを呑気に考えていると、森の出入り口付近に大量の人間の気配を感じた。
「おい、まさかこの森に入ったんじゃ…」
村の人間なんてくだらない。
陽和の平穏を壊そうとするものがあるなら、自分が全て壊してしまおう。
ゆっくり瞼をおろし再び開かれた瞳は深紅に染まっている。
「…去れ、人間共。血祭りになりたくなければ、この森に近づくな」
「出た、化け物だ!」
村人たちが恐怖する姿を侮蔑の眼差しで見下ろし、リーゼはその場に降り立った。
残っている人間たちをひとり残らず気絶させ、その場に転がっていた死体を見つめる。
「…これも私のせいにされるのかな」
そう呟いたリーゼの口の中には、先程少しだけもらった陽和の甘い血の味が広がっている。
「封印が上手く作用しているみたいでよかった」
寂しげな表情をした後、すぐにその場から離れる。
──紅き月の夜、ヴァンパイアの能力は格段に跳ね上がるが、蒼き月の夜、力が弱った状態のヴァンパイアに贄を捧げれば村の安寧は約束されるだろう。
何十年か前に終わったはずの風習が、再び繰り返されようとしている。
陽和に平穏が訪れると同時に、リーゼの戦いはここから始まるのだ。
「今度こそあなたを護ってみせる。…あの子と同じ思いはさせない」
誰に言うでもなく呟いた言葉を、神々しく輝く白い月だけが聞いている。
そのまま真っ直ぐ住処への道を進みながら、リーゼは闇に覆われた空を見上げた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ヴァンパイアの女性と、生贄として死ぬ為だけに育てられた少女の話を綴ってみました。
1話ではまとめられなかったのでシリーズ化も検討しようと思っています。如何でしょうか…?
「あいつを捕まえろ!」
「贄を逃がすな!」
周囲を確認せず走り続け、気づいたときには森の奥にいた。
村人たちが絶対に近寄らない場所ではあるが、真夜中独りで過ごすには適していない。
立ちあがろうとしたものの、疲労と恐怖で動けなかった。
近くの草むらで音がした瞬間耳を塞ぐ。
肩に手をおかれて顔をあげると、そこには女性がひとり立っていた。
「こんばんは。あなたは、」
「た、助けてください…」
この森にいる時点で村の人間ではないことは明白だ。誰でもいい、自分に自由をくれる人なら…陽和の手は無意識のうちに女性の服の袖を掴んでいた。
「…うちに来て。立てる?」
「え……」
ただの女の子として扱われたのは初めてに近かった。
差し出された手をとり、そのままゆっくり歩きだす。
前にこんな会話をしたことがあった気がしたが、その答えに辿り着けなかった。
「まずはお風呂に入って。それから夜食にしよう」
「は、はい」
「洋服はここにあるものを好きに使って。泥だらけだし、これから洗濯するから」
「ありがとうございます」
陽和が知る世界は決して広くないが、早く家に帰るように言われるんだと思っていた。
女性は何も訊かず、黙々と食事の準備をしてくれている。
それをありがたく思いながら、傷や痣だらけの体を洗った。
「洋服、サイズがぴったりでよかったわ」
「ありがとうございます。えっと…」
「ああ、ごめんなさい。名乗ってなかった」
ビスクドールのような容姿に陽和は息を呑む。
「私はリーゼ。この森で暮らしているの。行くところがないならここにいてくれて構わない」
「いいん、ですか?」
「苦しそうにしている人に出て行けなんて言わない」
リーゼと名乗った女性は陽和に優しく接した。
壊れ物でも扱うように、そっと頭を撫でる。
「よろしく、陽和」
「よろしくお願いします」
握手をしながら陽和は気づく。…いつ名乗っただろうかと。
「怪我の手当てをした方がいい」
「あ、やめ…見ないで!」
ズボンの裾を捲ったリーゼの手を思わず払いのけてしまい、陽和は真っ青な顔で後退る。
「ご、ごめんなさ…そんなつもりじゃ、」
「…構わない。その痣を見ても私はなんとも思わないから」
陽和の体には村人の暴行によってできたもの以外で、生まれつきある蔦のような模様の痣がある。
それは村に伝わる、生まれながら生贄になる宿命を背負った証だった。
「そこに座って。…動かれたらちゃんと手当てできない」
「…ごめんなさい」
陽和の手当てを手早くすませたリーゼだったが、指先だけ何も処置していなかったことに気づいて口にくわえた。
「あ、あの…」
「……ごめんなさい。こうするのが癖なの。手当てが終わったから、夜食をどうぞ」
「ありがとうございます」
村ではこんなふうに人の優しさに触れたことはなかった。
常に暴力をふるわれてきた陽和からすれば、今の状況は天国だ。
「少し出かけてくる。心配しなくても村の人間に知らせたりしないから、安心して休んでいて」
「分かりました。あ、あの」
「どうかした?」
「いってらっしゃい」
陽和の温かい言葉に、リーゼは柔らかい笑みをみせる。
「…いってきます」
いってらっしゃいという姿は、相変わらず変わっていない。
そんなことを呑気に考えていると、森の出入り口付近に大量の人間の気配を感じた。
「おい、まさかこの森に入ったんじゃ…」
村の人間なんてくだらない。
陽和の平穏を壊そうとするものがあるなら、自分が全て壊してしまおう。
ゆっくり瞼をおろし再び開かれた瞳は深紅に染まっている。
「…去れ、人間共。血祭りになりたくなければ、この森に近づくな」
「出た、化け物だ!」
村人たちが恐怖する姿を侮蔑の眼差しで見下ろし、リーゼはその場に降り立った。
残っている人間たちをひとり残らず気絶させ、その場に転がっていた死体を見つめる。
「…これも私のせいにされるのかな」
そう呟いたリーゼの口の中には、先程少しだけもらった陽和の甘い血の味が広がっている。
「封印が上手く作用しているみたいでよかった」
寂しげな表情をした後、すぐにその場から離れる。
──紅き月の夜、ヴァンパイアの能力は格段に跳ね上がるが、蒼き月の夜、力が弱った状態のヴァンパイアに贄を捧げれば村の安寧は約束されるだろう。
何十年か前に終わったはずの風習が、再び繰り返されようとしている。
陽和に平穏が訪れると同時に、リーゼの戦いはここから始まるのだ。
「今度こそあなたを護ってみせる。…あの子と同じ思いはさせない」
誰に言うでもなく呟いた言葉を、神々しく輝く白い月だけが聞いている。
そのまま真っ直ぐ住処への道を進みながら、リーゼは闇に覆われた空を見上げた。
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ヴァンパイアの女性と、生贄として死ぬ為だけに育てられた少女の話を綴ってみました。
1話ではまとめられなかったのでシリーズ化も検討しようと思っています。如何でしょうか…?
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